第三章 嫁教育

第8話

宣利さんとの復縁が決まって翌週末。

迎えに来た彼とともに新居へ向かった。


「何度見ても凄い街ですね」


街の中にはショッピングモールも病院もあり、ここですべてが完結しているらしい。


「ああ。

街から出なくても大抵用は済む」


こんな街で今から暮らすなんて場違いな気がする。

サウスパークのまわりに広がる一般住宅街ならまだしも、ノースエリアの高級住宅街だなんて。


周囲と一線を画すゲートを抜け、車は進んでいく。

さらに家の敷地へ入るためにゲートがあるなんて、やはり倉森家はうちとは格が違うのだと再認識した。


先に玄関で降り、ガレージに車を停めてくる宣利さんを待つ。

少ししてかなりの轟音が聞こえてきた。


「え、なんの音?」


音の元を探そうと周囲をきょろきょろする。

すぐに空へと上がっていく飛行機が見えた。


「航空自衛隊の基地が近いんだ。

それで」


まもなく来た宣利さんが私と同じ方向を見上げる。


「へー、そうなんですね」


「ああ。

外は少々うるさいが、防音してあるから家の中は静かだ。

休日と夜間はスクランブルでもなければ飛ばないし。

あれはたぶん、スクランブルだったんだろうな」


彼が鍵を開けてくれ、一緒に屋敷へと入る。

そこは防音がされているからというよりも、人の気配がなくて静まりかえっていた。


「まあ、航空祭のとき、混む基地まで行かなくても庭から見上げればブルーインパルスが見られる役得はある。

もっとも、基地から招待状も来るけどな」


「へー」


私のキャリーケースを持ち、屋敷の中を進んでいく彼を追う。


「ここを使ってくれ」


開けられたのは屋敷の奥の角部屋だった。

南東に向いた大きな窓から燦々と日の光が降り注ぐ。

窓の外はテラスになっており、外に直接出られるようになっていた。

外にはまるで専用に庭のように、色とりどりの花が植えてある。

広さからいってたぶん、ここがこの屋敷でリビングに次いで一番いい部屋ではなかろうか。


「あの。

私の部屋がここでいいんですか……?」


家主である彼ではなく、私がここを使うなどいいはずがない。


「ああ。

花琳は僕の大事な人だからな。

ここを使ってもらうのにふさわしい」


――大事な。

その単語に一瞬、胸がとくんと甘く鼓動した。

しかし、すぐに否定する。

これにはきっと〝自分の子を妊娠している〟がつくはず。

そうに決まっている。


「じゃあ……」


家具は宣利さんが揃えてくれた。

部屋の三分の一を占める大きなベッド、パソコン用のデスクとお客様を迎えられるちょっとした応接セットが置いてある。

どれもこの屋敷の外観にふさわしいアンティーク調のもので、乙女心がくすぐられる。


「こっちがウォークインクローゼットになっている」


「はい」


彼がドアを開けた先はさらに、実家で私が使っていた部屋くらいの空間が広がっていた。

しかしなぜか、すでに一部が埋まっている。


「あの……」


「僕からのプレゼントだ。

気に入らなかったら捨ててくれ」


プレゼント?

今、プレゼントって言った?

今まで私は宣利さんから一度たりともプレゼントなどもらったことがない。

……まあ、私も渡していないけれど。

そんな彼が私にプレゼント、しかもこんなにたくさんなんて信じられない。


「ありがとう……ございます」


戸惑いつつ、かかっている服を少しだけ確認する。

胸下切り替えのワンピースが多いのは、これからお腹が大きくなっていくのを見据えてだろうか。

あっ、このスカート、ウェスト部分が普通よりかなり太いストレッチ素材になっているけれど、マタニティ用じゃないかな……?


