第7話

ひとしきり段取りも決まり、帰りは宣利さんが送ってくれるという。


「途中で花琳が眠ってしまったら困るからな」


「うっ」


それは言われるとおりなのでなにも返せない。

行きも電車の中でうとうとして危うく乗り過ごすところだったし、さっきも意識が飛んでいた。


会計は宣利さんがしてくれた。


「えっ、悪いです!」


「僕が僕ものもである花琳が食べた分を払うんだ、なにが悪い?」


「うっ」


じっと眼鏡の奥から見つめられたらなにも言えなくなる。

結局、奢ってもらった。


「そういえば、今日はご両親はご在宅か」


「あ、はい」


ラウンジを出る段階になってなぜか聞かれた。

到着したエレベーターのドアをさりげなく押さえ、私を先に乗せてくれる。


「わかった」


短く答え、彼は操作盤の前に立った。

じっと目の前にある、私より頭ひとつ高い彼の後頭部を見つめる。

さっきは気圧されて承知したけれど、この人は本当に子供ができたからって理由だけで私と復縁して後悔しないんだろうか。


「どうぞ」


そのうちエレベーターが一階に着き、またドアを押さえて彼が私を先に降ろしてくれる。


「ちょっと待っててくれ。

すぐに戻る」


「じゃあ、私はお手洗いに……」


「わかった」


彼は短く頷き、私を残してどこかへ行ってしまった。

そのあいだにお手洗いを済ませてしまう。

私がロビーに戻るのと、宣利さんが戻ってくるのは同じタイミングだった。

彼の手には大きな紙袋が握られている。

なにか買い物でもしたんだろうか。


駐車場で車に乗り、私がシートベルトを締めたのを確認して彼が車を出す。


「子供が生まれるんなら、車を買わないといけないな」


「え?」


思いがけない宣言に、ついその顔を見ていた。

宣利さんは今乗っている、プライベート用のミドルタイプSUVの他に、仕事用のセダンが二台、さらにクーペと、なぜかコンパクトカーと軽自動車も持っている。

もちろん、全部自社かグループ会社のものだ。

こんなに車があるのに、さらにまた買おうというんだろうか。


「あのー、宣利さん?」


「ん?

子供が生まれたらミニバンタイプの車がいるだろ。

どれにするかな」


車を買うのは決定らしく、彼はもう悩んでいる。

確かに子育て世帯にミニバンはマストアイテムだが、買い替えではなく増車っぽい口ぶりだったのが気にかかる。


そうこうしているうちに家に着いた。

私を家の前で降ろすのかと思ったら、宣利さんは来客用のスペースに車を停めた。

当然ながら一緒に降りてくる。


「あの……」


「ご両親に復縁のご挨拶をしなきゃいけないだろ」


車を降りた彼の手には、ホテルで持っていた紙袋が握られていた。

もしかして挨拶用にお菓子でも買ったんだろうか。


「そう……ですね」


すっかり失念していた私もあれだが、今日の今日で挨拶へ行くなんて思わない。

せめて、ホテルを出る前に言ってほしかった。

いきなり宣利さんが来たら両親は驚くだろう。

きっと、休みだから家着だし。


「あの!

五分!

五分でいいから待ってもらえないですか!」


「なんでだ」


滅茶苦茶不機嫌そうに見下ろされたが、両親に準備をする時間くらい与えてほしい。

母はまだしも、父の家着はTシャツにステパンなのだ。

スーツ姿の宣利さんとあの姿で対峙するなんて父が可哀想すぎる。


「連絡してないので、ちょっと準備をですね!」


「……ふむ」


拳を顎に当て、宣利さんはなにやら考え込んでいる。


「そうだな、すっかり失念していた」


だったらできれば出直してもらえないかと期待したものの。


「ちょっとそのへんを散歩してくるよ。

それでいいかな?」


宣利さんはこれで解決だって感じだけれど、よくない、全然よくない。

がしかし、両親が着替える時間くらいは確保できたので、頷いておいた。


そのまま宣利さんはどこかへ歩いていったので、速攻で玄関を開ける。


「急いで着替えて!」


「おい、帰ったのならただいまくらい……」


案の定、父はTシャツにステパンでだらだらしていた。

母の姿が見えないが……どこだ、この一大事に!

「宣利さんが来るの!

たぶん、あと五分か十分くらいで!」


「はぁっ!?」


目をまん丸くし、寝転んでいたソファーから父は飛び起きた。


「なんでだ!?」


「説明はあと!

お父さんは急いで着替えて!

私はリビング、片付けるから。

お母さんは?」


父を追い立てつつ、散らかったリビングを片付ける。


「それが……さっき、買い物に出掛けた」


「なんでこんなときに……!」


などと嘆いたところでどうにもできない。

慌てて携帯にかけるが、出ない。

たぶんまた、バッグの奥のほうに入って気づいていないのだろう。

だからあれほどスマートウォッチにしろと……!

心の中で愚痴りつつ、速攻で宣利さんを迎える準備を整える。

そのうち父も、ポロシャツにチノパンに着替えてきた。


「それでなんで、宣利さんがいまさらになってうちに来るんだ?」


父の疑問はもっともだ。


「復縁のご挨拶だって」


「復縁……?」


父はしばらく、その言葉の意味を考えているようだった。


「……お前、宣利さんと復縁するのか」


「うん、なんか……あっ、お母さん、帰ってきた!」


そのタイミングで玄関が開く気配がした。

大急ぎで母を出迎える。

しかし、一緒に入ってきた人を見て顔が引き攣った。


「ただいまー。

そこで偶然、宣利さんと一緒になって」


「おひさしぶりです、お義父さん」


……母よ。

どうして宣利さんに荷物を持たせている?

