1-04

 その日、航太君は、学校の部活帰りに友人の下山君と二人で桜池神社の秋祭りにでかけた。


 桜池神社の参道はつらつらと長く、一の鳥居から二の鳥居までの間に毎年数多くの露店が並ぶ。航太君にとって秋祭りの一番の楽しみはこれらの露店めぐりだった。この日のためにこつこつ貯めた小遣いに親から別枠でもらった五百円を加えた軍資金で、何を買おうか食べようかとわくわくしながら一の鳥居をくぐるのだ。


 秋の夕刻は短く、襟足をなでていく風とともにひやりと夜がやってくる。そこからが祭りの本番だ。ぎらぎらと光を放つ露店の照明と、その背後に広がる青黒い闇が雰囲気を盛り上げる。まずは腹ごしらえだと二人は焼きそばを買った。お面屋の横にあるちょっとした隙間で立ったまま食べる焼きそばは、やたらと味が濃くて油っぽかった。


「あれ? 有賀君と下山君じゃない」

 くじ引き屋をのぞき込んで景品の品定めをしていると、聞き覚えのある女子の声がした。航太君はすばやく振り向いたが人が多すぎて声の主を見つけられない。


「やっぱり有賀君だ」

 ゆるゆるとした人の流れから少し外れたところに同じクラスの大園さんと安西さんが並んで立っていた。クラスの中では特に目立たない二人だったが、学校では見ることのない女子の私服姿は新鮮で、夜のお祭りという舞台効果もあり、どきっとするほど可愛く見えた。


 二人はすたすたと近づいてきた。

「有賀君たちは、なんか買った?」

「あ、うん、まだ焼きそば食べただけだけど」

「わたしはこれ」

 大園さんが赤いリンゴ飴をぐいと突きだして微笑んだ。

 それからなんとなく、四人でおみくじを引こうということになり、人混みの参道を本殿の方に向かって歩きはじめた。


「おうおう、ジミーズ同士でダブルデートかよ」

 野太い声は隣のクラスのハマモト君だった。額の上に狐のお面をのせ、左手にはかじりかけのフランクフルトを持っている。取り巻きの田代君と永沢君も同じ格好で斜め後ろに立っていた。


 ああ、せっかく楽しくなりそうだったのに。


 航太君の口から漏れたかすかな吐息をハマモト君は聞きのがさなかった、。

「なんだよ、わざとらしいため息なんかつきやがって。俺たちがいると迷惑なのかよ」

 ちらりと横目で下山君の様子を探ると、視線をつま先に落として固まっている。大園さんと安西さんは顔を見合わせて、こそこそと小声でなにやら言葉を交わしている。


「なんか言えよ。祭りだからってジミーズが集まって浮かれてんじゃねえよ」

「浮かれてるのはあんたたちじゃないの。三人でおそろいのお面だって、バカみたい」

「うっせえ、ブス女」

「サイテー。行こう、リコちゃん」

 大園さんは安西さんの手首をつかむと、くるりと背を向け、人混みをかき分けるようにして元来た方へと駆けていった。ハマモト君はふんと鼻を鳴らし、再び航太君の方へと向き直った。


「おい有賀、なんでさっきから黙ってんだ」

「そうだよ、こっちから話しかけてやってんのに失礼だぞ」

「あれっ、もしかしてお前、泣いてんの?」

 田代君と永沢君が調子にのってぐいぐいと前に出てくる。下山君がびくりとして半歩後ろに下がる。航太君は口を閉ざしたままハマモト君の目をにらみ返す。ハマモト君は、「ちっ」と舌打ちをした。

「もういい。どっかいけよ。なんかさ、お前を見てるといらいらして、頭の中までむずむずしてくるんだよ」

 そう言いながらハマモト君は後頭部を右手でばりばりと掻き、それでも航太君がだまっていると、「けっ、うっとうしいやつ」と言い捨て、取り巻きの二人に、「行くぞ」と声をかけた。航太君は無言で三人の後ろ姿を見送った。