「服にあわせて靴とバッグも買ってある。

アクセサリーも」


彼が開けた引き出しの中からはたくさんのアクセサリーが出てきた。

見渡した部屋の中にはバッグも靴も並べてある。

悔しいがどれも、センスがいい。


「あの。

こんなにいただけません」


けれどこんなにたくさんのプレゼントなんて度が過ぎている。


「花琳はまだ、遠慮するんだな」


呆れるように宣利さんは小さくため息をついた。


「そりゃ……」


タワマン住み時代も好きに使ったらいいとカードを渡されていたが、贅沢品はパソコンを買わせてもらったくらいでほとんど使わなかった。

だって、お金持ちだからって湯水のようにお金を使うのは違わない?

これは私が庶民だからなのかな。


「そういう花琳、可愛くていい」


宣利さんの顔が近づいてきて、ちゅっと軽く唇が触れて離れる。


「……へ?」


目も閉じる間もない早業だったのもあって、状況が整理しきれず変な声が出た。


「僕は僕の可愛い花琳を着飾らせたいんだ。

まあ、僕の趣味だから気にするな」


「は、はぁ……?」


僅かに頬を赤く染め、この人はいったいなにを言っているんだ……?

そういえば前は人前で必要に駆られたとき以外は絶対に名前で呼ばなかったのに、復縁が決まってからは花琳と名前で呼んでいる。

これはどういう変化なんだろう?


まだ他に説明するところがあるからとウオークインクローゼットを出て、今度は隣のドアを宣利さんは開けた。


「大浴場はあるんだが、ここでも入れるようになってる」


入った空間は洗面所になっていた。

リフォームしたらしく、新しそうに見える。

しかし木目の台に白い陶器製の洗面ボールはヨーロッパの古い屋敷のイメージで、お洒落だ。

洗面ボールの隣は広い台になっており、どうもここを鏡台として使う仕様らしい。

洗面台の反対側は浴室になっていた。

洗面台とお揃いらしく、木目パネルの壁に白の浴槽となっている。

こぢんまりといっても昔訪れた、ひとりぐらしをしている友人のマンションにあった浴室くらいはある。

さらに隣にはトイレまでついていた。


「まあ、好きに使ってくれ」


「はぁ……」


先ほどは承知したが、ますますこんな上等の部屋を私が使っていいのか不安になってくる。


「あのー、本当に私がこの部屋を使っていいんですか……?」


上目遣いでそろりと宣利さんをうかがう。

目のあった彼はなぜか、私から視線を逸らした。

そんなに私の物言いが気に食わなかったんだろうか。


「言っただろ、花琳は僕にとって大事な人だって。

大事な人には一番いい部屋を使ってもらいたい。

それだけだ」


言い終わると同時に、今度は額に口付けを落とされた。


「へ?」


「早く部屋に案内したくてすぐにここに連れてきたが大丈夫か?

車の中でもうとうとしていたようだし、眠かったら寝てもいいぞ」


「あー、大丈夫、……です」


曖昧に笑って彼の顔を見る。

気遣ってくれるのは嬉しいが、さっきからのキスの説明をしてほしい。


「そうか。

だったらお茶にしよう」


宣利さんに促されて部屋を出た。

広い廊下で隣を歩く彼の顔を見上げる。

復縁が決まり実家へ挨拶に来たときに感じていた違和感がますます大きくなった。

タワマンで結婚生活を送っていたときと、宣利さんの態度が違うのだ。

でもなんで?

そんなに子供ができたのが嬉しいのかな……?

それはそれでありがたいけれど。


お茶は――宣利さんが淹れてくれた。

ええ、あの宣利さんがだよ!?

