第8話 非通知電話

彩は家に帰ってから、お風呂に入っていた。


(今日は、仕事頑張ったな)次の瞬間に翔太を思い出していた。

(でもちょっとは、折れてくれてもよかったんじゃないかしら。折角の鍋が二人でいたのにしらけちゃったな。ハアー)今日の翔太の態度に少し腹がたっていた。


それでもちょっと熱めのお風呂につかりながら、よくよく考えてみたら‥‥。


(彼はちっとも悪くないよね。昨日私が泣き出したほどの話を、訊く覚悟で会ってくれたんだから。それにタバコだって、電子タバコに変えてたし‥)


そして初めて買ったシャンプーの香りに満足しながら、頭皮をゴシゴシと念入りにしごいていた。それから髪を包んでいる泡をいっきに洗い流す。


「電話しなきゃあ」焦る気持ちでパジャマを着て、髪を乾かした。


『リリンンリンリン』着信音に慌てて出ると、非通知電話だった。


(翔太?)思わず口に出しそうな言葉を止めたまま、無言で電話に出ると、


「もしもし、森下さんですか」聞き覚えのない女の人からだった。


「は い。どちら様ですか」


「私は西野 武人の妻、香菜です。あの、切らないで。今日はただ私の話を訊いてほしいと思って。武人に頼まれた訳ではないの」


(武人の妻‥話を訊いて欲しい⁈。なんだか面倒だなあ。ふっきろうとしているのに‥彼のこと武人って呼ぶんだ)


「だったら手短にお願いします。もう、彼のことは過去のこととして考えていますから」


「私のことが原因だったら、ちゃんと説明しなくちゃと思って」


そう言い始めると香菜は淡々と話し始めた。亮とは高校生の頃からの同級生で、その頃 香菜は1つ上の先輩とつきあっていた。

その彼は有名な老舗ホテルを数十個も経営する跡取り息子で、ホテルが存続するために政略結婚が準備されていた。

つまり先輩の彼は大学を卒業すると、親のレールに乗っかり結婚をした。香菜とその先輩は、愛がある関係を貫きとおすかのように、その頃からずっと不倫を続けていた。


「武人は、私が彼との関係で疲れてネグレクトをしたり、落ち込んでいたりする時ずっと傍にいてくれてたの。でも、そこに愛があったわけじゃない。武人は家庭環境が複雑で。自分は自分も含めて一生誰も愛せないと、口癖のように言っていた‥」


「‥‥」そんなこと初めて聞いたわよ。


「でもある日、今日から女の先輩に仕事を教えてもらうことになったって、複雑な顔で言っていた。その日からは、ほとんど寡黙な亮が『机の上を片付けろと言われて細かい女なんだよ』と愚痴を言ったり『食べる間も惜しんで、パソコンの打ち込みやっているんだぜ』とか帰ってくるとあなたのことばっかりで」


「仕事のイロハを叩き込んだだけよ」


「疲れて帰ってくると、お風呂も入らないで朝シャワーで飛んでいったわ。ある時から、愚痴は一切言わなくなっていた。その代わりに、表情がやわらかくなっていったのがわかったし笑顔も今までの愛想笑いと違って、気持ちが入るようになった。それは、あなたと付き合いだしてからね」


「‥‥だから、何⁈」そんなこと、今さら言われたって‥‥


「私はね、いつも傍にいてくれた武人に幸せになってほしいのよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る