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「今からの実験では、一回目とまったく同じことをやってもらうよ。動作、順序、位置関係、そして声の大きさも。航太君、心の準備はいいかな」
東堂さんからは何の説明もないままに、二回目の実験開始が告げられた。
「同じこと、ですか」
「そう、重要なのはまったく同じようにやるということなんだ。守山君とつぐみさんも元の位置に戻ってもらおうか」
有賀はベッドの端に座り、ぼくは少しだけ後ろに下がった。航太君は箱の前に移動し、静かに腰を下ろした。
「では、守山君の背中からはじめよう。よーい、スタート」
東堂さんのゴーサインと同時に、航太君は顔の前で両手を合わせ、箱をじっと見つめる。全員が息を詰める。航太君の口がわずかに動く。
――ここにいる守山さんの背中を掻いてください。
またあれが来るのか。
ぼくは全身を固くしてその瞬間に備えた。
一秒、二秒――
目を閉じ背中に意識を集中させる。
三秒、四秒、五秒――
「どうだい」
「何も感じません」
背中は掻かれなかったし触れられもしなかった。あのカシカシという小さな音もしなかったと思う。
なぜだ、何があった。
僕があれこれ考えている間に実験は進められ、有賀にも同じことが行われたが、やはり何も感じないという結果となった。
「航太君、念のために聞くけれど、念じ方に手を抜いたりはしていないよね」
「同じように念じたつもりです」
「うん、見ていたボクもそう思った。でも、二人とも背中を掻かれることはなかった。同じ条件だったはずなのに一回目と今回では異なる結果になってしまった。もちろんそれには理由がある。ボクはその理由を知っているけれど、今、ここで説明はしない。航太君にはあとでその理由をゆっくり考えてもらうとして、先に最後の実験をやってしまおう」
航太君は真剣な表情で東堂さんの説明を聞いている。
有賀はそんな航太君の様子を見守っている。
「最後の実験台はボクだ。航太君にはまた箱に向かって念じてもらう」
航太君は、「わかりました」と言って、箱に向き直り背筋を伸ばすと、両手を顔の前で合わせた。
「ちょっと待った。まだ説明の途中だよ」
「あ、すいません」
「今から言うことが一番重要なんだ。いいかい、念じる内容を『ここにいる東堂の頭の中を掻いてください』に変更すること」
三人が同時に、「えっ」と声を出した。
「東堂さん、それを航太君にやってもらうのは、ちょっとまずいんじゃないでしょうか」
「まずい? 根拠は何だね」
東堂さんの冷ややかな目が怖い。だけど、ここは言うべきところだ。
「だって、その実験は航太君の傷口に塩をすり込むようなものでしょう。どんな狙いがあるのかわかりませんが、今の航太君にはあまりに酷な実験ですよ」
「どんな狙いがあるのかわからないなら黙っていなさい。ボクがやろうとしているのは、傷口に塩をすり込むようなことではなく、傷口の消毒なんだ。塩も消毒液もどちらも痛い。激痛だよ。だけど放置しておくと傷口は化膿し、下手をすればその毒が全身に回る」
「なんだか上手いたとえに聞こえるけど、その激痛でショック症状が出る可能性はないんですか」
「それはつまり、ボクが脳内出血で死ぬということかね」
まさかのワードが飛び出した。部屋の空気が一気に張り詰める。
「そんなことは言ってません。それに、今のその言葉はこの場で口にするべきじゃない」
「もういいよ守山君。ごちゃごちゃとうるさいんだ。ボクは航太君と話をしているのだ。ここまでせっかく順調に事を進めてきたのにじゃまをしないでもらいたい。キミの軟弱な考えを聞いているといらいらして、頭の中までむずむずしてくるよ」
それって、その言い方って。
「さあ航太君、念じてもらおう。ボクは今、頭の中がむずむずしてたまらないんだ。その箱に向かって念じて欲しい。『ここにいる東堂の頭の中を掻いてください』と。そして早くこのむずむずをすっきりさせてもらいたい」
東堂さんは軽く目を閉じ、「さあ、いつでもいいよ」と言った。
「わかりました」
航太君は居住まいを正し、再び顔の前で手を合わせた。
やる気だ。
いいのか航太君。もし、万が一、東堂さんの身に重大なことが起こってしまったら、そのときは、もう。
――ここにいる東堂さんの頭の中を掻いてください。
ああ、やってしまった。
一秒、二秒――
三人が息を詰めて見守る中、東堂さんはゆっくりと目を開いた。
ふう。
三つの吐息が重なり、止まっていた時間が動き始める。
「これで実験はすべて終了だ。航太君、協力してくれてありがとう。有賀さん、守山君もお疲れさまでした」
東堂さんは何事もなかったかのようにそう告げると、頭を左右に倒してコキコキと首の骨をならした。
すべて終了なのはわかった。でもそれ以外のことはさっぱりわからない。
いったい何が起こったのか。いや、起きなかったのか。
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