1-13
「すばらしい。まさか守山君がその見解にまで到達しているとは思わなかったよ」
ぼくが二つの可能性について考えたことを説明すると、東堂さんは拍手のゼスチャーを添えて喜んでくれた。
「で、どうなんですか」
「そうだな、まずはこの箱についての説明から始めようか」
生徒用の長机の上には、ぼくが持参したバスタオルの包みが置かれている。東堂さんはその包みをポンポンと軽くたたいた。
「今回の件を最初から検証していくと、現実に在るのはこの箱だけなんだよね」
「どういう意味ですか」
「そのままだよ。あとは全部お話なんだ。ボクとしてはキミから聞いた話、キミからするとつぐみさんから聞いた話、つぐみさんにしても大半は航太君から聞いた話ということになる。いわゆる伝言ゲームみたいなものだ」
そう言われれば、まあ否定はできない。
「箱は在った。では、それを手に入れたいきさつはどうか。具体的に言うなら、箱を売っていた丹波屋という怪しげな人物は実在するのかどうかってことだ。箱が本物なのか紛い物なのかを判断するためには、そこをきちんと押さえておく必要がある」
「おっしゃるとおりとだとは思いますけど、ぼくの説明の中に何か不審な点でもありましたか」
「丹波屋の容姿がね」
「容姿? 見た目ってことですか」
「髪型も目鼻口のどれにもこれといった特徴はなく、なんとなくぼんやりとした印象しかないってことだっただろ。それ、何も説明していないのと同じじゃないか」
長くも短くもない髪、輪郭のはっきりしない眉、少し色素の薄い瞳、日本人として平均的な高さの鼻、口角がわずかにあがった薄い唇。まばらに無精ひげの散った顎。
たしかに見事なまでに特徴がない。各パーツの配置も無難で顔全体の印象もぼんやりとしている。東堂さんに指摘されるまでは何とも思っていなかったが、たしかにこれでは警察も似顔絵を描けない。
「それで、まずは航太君にそれぞれ別の人物が写っている五枚の写真を見てもらった。ボクは写真を見る航太君の様子をじっくり観察した。航太君は写真を一枚一枚熱心に確かめながら、少しでも丹波屋に似ているところがないかを探してくれた。それは実際に丹波屋と会って話をした人でなければ取れないであろう態度だった。さらに、航太君が見覚えがあると指摘した一枚はテレビドラマにもよく出ている某俳優の若いころの写真だったんだ。このことではわかるのは、航太君の認知機能は正常だということ。つまり、航太君は丹波屋という人物に実際に会っているという前提で話を進められるということだ」
東堂さんの言っていることは理解できたが、なぜそんなところを疑うのかがわからない。さらに言えば、その疑いを解消するために、やけに回りくどい確認の仕方をするという点もすっきりしない。もしそこをはっきりさせておく必要があるなら、航太君本人に、箱を買ったときの状況を直接聞くではだめだったのだろうか。
いや、直接聞くではだめだったのだ。まだ理由はわからないが。
「というわけで、航太君は丹波屋からこの箱を買ったことが確認できた。すると少々やっかいなことになる――可能性が出てくる」
「やっかいなこと?」
「この箱が本物である可能性だ」
「本物――」
「貼り紙にある通り、念ずればいかなるところも掻ける孫の手が入っているということだね」
「え、じゃあ、ハマモト君が死んだのはやっぱり航太君が――」
まさかの可能性その二だったということか。
頭の芯がすっと冷たくなる。
「まあ、待ちなさい。まだ話は続きがあるんだ。あるモノに関する話なんだけどね」
東堂さんは箱を包んだバスタオルに手を置いた。
「噂、風評のたぐいだよ。信憑性は不明だ。その前提で聞いて欲しいんだけど、そのモノは『カミノテ』と呼ばれているらしい。念ずればどんな願いでもかなう。ただし願い事は三回まで。あまりに強大な力を持つため、ある時代のある人物がその力の大半を封印した。以来、そのモノは持ち主を変えつつ、現代にまで伝えられているという。そんな噂さ」
「もしかして、この箱の中身が?」
「――とまでは言ってないよ。あくまでも噂であって、そんなモノが実在しているとは思えないだろ。ただ、正直に言うと、キミから今回の話を聞いたときに、ちらっと頭によぎったのは事実だ。この箱の中身が『カミノテ』だとしたら、背中であろうと頭の中であろうといくらでも掻けてしまうなあって。さらにだ、力の大半を封印したというのは、『カミノテ』の万能性を〈どこでも掻ける〉という用途に限定してしまったことだと考えればつじつまが合うしね。カミノテを封じてマゴノテに――なかなかしゃれてるじゃないか」
わははと笑って、東堂さんはバスタオルをなでた。
「ボク自身、そんなモノはないというのが基本的なスタンスなんだが、頭の片隅によぎってしまった以上、万が一の可能性を考慮しなければならない。つぐみさんの家での再現実験には、今言ったような背景があったわけさ。実験の狙い自体はキミが推測した通りだから、今さら説明は不要だよね」
「あ、でも、ぼくの推測は二通りあったんですが」
「その両方を想定しての実験だよ。箱が見せかけだけのガラクタでも、万が一やばいやつだったとしても、どちらでも対処できるようにって」
「で、どっちだったんですか。もちろん、ただの古い箱だったんですよね」
「わからないままだよ。最初の二回はキミもつぐみさんも背中を掻かれたって感じたからなあ。それは脳が作り出した疑似感覚だった可能性が高いとは思うけど、もしかするとマゴノテ、いやカミノテの力によるものだったかもしれない。今回の実験はどっちの場合でも対処できるように考慮しただけで、見分けるための手順は入れてないからね」
「ちょっと、待ってください。それって、航太君がハマモト君を殺してしまった可能性がゼロではないということになりませんか」
そう言ってから、ぼくは嫌なことを思い出してしまった。
艶のある飴色、関節の浮き出た指、骨に貼り付いた皮――
あれは、あのとき一瞬見えた干からびた人間の腕は、まさか、カミノテ?
「ここまでの話の流れだと、そうなるよね。でも、安心していいよ。この箱とハマモト君の死はまったく関係ないんだ。そこは断言しておこう」
「そうなんですか。よかった。でも、どうしてそう言い切れるんでしょうか」
恐る恐るぼくがそう言うと、東堂さんの表情がすっと暗くなった。
「今日、キミに来てもらった本来の理由がそれに関することなんだけどね。どうするかな、やっぱりちゃんと説明しておくべきだろうなあ」
「今さら思わせぶりはやめてください」
「そうだな、こういう情報の出し方はよくないね」
東堂さんは顔を上げぼくの目をまっすぐに見た。
「では話そう。実は航太君からも全部話すようにと頼まれているしね」
航太君が? いったいなにを。
「聞かせてください」
ぼくは膝をそろえ、背筋を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます