第32話

行く宛てなんてすぐに見つからないし、翔真とのことを考えてからじゃないと、友達や親のところに泊めてもらうわけにはいかない。


 今の私が逃げれる場所は、どこにもない…。


 気持ちが落ち着くまでぶらぶらしたら、マンガ喫茶やビジネスホテルにでも泊まろうと決めて、適当に歩いていたら、なんでか会社の前まで足が向いていた。


 いつのまにかいつもの通勤路を歩いていたみたいで、気づいて目線をあげたら自社のビルの前だった。


「今日は土曜日なのに…会社着ちゃったよ」


 自虐的に笑うけど笑いにならない声がこぼれただけだった。


 もう何も考えたくない。

 仕事も、翔真のことも、全部全部、何も考えたくない。

 全部、なかったことにしたい。





「二宮?」






 聞きなれた声が耳に届いて目線を上げると、少し離れた所から私を見る部長の姿があった。


「お前、こんな時間に何やってるんだよ。田中と話し合うんじゃなかったのか?」


 近づく部長をただ黙ってみることしかできなくて、私は何も言えなかった。

 涙なんかもう出ないのに、必死に唇を噛みしめてここから逃げたい衝動を抑えていると、私の目の前に部長が立った。


「…………ッ」


「ケンカしたのか?」


 フルフル首を横に振る私に、部長は様子を聞きだすにはどの言葉がいいのか思案しているのが感じ取れた。


「……ケンカも、できなかったんです、話し合うことも、もう、全部が遅かったんです…」


「…なんで?お互いを大事に思ってるんだから、まだ間に合うだろ?」


「だめなんです、もう。私は翔真だけじゃなく、莉緒まで巻き込んで…、もう取り返しがつかないんです…」


「柏木も巻き込んでって……、ッ!お前、今日帰る場所は?」


 この質問にも頭を振るだけで、言葉は出て来ない。


 部長は数十秒間、黙ったまま考えこんだと思ったら、少し乱暴に私の腕を掴んで歩きだした。

 少し歩くとパーキングに止めた部長の車があり、乱暴に開けられた助手席に有無を言わさず入れられた。


パーキングで支払いを済ませた部長が運転席に乗り込み、車を走らせた。

 昼間のドライブとは違う景色を眺めながら、楽しかったあの時と変わらない部長の車の匂いと音楽に、枯れたはずの涙が顔を出した。


「二宮、しばらく俺の家に止まれ。うちには女性物が置いてないから、必要なものは帰りに寄るコンビニで買ってこい。着替えや仕事で使うものとかは明日取りに戻ろう」


「……え?、部長のところに?だめです!奥さまになんて説明するんですか…!!」


「……言ったろ。女性物が置いてないって。一切、ないんだよ」


 空気が止まるって、きっとこういう時を言うんだと思う。

 だって、わけがわからなかった。


 だって、だって、部長には奥さまがいるのに……
















部長の泣きそうな横顔に胸が締めつけられた。


今まで見せた表情の意味を、教えてくれますか?

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