第23話 ☆きみを愛したはなし

「狩野……?」

 結局圭一は、3日後に目を覚ました。

 少し強張った表情で固まって圭一。その瞳の色が、酷く久しぶりの物に思えて。

「圭一!」

「痛ァ!」

 気付いたら、体が勝手に動いていた。圭一の上躯に縋りつき、出会ったときと同じように、えんえんと泣いた。病人に乱暴は良くないと頭では分かっているのに、離すことが出来なかった。

「よ、良かった、良かったよぉ!全然起きないから、死んじゃうんじゃないかって……」

 圭一は少しだけ困ったように笑って、俺の頭を撫でてくれた。その手の感触に、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。

 好き、好き。大好き。

 とめどなく溢れて来る温かな感情に、再確認する。

 俺は、圭一が大好きで、一番大事。圭一だけが、大事。

「あの後、何があった」

 だから、そう。圭一にそう聞かれたとき、少しだけ考えて当たり障りのない返答をした。俺の所業を告白したとして、圭一は良い顔をしないだろう。圭一は優しすぎるから、ともすれば、自分を責めて胸を痛めてしまうかもしれない。

「もう、良いじゃない」

 それに、俺にも目的ができた。すべてを話すのは、それを達成してからが良いと思った。

「終わったことなんだからさ。それより、これからのことを考えよう」

 とある思い付きに胸を躍らせながら、圭一の手を包み込む。

 圭一、待っててね、なんて。睦言じみた文言が自然に浮かんできて、我ながら浮かれているなと思った。


 ごはんを食べさせて、体を洗って、寝かしつけて。

 圭一には悪いけれど、圭一の介護生活はとても充実していた。

 無防備に眠る頬の、涙の跡をなぞられては擽ったそうに眉を寄せる表情がいじらしい。

 俺の作ったスープを、きらきらした目で口いっぱいに頬張る所作が可愛らしい。

 背中を流してあげるとき、触れると僅かに緊張する筋肉が艶かしい。

「やめろ、自分でできる」と、真っ赤な顔で身を捩る姿が微笑ましい。

 最後には「……その、ありがとう…」と蚊の鳴くような声でお礼をされて、度々、ぎゅっと抱きしめたくなるような衝動に駆られた。

 ずっと温かくて、幸せで、楽しくて。

 …………ずっとこのままで良いのに。

 そんな、仄暗い願望じみた思いを抱いては自己嫌悪。

 圭一は、俺のことを真剣に助けようとしてくれているのだ。その気持ちを、俺自身が無碍にするわけにはいかない。

 そして、全てが終わったのなら。


「お互いがお互いを必要とする関係は、とても素敵ですよね」


 絶えず頭に浮かぶ甘やかな想像に、眦が撓む。


「……あなたはどう思いますか」

 

 眩しい銀髪は煤に汚れ、瀟洒な白い制服には、赤い血がこびりついてる。そんな、襤褸雑巾みたいな風体のまま這いつくばった男は、何も言わなかった。

 代わりに、真っ赤な目がこちらを映して。

「……危ないな」

 風を切る鋭い音と共に、眼前で火花が散る。

 返事の代わりに飛んできた貫通術式を、ほぼ反射的に相殺。

 右目を瞑れば、男の身体が不可視の圧に地面へと押さえつけられた。

 くぐもった悲鳴と、何かが折れるような音。カエルみたいに潰れたその姿に、また笑いが込み上げてくる。

「無駄ですよ、殿下」

 言いながら、手元の手帳を眺める。

「おれは貴方の全てを知っています。それこそ、行動パターン、嗜好、攻撃のクセまで全部」

「…………」

「ね、だから。無理です。貴方ではおれに勝てません。何より────」

 四肢を折られ、内臓を潰され。それでも、彼の抵抗は続く。

 黄金の槍を、雨みたいに無尽蔵に降らせては、俺に全て叩き落とされて。

「────陛下は、おれのことが大好きでしょう?」

 頬を撫でて、甘い声のまま耳元で囁く。それだけで、男の指先は敏感に跳ねた。

 『傲慢』のページには、最大開放された好感度とステータス、そしてテキストが印字されている。

 二人の罪源者を屈服させて分かったこと。

 罪源者は、この手帳の強制力に抗えない。

 この手帳に『大好き』と書かれていたのなら、この男は無条件で俺に逆らえなくなる。好感度を上限まで上げたのなら、あとは核を踏み躙ってしまうだけでいつでもこれを屈服させることができる。

