第35話

奥さまの写真に目を向けると、昨日と変わらず優しい表情で笑っているけど、なんだか罪悪感から「ごめんなさい」と謝っていた。


 きっと部長が寝たのは私よりだいぶ後だし、今日も休日なんだから可能な限り寝かせてあげたいと思って、私はそのままリビングを後にして、一旦自宅に戻るための支度を始めた。


 時間が経ってから荷物を取りに行くよりも、朝が弱い翔真のことを考えて早めに取りに行った方が得策だと思う。

 昨日と同じ服に袖を通し、スキンケアを日焼け止めだけを塗った顔に帽子をかぶせて、自宅に向かうことにした。


 起きた時に居なかったら心配かけると思うから、荷物を取りに行くことを書いたメモを寝室に置いていくことにした。


 部長、荷物一緒に取りに行くって言ってたけど、ここまでしてもらってそれ以上迷惑かけたら罰があたる。

 問題起こさず戻ってくるので、安心して待っててください。


「いってきます」


 外に出ると陽が出ているため視界が明るかったが、半袖のワンピース1枚だと朝はまだ肌寒く感じた。


 部長のマンションから自宅まで距離があるし、電車の乗り継ぎも心配だったので、すぐにタクシーを拾って向かうことにした。


 向かう車内の中でスマホの着信やラインを確認するが、とくに翔真からの連絡はなく、当然莉緒からも連絡があるわけなく、翔真がもう起きていて再会するときのことを考えて憂鬱になる気持ちを必死でかき消した。


 長く感じる距離も、心臓をバクバクさせる不安が私を追いたてるせいか、あっという間に自宅の前まで来てしまった。

 タクシーを降りることには昨日のうちに連絡先を交換した部長から着信とラインが入っていたけど、先に用事を済ませることを優先して、返事は後回しにした。


 なるべく音を立てないように鍵を回して玄関を開くと、飛び出した昨日と変わりない家の中で、莉緒のパンプスがなくなっていることを確認出来て、ほっと一息つけた。


 そのまま中に進み、自分の部屋のクローゼットから数着の上下と下着などを旅行用のトランクに手早く詰め込んでいく。

 洗面台から自分のスキンケアアイテムなどを運び出している途中で翔真の起きる音が寝室から聞こえてきてドキッとした。


 そのまま扉が開いて、荷物を抱えて廊下で硬直する私を見つけた翔真の目が大きく開かれたけど、何も言わず私と目線を合わせずに隣をすり抜けて洗面所に消えていった。


 通りすぎるときに聞こえた翔真の小さな小さな声は「ごめんね、気をつけていってきて」と私の家出を後押しするものだった。


「うん…いってくるね」


 戻ってくるから、必ず、話しあうためにちゃんと。

 翔真と向き合うために、距離を開けるけど、必ず戻ってくるから。

 聞こえるか分からない私の「行ってきます」も廊下で消えて、私は詰め込んだ荷物を抱えてもう一度、翔真と過ごしたこの家を出た。

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