第36話

エレベーターを降りてエントランスを抜けたあたりでスマホを取り出し、部長から来ていたラインに「終わりました。今から戻ります」を打つとすぐに既読になり、部長から着信が入った。


「はい、もしもし…」


「今どこにいる!?」


 私の声にかぶさる勢いで問いかける部長に慌てて、「マンションを出たばかりです」と答えると「そこで待ってろ!!!」とすぐに電話が着られた。


 邪魔にならない場所に少しだけ移動して言われたとおりに待っていると、もうすっかり見慣れた部長の車が乱暴に近くに止められたかと思うと、怒っているオーラを全面に出した部長が運転席から降りて私のところに向かってくる。


 お!怒られる…!!!と目をつむった私が次に感じたものは、汗で体温と息が上がった部長の締まった胸板と強い腕の感触だった。


 グイッと強引に腕の中におさめられた私は身動きなんてとれず、今の状況を理解することに精いっぱいだった。

 

 力強い部長の腕に心臓がバクバクして、耳元に感じる部長の息に心臓が破裂寸前まで追い込まれていった。


「ぶ、ぶちょ…」


「なんで黙って1人で行くんだよ……!」


「だ、……だって、これ以上迷惑も心配も、かけたくなくて」


「黙って1人で行かれる方が心配だし迷惑なんだよ!まじで…、何もなくてよかった……」


 安堵する部長の声に嬉しくなる涙腺があるのに、心の奥の奥に隠した自分が顔を出して”なんでこんなに優しくするの?…部長には大事な人がいるのに……!!”、バカなことを訴えかけるんだ。


 ずっとずっと、部長は部下として私を心配してサポートしてくれてるだけで、部長の行動全てに深い意味なんてないんだ。

 勝手に自惚れて期待して傷ついてる私が自意識過剰でバカで、翔真のことも部長のことも自分本位でしか見れてない最低女。


 部長の腕が緩んでやっと、至近距離でも部長の顔が確認できる距離ができた。

 

「荷物はこれだけか?」


「は、はい」


 部長はそれ以上言わずに私の荷物を受け取ると車の後部座席に入れて、私に乗れと合図を送り運転席に乗りこんだ。


 私はこの数日間ですっかり慣れてしまった部長の助手席に乗り込んで、翔真と暮らしたマンションから逃げこんだ部長のマンションに戻る。


「田中と少し話しはできた?」


「…はい、いってらっしゃいと背中を押してもらいました」


「……落ち着いたら話し合いはできそう?」


「しなきゃいけないとは、思っています。ただ、今は何も考えずに休みたかったので、部長のおかげで冷静になれると思います」


 でも、冷静になって話し合いをしたことで、私と翔真の将来は何か変わることはあるのかな、元に戻ることはできるのかな。


 私と翔真はこのまま一緒にいていいのかな。

 莉緒を巻きこんでしまった。

 私たち以外を傷つけてしまったのに、私たちだけ全部元通りになんてできるのかな。


 流れる景色を見ながら頭の中に浮かんでは消える言葉たちに飲まれる直前、部長の声がすっと心に入りこんだ。



「自分を優先していい、今は、ゆっくり休んでいいんだ」



 なんで部長は、私を救いあげるのがこんなに得意なんだろう。

 なんで部長は、簡単に私のことを理解してしまうんだろう。

 


「部長は、ずるいです」


「はあ?感謝されることはあっても、ずるいなんて言われる要素一個もねえけど」


「ずるいです!何度も何度も、簡単に私のこと助けて、大事な人がいるのに、……私も部長の特別なんじゃないかって、錯覚しちゃうし…」


「すればいいじゃん」


「……え?」


 てっきり否定の言葉が返ってくると思っていたのに、部長から聞こえた肯定の言葉にびっくりして、景色を見ていた顔を運転している部長に思いっきり向けたら、真剣な顔で前を向いていた部長が追い打ちをかけるように、「少なからず、二宮は俺の特別だよ。だから、心配だし助けたくなる」、そう言った。


 私はもう、それ以上何も言えなくて、どうしていいかわからない反応してしまう自分を見せたくなくて、ずっと景色の方を向いて過ごした。

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