宣利さんも離婚なんてなかったかのような顔をしているのはなんでだ?

そしてさらに増えている、近所のケーキ店の紙袋は母のものだと思いたい。


「あがってちょうだーい。

お茶にしましょ?」


ごく普通に母は宣利さんに家へ上がるように促しているが、もしかして私たちが離婚したのを忘れている?


「おじゃまします」


ひさしぶりに来た義実家くらいの感じで宣利さんが家に上がる。


「もー、びっくりしちゃった。

おやつにケーキ買いに寄ったら、宣利さんがいるんだもん」


そりゃいるだろうね、この辺を散歩してくると言っていたし、そのケーキ店はうちから徒歩五分圏内にある。


「お義母さん、荷物はこちらでいいですか」


ダイニングテーブルの上に宣利さんが母のエコバッグを置く。


「ありがとう、助かったわー。

牛乳二本も買っちゃったから重くて」


笑って母はやかんに火をかけたが、父と私は状況が飲み込めず、ただ茫然と見ていた。


「すぐにお茶を淹れるわ。

座ってて」


「お義母さん、これ。

たいしたものではないですが」


宣利さんがホテルで購入したなにか――たぶんお菓子の袋を渡す。


「あらあらあら。

よかったのに」


和やかに母と宣利さんは会話を交わしているけれど、どうしてこんなに馴染んでいるんだろう?


「お父さんも花琳もさっきから黙っちゃって、どうしたの?」


母は不思議そうだが、こっちこそどうしたのと聞きたい。


「ここ、座っていいか」


「あー、……はい」


私の隣を宣利さんが指し、とりあえず頷いた。


「お義父さん、ご無沙汰しております。

また、離婚のときはご挨拶にも伺わず、申し訳ありませんでした」


宣利さんが父へ頭を下げる。


「あっ、いえ。

そちらもご都合がおありでしょうし」


慌てて父が宣利さんへ頭を下げ返す。

父は宣利さんに敬語だが、向こうのほうが立場が上というのはやはりあるらしい。


「宣利さん、花琳ちゃんを迎えに来てくれたんだって」


「……は?」


キッチンで宣利さんにもらったケーキをお皿に並べながら、母が会話に加わってくる。

復縁の話をしたのはいいが、どうして迎えに来たことになっている?


「はい。

僕の都合で一度は離婚という形を取らせていただきましたが、準備が調いましたので花琳さんを迎えにあがりました」


「……は?」


真顔で嘘を吐く人を初めて見た。

というか宣利さんが嘘を吐くのが意外すぎる。


「宣利さん、お家の方に花琳ちゃんと別れろって随分言われてたらしいの。

それで花琳ちゃんを守るために一度、離婚したんだって」


「お義母さん、それは言わない約束ですよ」


慌てて宣利さんは母を止めて見せたが、それは完全にポーズだった。

初めから母の口から言わせるつもりで道中話していたのだろう。

だいたい、向こうの両親からは祖父のために結婚してくれてありがとうと感謝されて……待って。

亡くなって、事情が変わった?

それはありうる。


隣に座る宣利さんの顔をじっと見上げる。


「ん?」


視線に気づいたのか、彼が少し首を傾けた。


「なんでもないです。

お母さん、手伝うよ」


笑って誤魔化し、ソファーを立つ。

宣利さんは常に真顔だからなにを考えているのかうかがうのが難しい。

しかし少なくとも、私から妊娠を聞くまでは復縁を考えている素振りはなかった。

ならやはりこれは、口からの出任せなのだ。


お茶が入り、テーブルの上にケーキとともに並べる。

私のつわりは眠いだけで、吐き気はほぼないのがラッキーだ。


「美味しそうね」


母は喜んでいるが、超一流ホテルで売られているケーキだ、美味しいに決まっている。


「じゃあ、花琳と宣利さんは復縁するんですね?」


ケーキには手をつけず、父はおそるおそるといった感じで聞いてきた。


「やだな、お義父さん。

敬語はやめてくださいよ」


宣利さんが父の敬語を止めてきたが、今までずっとこうだったのだ。

なのにいまさら、どうして?


「あ、いや、ですがですね……」


父は出てもいない汗を拭いながらしどろもどろになっている。


「義理とはいえ息子相手に敬語は不要です。

特にこれからは子供が生まれて、ますます家族になるんですから」


「あっ、はっ、そうですね」


父の視線はあちこちに向かい、落ち着かない。

そりゃ、義理の息子といってもうちより遙かに大きな会社の御曹司相手では無理があるだろう。

ちょっと父が可哀想になってきた……。


「それで。

僕は花琳さんと復縁させていただけたらと思っています。

お許しいただけますでしょうか」


フォークを置き、宣利さんは姿勢を正した。


「一度、離婚したわけも先ほど聞かせていただきました。

それになんだかんだいってもやはり、子供に父親は必要です。

どうか娘を、よろしくお願いします」


父が真剣に宣利さんへ向かって頭を下げる。


「こちらこそ許していただき、ありがとうございます。

僕が絶対に花琳さんも、お腹の子も幸せにすると誓います」


今度は宣利さんが父へ向かって頭を下げ返す。

それをなんの感情もなく見ていた。

きっと宣利さんは私とお腹の子を幸せにしてくれるだろう。

けれど、それはきっと義務からだ。

自分の子供とその母親だから幸せにしなければならない、そう責任を感じているだけだ。

ここに気持ちはないと言い切れる。

だから私は、嬉しいなんて思えない……。


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