卒業と友-2



「いい匂い」


澪はぽつりと言った。


「ねえ、寄ってかない?」


「え、でも今日は午前中で終わるよ?」


優香が不思議そうに言う。


澪は「うん、そうだけどさ」と

『ベーカリーアポロ』の看板を指さしてなにか言いたげな表情を浮かべた。


「ほら」


見ると看板には営業最終日と書かれた張り紙がされていた。私たちの足はぱたりと止まる。


「ああ、そうだったね」


ふと口から溢れ出た。


お世話になったパン屋さんは、今日をもって店を畳む。おばちゃんは申し訳なさそうにそう語っていた。もう年だからって。


私たちは今日を境に、ここでパンを買って学校に行くことは無くなるし、


いつも1個おまけしてくれるあの優しいおばちゃんにも、もう会えないかもしれない。



「何にしようかなあ」



私がぽつりと言うと優香がからっと笑った。


「お、柚、食べる気満々だね。よぅし、なら私はきなこ揚げパンにしよっかなあ。いや、クロワッサンも捨てがたい……どうしよっかなあメロンパンもいいなあ……」


厨房奥からおばちゃんの姿が見えると優香は顔を明るくさせ、ガラス越しに手を振りながら「おばちゃーん来たよー」と率先して中へ入っていってしまう。自動扉が私の前で閉まった。



「卒業式だって言うのに、全然しんみりしてないね、優香」



私はそう言いながらもこの日常の延長に別れがあるのが信じられない、といった気持ちになる。


ふと澪を見ると、背の低い澪が私の袖を引いて、上目がちに見つめてきていた。


「あのね、ありがとう」


その小さく澄んだ声は冷える朝にはよく響いた。


「ん?」


「ほら、私ね? 2人と違って遠くの高校に行くから最後にみんなでここに来たかったの。でも今日は午前で終わりだから、来れないかなって思ってて……だから嬉しい」



なに、そんなこと考えてたの? と。

おもわず愛おしさが込み上げてきて、キュッと唇をはむ。


「毎日通ったからね。私もこの光景が見られなくなると思うとちょっと寂しいかも」



私は先に入った優香に視線を移す。


一歩踏み出すと自動扉が開いて、焼きたてパンの香りが外へと溢れ出してきた。


「いい匂い、お腹空いてきちゃった」


澪が可愛く言う。


ぼんやり明るい店内は暖かい。

おばちゃんと優香の会話が聞こえてきた。

優香がどれを買うか悩んでいるらしい。


焼きたてはこれだよ、とおばちゃんが指さす。

優香はそれをトングで優しく掴みながら、本当に、心底、不思議そうに


「おばちゃん、ほんとに今日でパン屋卒業するの?」


と訊いていた。



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