 すっかり元気をなくした下山君は、「ぼくももういいや」と言って、暗い顔のまま先に帰っていった。航太君のお祭り気分も醒めてしまったが、なんとなく踏ん切りがつかず、雑踏の中を行きつ戻りつしているうちに、気がつけば二の鳥居の脇に立っていた。


 参道沿いの光と喧噪から少し離れたその場所は、冷えた空気と透き通った闇に満ちていて、ささくれた気持を落ちつかせるにはちょうどよかった。深く息を吸い、頭がすっきりしたところで周囲を眺める余裕が生まれた。すっかり葉を落とした桜並木の幹と幹の間、本殿方向の暗がりの中に、ぽつんと一つ、黄色味を帯びた明かりが見えた。

 あんなところに店があったっけ。

 二の鳥居から先に露店は出せないはずである。でもあの明かりの雰囲気はいかにも夜店という感じがする。興味を引かれた航太君は、その明かりを目指して参道の端をそろそろと歩いた。


「やあ、いらっしゃい」

 折りたたみの椅子に腰かけた男が力の抜けた声で航太君を迎えた。

 白い開襟シャツ、くすんだグレーの作業ズボンに年季の入った登山靴。ファッションに興味のない航太君でさえ、ちぐはぐな取り合わせだと思った。

 こんな所で、お客さんもいないし、何屋さんなんだろう。


 あらためて男の顔を見る。

 長くも短くもない髪、輪郭のはっきりしない眉、少し色素の薄い瞳、日本人として平均的な高さの鼻、口角がわずかにあがった薄い唇。まばらに無精ひげの散った顎。見事なまでに特徴がない。各パーツの配置も無難で顔全体の印象もぼんやりとしている。年齢も不明だ。判別できるのは成人男性であるだろうということだけだった。


 男と目が合った。

「どうしてこんなところまで入って来ようと思ったんだい」

「どうしてって、なんとなくぶらぶらと、散歩みたいな感じで」

「なんとなくね」

 男は薄く笑った。

「まあいいや、気に入ったのがあったら声をかけておくれ」


 男の足元に敷かれたブルーシートの上には、用途不明な真鍮色の金具、青い模様の描かれた陶器の皿、汚れのついた三角フラスコ、ソフビの怪人、さびた十徳ナイフ、四つ足の木彫りの動物など、とても売り物とは思えない品々が統一感なく並べられており、それら一つ一つを裸電球の古びた光が薄暗く照らしていた。


 航太君はがらくたの中にある一枚の木の板に目を留めた。黒い筆文字で〈丹波屋〉と書かれている。男は目ざとく航太君の視線の先を捕らえ、「お客さん、申しわけないけどそれは売りもんじゃないんだよ」と言った。

 別に欲しいと思ったわけではない。文字が目に入ったのでつい読んでしまっただけだ。


「じゃあ、何なんですか」

「この店の看板代わりに置いてるのさ」

 だったらそれらしく自分の足元にでも立て掛けておけばいいのに。

 航太君はぶつぶつ思いながら、半分ほど土が入った透明なガラスの瓶を指さし、「これは何ですか」と聞いてみた。

「今年産みたての鈴虫の卵さ。全部で十個入ってる。鈴虫を飼うならおすすめだね」

 いらない。というか、ガラクタだけじゃなく生き物まで売っているのか。


 そう思ってあらためて眺めると、どれもが意味ありげに見えてくる。卵入りの瓶の横にある細長い木の箱に目を向けた。長さは五十センチぐらいだろうか。掛け軸とか壁掛けカレンダーをくるくると巻いて入れるのにちょうど良さそうな形状だった。


「そいつが気になるかね」

 男は椅子から腰を浮かせてひょいと手を伸ばし、木箱をつかむと、航太君に「どうぞ」と手渡した。思わず受け取った木箱はやけに軽く、乾いた古い木の匂いがした。用途がわからないまま少し揺すってみる。中で何かがごそりとずれ動く感触が伝わってきた。

