妄想彼女

1-01

 有賀つぐみはちょっと変わった女の子だ。

 虫が好きで、甘いものが苦手。小さな子どもに人気があり、流行には無頓着。特別美人ではないけれど、表情が豊かで、コロコロ笑うときの声が耳に心地よい。まだある。猫舌で方向音痴なのだ。これはずるい。もちろんよい意味で。

 あ、もう一つ重要なポイントを忘れていた。ボブの黒い髪を赤いヘアゴムでスズメのしっぽのようにきゅっと束ねているのである。無造作に。


 有賀とは二年生に進級して同じクラスになった。一学期は名簿順だったが二学期はくじ引きで席を決めた。有賀が窓際の前から三番目で、ぼくはその右斜め後ろの席になり、授業中のほとんどの時間、有賀は窓の外を眺めていることを知った。ぼくたちの教室はグラウンドに面しており、体育の授業がよく見える。でも有賀の様子を観察していると、地上ではなく空を見ているようだった。


「有賀って、どの授業でも、ずっと外を見てるよな」

 新しい席になって一ヶ月ほど経ったとき、ついに我慢ができなくなって声をかけてしまった。

「うん、UFOがいないかなあと思って」

 形が変わっていく雲を見ていると飽きないの――みたいな反応を予想していたのだが、まさかのUFO待ちだった。

「UFO? 見たことあるのか」

「うん、小さい頃から何回も見てるよ。この高校に入ってからは二回ある」

 あるのか。

 ぼくも人よりは夜空を見上げている方だと思うが、UFOを見たことは一度もない。


「守山君は、UFOってなんだと思う?」

「宇宙船じゃないの? いわゆる宇宙人の」

 有賀は窓の外に目を向け、「やっぱりそうなのかなあ」とつぶやいた。

「違うのか」

「だってさ、地球にまでやってこれるほど科学の進んだ宇宙人の乗り物だとしたら、簡単に見つかりすぎだと思うんだ。地球人がいることはわかってるんだから、調査するにしても観測するにしても、もっとこっそりやればいいのにって。夜にわざわざ光ったりして、いかにも見てくださいって感じがさ、なんだかね」

「じゃあ、有賀は何だと思ってるんだよ」

「気象現象とか、未知の生物とか、いろいろ考えてはいるんだけど、これっていうのはまだないかな。私が見たのってほとんどが球形であんまり特徴がなかったし」

「球形なら、気球とかを見間違えたとかじゃないの」

「そうかもしれない。でも動き方が直線的で鋭かったんだよね。風に流されてるって感じじゃなかったなあ」

「ふうん、直線的で鋭い動きねえ。人工衛星じゃないよな」

「人工衛星は光の点にしか見えないでしょ。それに行ったり来たりしないし」

「行ったり来たりするのか。じゃあ人工衛星じゃないなあ」


 ここでぼくは、はっと我に返った。いったい何の話をしているのだ。


「守山君も、もしUFOを見かけたら、どんな感じだったかを教えてよ」

「ああ、わかった」


 この日から、ぼくと有賀は休み時間にぽつぽつと話をするようになった。

 有賀の愛読書は『月刊ムー』で、今一番気になっているのは『ヴォイニッチ手稿』というものらしい。よくわからない手ぶりでその魅力を一生懸命伝えようとしてくれるのだが、残念ながらほとんど頭に入ってこなかった。ぼくは双眼鏡で見る月のクレーターの美しさと、スピッツの意味不明な歌詞について語った。たぶん、ぴんときていないなというのは伝わってきたが、にこにこしながら聞いてくれた。

 かみ合わないのに心地よい。これまでに経験したことのない不思議な感覚だった。


 あるときつい油断して、男子数人の雑談の場で、「有賀ってちょっといいよな」と口にしてしまったことがある。それを耳にしたマサトは、「え、どこが?」とマジな顔で聞き返してきた。あとの二人も不思議そうな顔をしていた。


 そうなのか。お前ら、何とも思わないんだ。


 それからいろいろ探りを入れてみると、クラスの男子の間では、マサトたちの感覚が一般的で、ぼくはどうやら特殊な部類に入るらしいということが判明した。

 ふーん、よいではないか。ぼくは強がりではなくそう思った。このクラスでぼく以外、有賀のかわいさを知らないということなのだから。


 その有賀が、今日は朝から暗い顔をしている。友達からおはようと声をかけられたときだけ笑顔を浮かべるが、次の瞬間にはすっと表情が消えるのだ。一時間目の数ⅡBでは、ほとんどノートを取っていなかったと思う。そんな有賀を見るのは初めてだった。


