第59話

「うう…う…っ…あああっ…」



『ひなた』


二人だけになったバックヤードで、愛しそうにわたしを腕の中に閉じ込めて、優しく優しく初めて名前で呼んだ。


『て、店長…』


『俺も、ひなたって呼んでいい?』


わたしよりも高い身長なのに、腰を屈めて甘えるように首もとに顔を埋める。


『もちろん、です…店長に、名前を呼んでほしい』


抱き締め返した背中は見た目以上に筋肉質で、夜の店長を生々しく思い出してしまった。


顔が真っ赤になった私を見て、店長は『変態』と笑ってキスをした。





『なあ、最近蔵永と仲良くしすぎじゃね?』


『え……』


店長からそんな言葉が出ると思ってなかった。


『そんなことないよ』


本心で言ったのに、店長はイライラした様子でタバコに火をつけた。


こんなに不機嫌オーラを全開に出すのは珍しい。


情事後の寝室、店長は下だけを隠した状態で片膝を立ててタバコを吸っていた。


散らばった中から下着を探していたわたしは、焼きもちを妬いている店長の隣に戻って、頬に小さくキスをした。


驚いてこっちを見る店長に、『蔵永くんと仲良くないしほんとは怖くて苦手だし、店長しか眼中にないよ』と伝えると、わたしが苦手なタバコ味のキスをくれた。



次々に思い出される記憶に涙が溢れて止まらない。


数えたらとても短い期間だったのに、一生分の恋をした気分だった。


こんなに短い間に2度も別れを経験するなんて思わなかった。


悠真と過ごした時間の方が何倍も長かったのに、店長との思い出のほうがたくさん流れてくる。


悠真の時よりも辛い、店長との別れのほうが断然辛い、辛い、辛いよ。


じぶんから好きな人を手放すってこんなに辛いんだね。



店長の香りが体に残ってる気がして、無意識に店長を探す自分がいた。


今日は我慢せず泣こう。


明日も、辛かったら泣いてしまおう。


明後日も明々後日も、涙が枯れるまで泣いてしまおう。


この悲しみを胸に閉じ込めることなく、全部流してしまうまで。

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