 何が入っているのだろう。

 箱の上面には少し黄ばんだ細長い紙が貼られており、墨で書いたと思われる片仮名が縦一列に並んでいる。日に焼け色褪せてしまったその文字を薄暗い明かりの下で読むには時間がかかった。


 ネンズレバ イカナルトコロモ カケルマゴノテ


 なんとか文字は読めたが、すぐには頭の中で意味のある文章に変換されない。

「そろそろ店じまいなんでね、安くしとくよ」

 用途もわからない、中に何が入っているかもわからない、そんな得体の知れない古びた箱を買うわけがないだろ、と思ったが――


「いくらですか」


 航太君は自分の口から出た言葉に驚いた。

 男はすっと目を細めて、航太君の頭のてっぺんからつま先までをゆっくりとなぞる。

「千七百四十円にしとくよ」

 高いのか安いのかわからない半端な金額だった。

 航太君はカバンから財布を取り出しファスナーを開けた。中には千円札が一枚と何枚かの硬貨が残っている。

 足りるだろうか。

 全部を取り出し、手のひらの上で数えてみる。

 ちょうど千七百四十円だった。


 帰り道、航太君は男とのやり取りを思い出しながら足早に歩いた。

「これはどういうモノですか」

「そこに書いてある通りのモノさ。孫の手だよ。自分の手の届かない所を掻いてくれるやつ。ただし――」

「ただし?」

「箱を開けたらだめだよ。絶対にね」

 箱から出せないのであれば使い物にはならない。が、もう買ってしまっている。男は店仕舞いをはじめている。やっぱりいりませんとは言えなかった。


 家につくと夜の十一時を過ぎていた。家族はもう寝てしまったのか、家の中はしんと静まり返っている。航太君は足音を忍ばせて階段を上り、二階の自室にそうっと入った。

 小脇に抱えていた箱を床に置く。


 ネンズレバ イカナルトコロモ カケルマゴノテ


 神社の片隅に現れた異世界のような空間ではなく、明るい蛍光灯に照らされた自室という現実感のある場所でなら、紙に書かれている文字はすっと読めるし意味もわかる。

 たとえば心の中で、「背中を掻きたい」と強く思えば、背中を掻いてくれる孫の手、ということなのだろうか。掻く場所は背中に限らず、腰でおなかでもいいと。ただ、意味はわかるがその具体的な使い方がよくわからない。そもそも箱から出せないのだ。じゃあ、どうやって背中を掻くというのか。


 孫の手が自力で箱から出てくるとか。


 航太君は頭の中に映像を思い浮かべてみた。その孫の手は、生々しくリアルな人の手を模したもので、箱に向かって、「背中を掻いてくれ」と念じると、中からふたが押し開けられ、肘から先だけの腕がぞろりと姿を現し、床を這い、背中をよじ登り、首の下あたりをかぎ型に曲がった四本の指でがしがし掻くというシュールな映像を。

 まるでB級のホラー映画じゃないか。

 航太君は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、背中を這い上ってくる指の感覚をリアルに想像してしまい、全身をぶるりと震わせた。


 これ、どうしよう。


 揺すったときの感触から中に何かが入っていることは間違いない。貼られている紙と男の説明によればそれは孫の手だ。本当だろうか。自分の目で確かめたいのであれば、今ここで箱を開ければいいのだろうが、男に言われるまでもなく、絶対開けてはいけないやつだという感じがする。開けずに試すだけならどうだろう。そう、念じてみるのだ。でも自分の背中は嫌だ。さっき思い浮かべた映像が再生され、背中がざわざわする。


 ふと、ハマモト君の顔が浮かんだ。

「なんかさ、お前を見てるといらいらして、頭の中までむずむずしてくるんだよ」


 だったら掻いてあげようか。僕のせいでむずむずさせてしまった頭の中を。

 その思いつきはとても魅力的だった。

 航太君は箱に向かって正座をしてみた。それだけで雰囲気が出る。なんとなく合掌し、「ハマモト君の頭の中を掻いてください」と強く念じてみた。

 すると――

 箱の中でカシカシと二回、板を引っ掻くような音がしたという。

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