第三章 その日、その時 ①

その女は「ひとりごとの多い薬屋」と呼ばれていた。常日頃から独り言ばかり言っているためである。


「今日の夕ごはん、何にしようかなあ。最近は乾物のスープばかりだったからなあ。たまには新鮮なフルーツが食べたいなあ…あっ危ない!」


「ちょっと、薬屋さん!危うく牛車で轢くところだったよ!道を歩く時はちゃんと前を見ないと!」


と、そんなことが日常茶飯事であった。


そんな彼女であるが、薬の調合技術は帝国内でも随一であり、その腕を買われて皇帝ファルムスの治療係として都に招かれていた。


”その日”の朝、彼女はいつものように皇帝の寝室に薬を届ける。


「皇帝陛下、お体の具合はいかがでしょうか」


「うむ、薬屋よ。おぬしが来てから以前より具合が良いぞ。薬が効いているらしい。感謝に尽きるぞ」


「何よりであります。陛下」


「それにしても薬屋よ、今日はなんだかいつもと薬の味が違うようじゃが」


「え、ええ、本日は元老院開会の儀、陛下もお言葉を述べられます。もしものことが無いよう、気付け薬を多めに調合いたしました」


「なるほど、すまんのう。にしても薬屋よ、今日はいつもと違い、”ひとりごと”が少ないようじゃが…」


「え、ええ、今日は私にとっても責任重大、大事な日なのであります。そ、そう、フェリオ様のこともありますし…」


「そうか、何から何まですまんのう。薬屋よ」


「それでは失礼いたします。陛下。お時間までお休みになられるとよいでしょう」


薬屋は何事もなかったかのように皇帝の寝室を出た。だが、その脚は微かに震え、額には冷や汗を滲ませていた。


廊下で薬屋を待っていたのはパルムスであった。薬屋は目配せし、すれ違いざまに小さな包を手渡した。


――やや時は遡って早朝、衛兵たちの待機宿舎にて。


元老院開会の日ともあり、衛兵たちは早くに目を覚まし、武具を身に着け夜警組と交代の挨拶を交わす。


しかし彼らは気付いていなかった。自分たちの中に一人部外者が、エルフ族魔法使いコンジェルトンが紛れ込んでいるということに。が、それもそのはず、彼は「シャドウボディ」の魔法を使い、身を隠していた。


コンジェルトンは杖をかざし、衛兵たちに「スロー」の魔法を弱めにかけた。衛兵たちの動作は、彼ら自身気付かぬほどの若干ではあるが緩慢なものとなった。


コンジェルトンは一通り魔法をかけ終わると宿舎を出て元老院議会の議場へと向かった。彼自身、元老院の一員として初登院である。その道すがら「シャドウボディ」の効果が切れた。


「コンジェルトンさん」

何者かが声をかけた。


「ダッファさん、だね」


「はい」


コンジェルトンはダッファに向かい、軽く杖を振った。


「ダッファさん、今あなたに”クイック”の魔法を弱めにかけたよ。これであなたの動きは素早くなっているはず。ただ、これから動くときには、逆に”ゆっくり”動くことを心がけてくれ。周囲に魔法を悟られては不味い」


「はい。気をつけます」


――こうして「その日」は始まった。それぞれのプレイヤーは「その時」に向け、着々と下準備を進めつつあった。

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