第12話

「あそこ」


 うす暗い庭園へ降り、建物沿いに進んで角を曲がると、大きなしだれ桜の樹があった。暦の上では今は夏だ。けれど、しだれ桜の樹は花をたわわにつけ、重たげに枝をたらしている。大きく開いた花傘の中に人影があった。木の根元に寝転んでいる。建物の影から窺っていた銀朱が、小声で「行け」と示した。


「あいついつもここにいるんだ。おいらは部屋に戻る」

「待っててくれないの?」

「いてもしょうがないだろ。明日の朝、お前の部屋に迎えに行くから」


 銀朱に「じゃあな」とあっさり手を振られ、その場にひとり残された。深呼吸をして、しだれ桜のほうへ近づいていった。玉砂利を踏む音が大きく響き、思わず身がすくむ。紫微は動かない。気づいているのか、いないのか。薄氷を踏む心地でなるべく静かに近づいていった。

 しだれ桜の花はひとつひとつが小指の先くらいで、風もないのに落ちていく。白い玉砂利の上に小さな花弁がぽつ、ぽつ、と思い出したように落ちる。雪の切片が無音で優しく降るようだ。

 花すだれの前に立ったとき、紫微がようやく身を起こした。地面すれすれまで垂れさがる、うす紅の花越しに目が合う。視線だけで頭蓋の奥まで見透かされそうな、鋭い目つきだった。牛骨の面をつけていないので、顔立ちがよくわかる。黒い短髪、鋭すぎるほどつり上がった目。額から鼻にかけては金の化粧模様が施され、きらきらと輝いている。全体的に鋭角な顔立ちで、性格がきつそうだ。今にも嘲笑し、皮肉を飛ばしてきそうな気配がある。紫微は高下駄をはいた足であぐらをかき、不思議な金色の眼でじっと睨んだ。


「何の用だ」


 空気をすっぱり裂く声は、澄んでいて美しい。その短い響きを脳内で味わい、確信した。やはり彼がいい。どうしても彼ともう一度、舞台を作り上げてみたい。


「俺と組んでくれないか?」

「断る」

「……どうして?」


 紫微は鼻で笑い、小馬鹿にするような視線をくれた。


「私を誰だと思っている。鈴付きふぜいが、身の程をわきまえろ」

「鈴付き?」

「実力がないってことだ。いいか」


 勢いよく立ち上がった紫微の顔が目の前にあった。口の端に笑みを滲ませてはいるが、その目は笑っていない。


「お前が外でどれだけ誉めそやされてきたか知らんが、ここでは通用しない。家柄、知識、努力、すべてにおいて価値がない。おとなしく下級の楽器とたわむれていろ」


 紫微は立ち去ろうとした。荒々しく揺れる花すだれを見て、慌てて呼び止めた。


「なら、どうすればいい! どうすれば君に認めてもらえる!?」


 振り向いた紫微は、視線を頭上へ逃がした。すっかり暗くなった空に、白い三日月が出ている。


「私と組みたければ、舞台で一番でなければな」

「わかった」

「できるのか?」


 舞台で一番になる──つまり、誰よりも美しく舞い、周囲の耳目を集めればいいのだ。紫微は面白がるような目をしていた。


「見ていてくれ。俺が舞台に立つときには、いつも君のために舞うから!」


 冷笑ひとつを落とし、去って行く紫微にもどかしくなる。舞台に立ったとき、聞こえてきた音にはたしかに、紫微の期待があった。ともに舞台を作る悦び。音と舞を一体にする、あの絶頂にも近い感覚──紫微はそれをたしかに受け入れ、楽しんでいた。それなのに、いったい何が不満なんだろう。

 舞うしかない。

 銀朱に協力してもらって、紫微に認めてもらえるように舞を奉納するしかない。

 明日は、舞の練習が早朝からあるという。見上げた空には三日月がひっかかっていた。刺々しい月の鋭角に紫微の目を重ねて、決意とともに睨みかえした。





 明朝、銀朱とともに舞台のある広間へ向かうと、舞手は十人ほどしかいなかった。昨日とは様子が変わり、広間の壁際に舞台が並んでいる。そのうちのいくつかは、すでに練習に使われていた。所在なく待つ一団に向かって、黒子が説明を始めた。


「おはようございます。楽器がまだ見つからない方はどうぞ、引き続きお好みのものをお探しください。すでに組手がおられる方は、本日のことをお話しします。この場に残ってください」


 ぱらぱらと数名が楽器を探すために去り、残されたのはほんの数組となった。

 狼尾の姿も、飛燕子の姿もない。


「みなさまには、三か月後に行われる『桟代さんだい』の舞台を目指し、練習して頂くことになります。あちらをご覧ください」


 黒子が手で示したのは、入り口の真上にある観覧席だ。見晴らしのよい階上は、ぐるりを囲うように畳桟敷になっている。今は礼装姿の楽器が何人か座っているだけで、がらんとしていた。その中央にひときわ目立つ空間があった。目隠しの白幕で区切られた席だ。貴賓席だろうか? 黒子はその席を示した。


「あちらは主上のお席になります。みなさまが奉舞を行われる際、絶対神たる主上が、あちらへ降りてこられます。当院では、定期的に主上への奉舞会を行っております。なかでももっとも大切な儀式が、年に一度の大鬼たいきの儀です」


 黒子の説明によると、大鬼の儀ではもっとも優れた舞手が、観衆の前で舞を披露する。外の貴族や太政官など国の高官たちも招いての一大行事で、その日のために鬼王院の者たちは日々鍛錬しているという──ここを出て行く寸前に行う儀式だから、院に入った者には卒業発表会に近い。


「大鬼の儀の舞手は、候補者である桟代さんだい数名の中から選ばれます。みなさまには、ぜひ桟代試験にご参加いただき、至高の舞手を目指していただきたく思います」


 黒子は広間の両端にある舞台を示した。


「桟代試験は三か月後に行います。それまでに舞台に慣れる必要もあるでしょう。あちらの舞台は、自由に使って頂いて構いません。一週間後には、練習発表の場も設けております。練習発表への参加は自由ですが、桟代試験に立たれることを思えば、場に慣れる意味でも参加をおすすめします」


 銀朱を横目で窺うと、彼は最奥の舞台にいる浅葱と彼の楽器のほうを睨んでいた。

 黒の舞装姿の浅葱が動きを確認する横で、白服の楽器がなにごとか指示をくだしている。やる気満々といった練習風景を見るに、彼らも一週間後の発表に参加するらしい。


「いかがでしょう。一週間後の練習発表に参加されますか?」

「参加する」


 誰より早く銀朱が答えた。黒子に窺うように見られ、慌てて頷く。舞うことにためらいや恐れはない。いつだって舞台に立つ心積もりはある。

 銀朱は浅葱が参加するとみて答えたのだろう。浅葱と銀朱のわだかまりは話し合えば解決しそうな気もする。同じ場所で練習するようだし、銀朱が席を外したときに浅葱と話せたら、ふたりの仲立ちができるかもしれない。黒子は他の組の参加も確認すると、頷いた。


「一週間後の曲目は『孤宝こほう』です。曲の内容については、楽器からお聞きください。また当院では、流派、舞法、作法に決まりごとはございません。音と一体となり事象を表すこと。それのみに注力頂ければ結構です。それでは、よき奉舞と主上へのお恵みを」

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