「航太が人を殺したかもしれないの」


 そろそろ昼休みが終わろうかというタイミングだった。机を挟んで向かい合う有賀の口から出た言葉は、意味をなさないまま、ぼくの頭の中を通り過ぎていった。

「えっと、ごめん。今、何て?」

「だからね、弟の航太が人を殺してしまったんじゃないかって」

 ぼくはあわてて周囲を見渡した。教室にはぼくたち二人のほかに女子三人のグループしか残っていない。三人は顔を寄せ合い「わかる」「やっぱそうだよね」と何やら話し込んでいて、有賀の物騒な言葉は聞こえなかったようだ。


 ぼくは改めて有賀の顔を見た。

 まっすぐに見返してくる大きな目は、あとちょっとで何かがせきを切ってあふれ出て来そうな危うさをはらんでいる。 

 たとえ話や冗談ではないということか。

 ぼくは頬の裏側にたまったつばをそっと飲み込んだ。


「どうしよう。やっぱり警察に行かなきゃだめだよね」

 女子グループの会話がぴたりと止まった。「警察に行く」という部分が耳に入ったのだ。ぼくは彼女たちの視線を背中で遮るように上半身をねじり、有賀に向かって口の前で人差し指を立てた。

「ストップ。続きは放課後にしよう」

 有賀はきゅっと口を結び、小さくうなずいた。


 午後四時過ぎのマクドナルドは空いていた。ぼくと有賀は窓から一番遠くトイレに一番近いすみっこの席に腰を落ち着けた。

 小さなテーブルをはさんで向かい合い、まるっとした有賀の顔を正面から見てあらためて思うのは、弟が人を殺したかもしれないなんて話を、よくもまあ家族以外の人間に打ち明けるよなあということだ。それはつまりぼくが信頼されているから、というのであればちょっとうれしいのだが、たぶん違っていて、有賀の無防備な性格によるものだと思う。


「私ね、マクドナルドってはじめてなんだ」

「ほんとに? それってかなり珍しいかもよ」

「そうかな。あ、このポテトおいしいね。私もLサイズにすればよかったかも。でも夕ご飯の前にそんなの食べたら太っちゃうか」


 なんか違う。有賀がこんな普通の女の子みたいな会話をするなんて変だ。

 ぼくは有賀の目をのぞき込んだ。有賀は一瞬遅れてテーブルの上に目を落とした。

 なるほど。いざ話をしようという状況になって、その内容の重大さに今さらながら怖じ気づいてしまった。そんなところだろうか。


 まてよ、それは話を聞く側としても同じこと――いや、話す側以上の覚悟が必要なんじゃないか。航太君が本当に人を殺していたとしよう。その話を聞いてしまえば、ぼくも関係者の一人ということになる。たとえばいじめの相談だったなら、助言やフォローなど、ぼくなりの関わり方で有賀や航太君の負担を軽減できるかもしれない。だけど人を殺したとなれば話の次元が違う。有賀のためにできることがまったく見えてこない。

 それでも聞くのか。聞いてどうしようというのか。

 有賀はまだ話をはじめる気持にはならないみたいで、残り二本のフライドポテトを指先でもてあそんでいる。隣のテーブル席にスーツ姿の中年男性がどかっと腰を下ろした。店内が少し混みはじめているようだ。


 ぼくはぬるくなったコーラを一口飲んだ。


 さて、どうしようか。

 本音を言えば、このまま中身のない雑談をして一時間ほどを過ごし、二人並んでなんとなく歩き、学校の前に戻ったところで、「じゃあ、またあした」と互いに手を振って終わりにしたい。でもそれはだめだ。ぼくはもう「航太が人を殺したかもしれないの」という告白を聞いてしまっている。そうだ、話の核心部分はすでに知っているのだ。となれば現時点で立派な関係者の一人である。

 逃げられないなら正面から向き合うべきだ。ぼくは深く息を吸い、腹の底の方にぐっと力を溜め、心の中で「よし」と気合いを入れてから顔を上げた。


「さてと、そろそろ本題に入ろうか」

「うん」

 有賀は指先についたフライドポテトの油を紙ナフキンでぬぐい、両手を膝の上に置くと、口を固く結び、揺るぎない真っ直ぐな視線を向けてきた。覚悟を決めたという顔だ。

「少し長くなるかもしれないけど、順番に話すね」

「おう」


 このあと、有賀によって語られた内容は、ぼくの予想をはるかに超えるものだった。

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