第37話

はせくんは、レジ締めを始めていた久保田さんに何かをいい、バックヤードの方へ。


 はせくんを目で追っているのがバレないように、様子を見つめていた。


 「はあー……」


 視界から完全に消えたはせくんに、緊張の糸をほどく。


 いきなりあんなことするなんて思わなくて、本当にびっくりした。


 営業時間中の、お店でしたってことにびっくりして、怒りが先に来てしまったけど…。

 

 落ち着いてきた今、気づいたことがある。


 わたしが、はせくんにキスされたことには、怒っていないこと。


 キスされたことが、嫌じゃなかったこと。


 はせくんの背が、手が、わたしを死角で守ってくれたから、配慮だって、一応あったから…。


 焼きもち妬いて、した行動だったのに、わたしのことを大事にする意識は、残ってくれているのかな…って。


 都合のいい解釈だって生まれてしまう。


 こんなすぐに、気持ちの切り替えなんて出来ないし、はせくんと次の恋をしようなんて楽な考えに行けないし。


 心と脳がちぐはぐなことはわかっているけど、今はもう、情報処理で精いっぱい。



 ーーーーー情報過多で、苦しいです。










 バックヤードの扉が開く。


 一瞬、(里帆?)とびびったけど、映る影のデカさから、翔さんだ、と瞬時に理解する。


「はせー…お前、やったな」


 レジのときに何も言われなかったから、見ていないと思ったのに、がっつり見られていたらしい。


「見たんですか」


「見せられた、が、正しいです。お前らはーー…本当、節操なく…」


 お前らに含まれるのは、洸と俺のことだろう。


 反撃のつもりで「翔さんもですよね」と返してみたら「うっせーー」と、図星をつかれたような声が返ってきた。


 翔さんはレジ締めに使ったものを、金庫へと閉まっていく。


「焼きもち妬いちゃったのー?」


 子どもをあやすような言い方にいらっとするけど、反撃できる立場ではない。


「…はい。妬きました」


 大人しくうなずく俺に、翔さんが驚きを隠さない表情で振り返り、「それだけ本気ってことじゃん。亮は、かっこいいね」と。


 褒める言葉をもらってしまった。

 

 今の俺は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてるはず。


「三上さん、嫌がってた?」


「…フロアでしたことに、怒ってました」


「キス自体は嫌な感じゃなかったんでしょ?亮は、本気で嫌がることは、余裕なくてもしないし」


「……」


「タイミング的には、混乱するだろうけど…。亮が感じる気持ち、大事にしてみたら」


 翔さんはそれだけいうと、フロアに戻っていった。


 里帆と菜子さんで、仕上げの作業をしてるのかな…。


 畳みの整頓は、里帆以外のところは片づけたし、試着室や床、鏡の掃除は終えている。


 ネットを張る作業と、必要があれば両替ぐらい…だと思うけど、今は、俺も参っているから、里帆たちに任せよう。


「甘えてごめん…」


 でも、俺も、いっぱいいっぱいなんだ。



 ーーーーー疲れたよ。

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