驚きすぎてもう子供が生まれるかと思ったよ……。


「ルイボスティにしたが、よかったよな?」


「ああ、はい。

大丈夫です」


コーヒーでも紅茶でもなく、ルイボスティ。

しかも、レモンのいい匂いがする。

フレーバーティなのかな。


「前と一緒で家政婦さんに入ってもらってる。

前は週二だったが、週三に増やした」


「はい」


お茶を飲みながらここでの暮らしを宣利さんが説明してくれる。

週三に増やしたのはやはり、この規模のお屋敷だと掃除とか行き届かないからかな。


「あと、庭師が週に一回、掃除業者が月に二回入る」


「ハイ……?」


庭師とか掃除業者とかわけのわからない単語が出てきて首が傾く。

しかし目を向けた窓には立派なステンドグラスが嵌まっており、しかも大きな窓が何枚もだ。

確かにお手伝いさんだけでは手が回らないだろう。

さらにその先には私の部屋についていたよりも立派な庭が広がっており、これなら庭師が必要かもしれない。


「なるべく花琳の邪魔をしないように言っておくが、なにかあったら言ってくれ」


「はい。

ありがとうございます」


前の家政婦さんともそれなりにやってこられたので、たぶん今回も大丈夫だろう。


「それから病院だが、もう予約を取ってある」


「はい、大丈夫です」


宣利さんから近いし、最新の設備と優秀なドクターが揃っているから安心なのでこの街のある総合病院にすると聞いていたので、紹介状も書いてもらっているから問題はない。


「明日だが、僕も付き添うから一緒に行こう」


「えっ、付き添うとかいいですよ!」


「なるべく花琳の邪魔をしないように言っておくが、なにかあったら言ってくれ」


「はい。

ありがとうございます」


前の家政婦さんともそれなりにやってこられたので、たぶん今回も大丈夫だろう。


「それから病院だが、もう予約を取ってある」


「はい、大丈夫です」


宣利さんから近いし、最新の設備と優秀なドクターが揃っているから安心なのでこの街にある総合病院にすると聞いていたので、紹介状も書いてもらっているから問題はない。


「明日だが、僕も付き添うから一緒に行こう」


「えっ、付き添うとかいいですよ!」


病院が変わるから挨拶がてらちょっと診てもらうだけで、定期健診とさほど差はないはずだ。

それくらいでわざわざ仕事を休んできてもらう必要はない。


「いや。

大事な君と子供のことだ。

僕もドクターに挨拶しておきたいし、話も聞きたいからな」


「はぁ……?」


そういうもの……なんだろうか。

よくはわからないが宣利さんはそれで納得みたいだし、いいか……。


「わかりました、よろしくお願いします」


「うん」


満足げに彼が頷く。


「そうだ。

これからは食事を作らなくていい」


急に思い出したかのように宣利さんは顔を上げた。


「あの、でも、作らないでどうするんですか」


「どう……?」


それっきり首を捻って彼は考え込んでしまったが、なにも考えていなかったんだろうか。

あのサプリメントで済ませていた彼なら考えられる。


「ずっと言おうと思ってましたが。

サプリメントだけの食事は絶対身体に悪いです。

やめたほうがいいですよ」


「あー……」


とうとう彼は天井を仰いでしまったが、これは指摘してはいけない問題だったんだろうか。


「気にして、なかったな。

栄養さえ効率的に摂れればいいとそればかり」


ははっと小さく、自嘲するような小さな笑いが彼の口から落ちていく。


「サプリメントはあくまで補助です。

ちゃんと食事をしないと顎が弱って口内環境も悪くなりますし、腸内環境にもよくないです。

絶対、食事をしたほうがいいですよ」


再会してまた顔色が悪くなっているのが気になっていた。

きっと私と別れてからまた、サプリメントだけの生活をしている。

それにいつか、その危険性についてきちんと伝えたいと思っていたのだ。

ようやく伝えられてよかった。


「花琳に怒られてしまった」


無用の指摘で機嫌を損ねてしまったのかと思ったが、なぜか宣利さんは嬉しそうに笑っている。


「そうだな。

これから子供も生まれるんだし、健康でいないとな」


わかってくれたのか、彼が頷く。


