第5話 「あかおに」
もうじき空が紺色に染まろうとし始めた頃。
木の下でうとうとしていると、手に握りしめていた携帯が小刻みに震えて私は目を覚ました。私、いつの間に寝ちゃっていたのか。
「あ、けーご!」
もう学校終わったんだ。えっと、こういうときはお疲れさまだよね。
『こんばんわ、呉羽』
『こんばんわ圭吾。学校、おつかれさま』
『ありがとう。今日は何してた?』
『空みてた』
『空か。もうそろそろ星が見えるね』
『星、いっぱいみえてる』
『本当? こっちは周りが明るいからあんまり見えないんだ』
『明るいと星見えない?』
『うん。呉羽のいるところは空気が澄んでるのかな』
『よくわからない』
『そっか。きっと良いところなんだろうね』
そっと空を仰いだ。満天の星空。今日は雲一つなくて、遠くの星もよく見える。
私、夜の空が一番好き。ずっと見てても飽きないし、いつもこうやって夜空を見ながらそのまま寝ちゃうんだよね。
何もないこの里での、唯一の楽しみ。
『圭吾、星、すき?』
『俺? うん、きらいじゃないよ』
『きらいじゃない。すきとちがう?』
『えっと、好きって言えるほど見たりはしないってことかな。呉羽は好きなんだね、星』
『すき。まいにちみる』
『そうなんだ。じゃあ雨の日はヒマだろう?』
『ううん。雨の音きくのすき』
『雨の音か。気にしたことなかったな』
『はっぱにあたる音とか、じめんにおちていく音とか』
『詩みたいだね。俺も今度聞いてみようかな』
人間はこういう音に耳を傾けないものなんだ。
私が当たり前に感じているものは、人間にとって、けーごにとってはそうじゃない。人間と鬼の違いなのかな。
ううん、多分そうじゃない。苓祁兄だってこういう話しない。
私がこの里から一度も出たことがないからだ。人間の世界のことも知らなければ、他の鬼がどうしているのかも知らない。
何もない場所で一人で過ごすこと。これは、私だけの当たり前。
鬼だから。孤独と共に生きる宿命だから。
それが当たり前のことなんだけど、なんでだろう。少しだけ胸の当たりがちくっとした。痛いっていうか、ざわざわするというか、よく分からないや。
『ねえ、圭吾』
『なに?』
『ひとりでいると、むねのところがいたくなる。どうして?』
『一人でいるとき……さみしいって、ことかな?』
『さみしいは、いいこと? わるいこと?』
『良いとか悪いとかじゃないと思うよ。ただ一人でいるときにそう思うのは、さみしいからじゃないのかな。心が痛んだり、悲しくなったり、心細くなると、俺はさみしいって思う』
『じゃあ、わたし、さみしい。ひとりだと、さみしい。圭吾とめーるしてると、たのしい』
『じゃあ、そういうときは寂しかった、だね』
『さみしかった。さみしかった。いま、たのしい。圭吾といっしょ、たのしい』
これが寂しい。初めて知った感情。
今まで一人でいるのが当たり前だったから知らずにいた感情。もし私が人だったら、当たり前のように知っていたはずの気持ち。
きっと私が鬼だから。何も知らない無知だから。人間と、全く違うから。
『圭吾は、ありえないことをしんじられる人?』
『ありえないこと? 例えばどんな?』
『おにとか』
『鬼? うーん、鬼って怖い人に対して使う言葉だし、本物がいたら怖いかな』
怖い。そっか、そうだよね。怖いよね。改めてそう言われると、何か悲しい。
やっぱりそうなんだ。苓祁兄の言ってた通りなんだ。
鬼は存在しない。怖い存在。だから、一緒には居られないんだね。
『そうだね。おに、こわいね』
『呉羽はそういうの信じるの?』
『うん。きっと、いる。ありえないは、ない』
『そっか。呉羽がそういうなら俺も信じてみようかな』
『さっき、こわいって言ってた』
『うん、そりゃあ怖いよ。でも、泣いた赤鬼って話もあるからね』
『なに、おに?』
『ないたあかおに。人間が好きな赤鬼が、友達の青鬼に協力してもらって人間と仲良くなる話だよ。知らない?』
『しらない。ききたい』
『いいよ。ちょっと長くなるけど……』
数分遅れてけーごから返信がきた。いつもより長いメール。
これが、人間界にある鬼の話。
それは、遠い昔のお話。
とある里に一人で住む赤鬼がいました。その赤鬼は人間が好きで、でも人間は鬼を恐れている。どうにか仲良く出来ないのだろうか。そう考えていると、彼の友人の青鬼がある作戦を提示してきた。その作戦とは、自分が人間の里を襲い、赤鬼が人間たちを助ける。そういうものでした。
二人はその作戦を実行し、見事に成功しました。赤鬼は恩人として慕われるようになり、人間たちと幸せに暮らせるようになりました。
そんなある時、赤鬼は青鬼のことが気になります。あれから姿を見せない彼。今、彼は何しているのだろう。赤鬼は彼の家に行ってみることにしました。
青鬼の家に着くと、そこはもぬけの殻。残されていたのは、赤鬼への手紙だけでした。
「赤鬼へ。僕が君の傍にいたら、人間に疑われてしまうだろう。だから僕はどこか遠くへ行きます。もう君の前には現れません。遠く離れても、君は一生の友達だ。君の幸せを、いつまでも願っています」
その手紙を呼んだ赤鬼は、かけがえのない友人をなくしてしまったことに気付いたのです。
赤鬼は泣きました。幸せを得るために失った友人を思い、ただただ泣きました。
さようなら。さようなら。大切な友達。
「……」
悲しいお話。どうしよう。涙が止まらない。胸が痛い。
さみしい。かなしい。さっき教えてもらった感情が、胸の中でグルグルしてる。
鬼は、人間と仲良くなれたけど大事なお友達を失くしちゃった。
『かなしいね』
『そうだね。俺、小さい頃にこの話聞いて泣いたよ』
『わたし、いまないてる』
『何かを得るために、何かを失う。仕方ないと言えばそれまでなんだけど』
『わたしも、なにかをうしなうのかな』
『わからないよ。でも、俺は赤鬼って幸せだと思うな』
『どうして?』
『だって自分自身を犠牲、ぎせいにしてでも幸せを願ってくれる友達がいるんだから』
『圭吾、そういうともだちいる?』
『俺はどうかな。友達はいるけど、青鬼ほど大事に思っているかはわからない』
『いいな。わたし、ともだちいない』
『なんで? 俺は友達じゃないの?』
『めるともは、ともだち?』
『もちろん。知り合ったばかりだけど、呉羽は俺の大事な友達だよ』
『圭吾、ともだち。わたし、圭吾のこと、だいじにする。ずっと、だいじにする』
『ありがとう。俺も呉羽のこと大事に思うよ』
大事な友達。嬉しいな。嬉しいなぁ。私にもお友達が出来た。人間のお友達。
でも、もしこの赤鬼と同じなら、何かを失っちゃうのかな。だけど私には大事なものなんかない。
「……あ、ううん」
ある。今は、このけーたいが大事。けーごと繋がってる、このけーたい。
一番大事。宝物。私、失くさないように大事にするよ。
だから、鬼だってことは内緒。ずっとずっと、内緒。
絶対に言わないから、秘密にしておくから、ずっと友達でいてね。
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