1-05
東堂さんの希望で、週明けの月曜日に航太君から直接話を聞くということになった。
ぼくはいつもより十五分早く家を出て、誰もいない教室で有賀の登校を待った。三番目に教室に入ってきた有賀は元気がなく、それでも金曜日よりも顔色はよく、目が合うと弱々しく微笑んでくれた。ぼくはすばやく周囲に目を走らせ、誰もこっちに関心を示していないことを確認し、ささっと有賀に歩み寄って、東堂さんからのメッセージを伝えた。
「うちにくるの? その東堂さんという人と二人で?」
「うん、少しでも早いほうがいいだろうって。今日の夕方四時半にこの前行ったマックで待ち合わせて、それから有賀の家に行くことになるんだけど、その時間に航太君は家にいるかな」
「微妙かなあ。五時過ぎなら帰ってると思うけど」
「五時過ぎか。マックで軽くお茶して、ゆっくり歩いて行けばちょうどそれぐらいの時間になるな」
「わかった。じゃあ今日はフライドポテトのLを頼もうかな」と言って、有賀は、「えへへ」と小さく笑った。
無理するな。
ぼくは心の中で有賀の頭をなでてやり、自分の席にもどった。
東堂さんは道路に面した窓際の席に大きく足を組んで座っていた。めずらしくスーツを着ている。ぼくと有賀は少し迷ったが、何も注文せずに東堂さんの席へと向かった。
「遅かったじゃないか」
時計を見ると四時三十七分だった。「たったの七分!」と思ったが、無理を言って相談に乗ってもらっている立場だということを思い出し、すばやく反省した。
「すいません、思ったより時間がかかってしまいました」
「ごめんなさい、私が歩くのが遅くて。あ、私は有賀つぐみといいます」
東堂さんはぺこりと頭を下げた有賀を見ると秒速で機嫌を直し、「悪いのは守山君ですから気になさらずに。さ、そちらにどうぞ」と着席をうながした。テーブルの上にはLサイズのフライドポテトとコーラが置かれていた。有賀の視線に気づいた東堂さんが、「フライドポテト、好きなんですか」と笑った。
「三日前に初めて食べてたんですけど、おいしくてびっくりしました」
「それはよかった。何も注文しないで席に着くのは悪いなと思って注文したんですが、よく考えたらあまりお腹が空いていなくてね。まだ手をつけていません。もしよければ食べてもらえませんか。まだ七分しか経っていないので、それほど冷めてないと思います」
「いいんですか? ありがとうございます。いただきます」
有賀は、「ふふ、Lサイズだ」と言って、子どものような手つきでフライドポテトに手を伸ばした。
「おい、ちゃんとお礼を言ってから――あ、言ったか」
初対面とは思えないためらいのなさにぼくの方があたふたする。東堂さんは、「わはは」と明るく笑い、テーブルに肘をついた。
「つぐみさん、食べながらでいいので、質問に答えてもらえますか」
「あ、はい」
「二つのことをおうかがいします。どちらも航太君がいないところで聞いておきたい質問です」
有賀は本来の目的を思い出したらしく、椅子の上できゅっと体を縮めた。
「まずは航太君の得意科目と不得意科目を教えてください」
ぼくなら間違いなく、「えっ、得意科目ですか?」と聞き返している。でも有賀はとまどう素振りすら見せなかった。なぜならとまどっていないからだ。
「得意かどうかはわかりませんけど、理科が好きだと思います。小学校の時の自由研究はいつも生き物の観察とかをやってました。苦手科目は私と一緒で数学です。この前の中間テストで四十三点を取って、母に嘆かれていました」
東堂さんはしれっとした表情で、「なるほどなるほど」と相づちを打つ。
「二つ目におうかがいしたいのはハマモト君の死因です。それと、もしご存知ならハマモト君が亡くなったときの様子もお聞かせください」
有賀の肩がびくりと反応した。きつい質問だ。たしかにこれは航太君の前では口にできない。
「脳内出血です。秋祭りのあった日の夜中に急に頭が痛いって言いだして、ご両親が救急車を呼んで病院に運ばれて、朝方の五時過ぎに亡くなりました」
三日前に聞いた話では病死ということだった。それがかなりくわしい内容にバージョンアップされている。あれから有賀なりにいろいろ調べたのだろうか。残念なことに、死因、タイミング、状況など、そのすべてが航太君のとった行動が原因だとみなすことができてしまう。これはかなりまずいのではないか。ぼくは東堂さんの顔を盗み見た。表情に変化はなく、どう思っているのかはわからない。
「ありがとうございます。大変参考になりました。では、有賀さんのお宅に参りましょう」
東堂さんはさっと席を立った。
「え、もういいんですか」
こんな質問だけで今回の相談に対処できるのだろうか。二つ目の質問はなるほどと思ったが、最初の質問は必要だったのか。もっと聞いておくべきことはないのだろうか。
「東堂さん」
「なんだね。ぐずぐずしてると置いていくよ」
「大丈夫なんですか、航太君は」
東堂さんは有賀とぼくを交互に見てふわりと微笑んだ。
「引き受けたからにはなんとかするよ。ただし、キミの協力とフォローが必要になりそうだからそのつもりで」
有賀の自宅は、古い住宅街の中ほどにある二階建ての一軒家だった。小さな門から玄関までは五歩の距離で、有賀が、「ただいま」と言いながらドアを開くと、正面に見える廊下の奥からぱたぱたとスリッパの音が近づいてきた。
「おかえり。あら、お客さん?」
夕食の支度中だったらしく、ぼくたちを出迎えた有賀の母親はエプロン姿で、ふわりとかつおだしの匂いがした。
東堂さんが半歩前に出て、丁寧なおじぎをする。
「夕食前のお忙しい時間帯に突然おじゃましてしまい、申しわけありません。私は桜池駅前で小中学生を対象とした学習塾を経営している東堂と申します」
いつの間に取り出したのか、一枚の名刺が有賀の母親に手渡された。
「はあ、学習塾の」
「つぐみさんから航太君のことについてご相談を受けて、本日は直接ご本人にお話をうかがおうと思ってやってまいりました。聞くところによりますと、航太君は数学が少し苦手のようですね。小学生のときの算数と中学での数学では、授業の内容が大きく変わりますから、苦手意識が生まれてしまうお子さんは多いのです。でもご心配にはおよびません。まだ一年生ですから、今からでも取り組み次第で十分に間に合います。ああ、こちらにいるのはつぐみさんのクラスメイトで守山君といいます。彼が今回のことを取り次いでくれました。それで、航太君はご在宅でしょうか」
よくもまあ適当なことを次から次へと、と思ったが、よくよく聞いてみると嘘は一つもついていない。ただ、訪問の本来の目的を説明していないだけだ。
「ねえ、東堂さんって、塾の先生だったの?」
有賀がぼくの耳元でささやく。
「うん、そういえばまだ東堂さんのことをちゃんと説明してなかったな」
ぼくもついつい小声になる。
「おい、キミたち、なにをこそこそやっている。お母さんから許可をいただいたぞ。さあ、上がらせてもらおう。つぐみさんは航太君の部屋まで案内をよろしく」
東堂さんに急き立てられ、ぼくと有賀はあわてて靴を脱いだ。
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