「そうですよ。

なのでまた、私が食事を作ります」


「いや、食事は作らなくていい」


「……は?」


けれど再び同じ結論に戻ってきて、軽く怒りが湧いた。


「外で食べるなり買ってくるなりするから、作らなくていい」


宣利さんはこれで解決だといった感じだけれど、それって……。


「もしかしてずっと、私の作る食事が不満でしたか」


好みにあわないのに無理して食べてくれていたんだろうか。

だから、もう食べたくないとか。

そんな不安が込み上がってくる。


「ああ、違うんだ!」


慌てて否定してきた宣利さんは、言葉を整理するかのように頭を掻いていた。


「花琳の作ってくれた料理は美味しかったよ。

ただ、妊娠してつわりとかでつらい花琳の手を煩わせたくないだけなんだ」


眼鏡の奥からちらっと、うかがうように彼の視線が私へと向かう。


「その、僕はどうも言葉が足りないようで、よく人を誤解させる。

気に障ったのならすまない」


「いえ……」


宣利さんが私に詫びてくれるなんて珍しすぎて、いまいち飲み込めない。

というかここに来てから……ううん。

再会してから、信じられないくらいよく喋る。

前に一緒に住んでいたときは、長くてひと言ふた言交わして終わりだったのに。


「とにかく花琳が食事の用意をする必要はない。

花琳は元気な赤ちゃんを産むことだけ考えてほしいんだ。

他はなにもしなくていい」


「えっと……」


私の手を両手で掴み、宣利さんが迫ってくる。

キラキラした目で見つめられて若干、仰け反った。


「……はい」


結局、圧に負けて頷いたものの、これって健康な跡取りを産むのだけに全力を注げ、それが嫁の使命だってことでいいんですかね……?

復縁したのは父親としての義務かと思っていたが、もしかして跡取り欲しさ?

その可能性が高い気がして、失望した。


「他になにか聞きたいことはあるか」


「そうですね……」


たぶん、住む家が変わっただけで前の生活と大差なさそうだ。

だったら、問題ないかな。


「大丈夫だと思います」


「そうか。

疲れただろ?

あれだったら寝てもいい」


「そう……ですね」


いつもならお昼寝の時間でそろそろ眠くなってきていた。

お言葉に甘えてもいいかな。


「じゃあ、少し……」


そのタイミングで宣利さんの携帯が鳴った。

画面を見た彼が、若干不機嫌そうになる。


「どうした?」


このまま立って勝手に部屋に戻るわけにもいかず、電話が終わるのを待つ。


「は?

お帰りいただいて」


聞こえる会話から、住宅地へ入るゲートの守衛さんではないかと推測できた。

どうも、招かれざる客が来たようだ。


「あー、そうか……。

わかった、通して。

こちらの守衛には僕から連絡しておきます」


一度電話を切り、少し操作して宣利さんはまた携帯を耳に当てた。


「姉さんが来るから通して。

よろしく」


通話を終えた途端、彼は当たりを真っ黒に染めそうなほど憂鬱なため息をついた。


「花琳、ごめん。

姉さんが来る」


テキパキと宣利さんがテーブルの上を片付けはじめる。


「あ、それくらい私がやりますので!」


「いいよ、食器を下げるくらい僕だってできる」


けれど彼は私を止め、さっさと片付けてしまった。


「しまったな、茶菓子がない……。

なんで突然来るかな、姉さんは……」


それでもテーブルくらいは拭こうとキッチンへ行く。

そこでも宣利さんはまた、大きなため息をついていた。


「あ、花琳。

花琳は部屋に……」


そこまで言ってなにかに気づいたのか彼が止まる。


「それでか」


再び彼は面倒臭そうに大きなため息をついた。


「花琳。

悪いけど僕が買った服に……」


しかし言い終わらないうちに玄関のチャイムが鳴る。


「そんな時間もない、か。

はいはい、今行くよ」


「あっ」


私の手を掴み、強引に彼が歩き出す。


「僕にあわせて。

花琳は僕と違って空気が読めるから大丈夫だと思うけど」


歩きながら言われ、なにか考えがあるのだろうと頷いておいた。

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