 いかにもゲーム的なメタ権能という感じだけれど、この仕様は、俺にとっても大変都合が良い。

 頬を撫でては、そのまま前髪を掴み上げる。

 薄く開かれた双眸を下から覗き込んだ。虚勢と怯えが入り混じった赤目の、瞳孔が揺れて。


「おいおい、本当にあの『傲慢』を倒したのかよ」


 振り返れば、部屋の入り口付近に傾国の美青年が立っていた。

「モーガンくん」

 相変わらず神出鬼没だと思った。ひとまず手を下ろして、意識を失った『傲慢』を一瞥。

「これでよかったの?」と尋ねれば、「上出来だ」と満足げな言葉が返ってくる。


 諸々のお願いを聞き届けることの交換条件として、モーガンは「『傲慢』の無力化」を俺に要請した。

 俺は俺で、『傲慢』に私怨はあったし、モーガンに対しての感謝もある。

 だから、快諾したのだけれど。

「いやぁ、本当に助かった。厄介この上ない固有魔法で──そうでなくとも、公爵家次男が、表立って他国の王族に楯突くなんてできないからなぁ」

「………おれは?」

「あはは。貴様を一国の一存で処分したとして、それこそ国際問題だ。その胎の中に抱えた爆弾は、そういう物だよ」

 軽快に笑いながら、俺の隣に並び立つ。無造作に肩を組んできては、赤い唇を歪める。

 そんな横顔を見ながら、「どうして」なんて言葉が口を突いて出ていた。

「どうして、きみは『傲慢』を敵視するの」

 そして、モーガンの表情を見て我に帰る。狐に摘まれたように、目をまんまるにしてはぱちぱちと瞬く。確かに俺はこれまで、彼の個人的な事情に踏み入ることはなかったから。

「ご、ごめん」と謝ると、翠眼が優しく撓む。「いいよ、別に」と答えた表情は、平生の不遜な物に変わっていた。

「敵視というか、邪魔だっただけだから」

「邪魔……」

「そう、好きも嫌いも無いさ。血縁でも無い限り──赤の他人との関係にあるものなんて、究極、損か得かってだけだろう」

 そんな言葉に、圭一の言葉を回想する。

 ────「『怠惰』は、基本こちらに興味がないので、好感度がマジで上がらない」

 全く、的を射ている評価だと思った。

 けれどこんな世界に於いて、こういった軸で動く人間は、ある意味一番信用できるのかもしれない。

「『傲慢』に、どんな損があるの」

「今日はやけにグイグイ来るな。……あれ。こいつが、兄様を匿ってるから」

「兄様。……モーガンの?」

「俺の、兄様だ」

 少しだけ強い口調で訂正しては、「いま、ちょっと喧嘩中で」と決まりの悪い表情で後頭部を掻く。

「お友達──『傲慢』の所へ家出中なんだけれども。かれこれ1年間。待てど暮らせど戻ってきやしない」

「それは……心配だね?」

「そうだろう、そうだろう。だからほら、こちらから迎えに行くことにした」

 そんな言葉に、無意識に二の腕を摩っていた。唸るその目に滲むのは、とても、実の兄弟に向けるような感情では無い気がしたから。

 親愛と呼ぶにはあまりに重く、家族愛というにはあまりに湿っぽい。

 わけもなく、「ハッピーエンドが近親相姦しかない」なんて嫌な情報を思い出したので、あまり踏み込まない方が良いのかな、と思った。

「連れ戻してどうするの?」

「いま、『踏み込まない方が良いのかな』みたいな顔をしていなかったか?」

「ごめん!でもやっぱり気になって」

 何を隠そう、最近圭一との関係が少しぎこちない。俺は充実しているけれど、中々外に出られないことに、圭一は不満を募らせているのだ。

 誰かと喧嘩をしたり、仲直りをしてまで関係性を維持したいと思うことが初めてなので、先達の意見は聞いておきたい。

 眉根を寄せて、顎を摩って。「うぅん」という悩ましげな声を漏らして、モーガンは相貌を擡げた。

「まずはしこたま美味い物を食わせて。猫っぽい小動物でモフモフする」

「うんうん」

「あとは……寝不足気味なので、付きっきりで寝かしつける」

「心配だねえ」

「それで…………」

 指折り数えたまま、言葉を切る。やがて、伏せられた双眸には、剝き出しの欲望が渦巻いていた。

「…………それでいて、二度と外に出しはしない」

 ぞくり。

 嫌悪でもない、畏れでもない。体中を駆け抜けたのは、羨望だった。確かに俺は、今この青年を羨ましいと思った。

「いいなぁ」

 なんて。無意識にそんな言葉を漏らした自分に、また肩を抱いた。



 ***


 兄弟の話を聞いて、初めてカフェに引きずられたときの事を思い出した。

 庭園が一望できるテラス席で、少し迷ってショートケーキを頼んだ。

 スウィーツなんて久しく食べていなかったけれど、流石にショートケーキの味くらいなら思い出せると思ったから。

 案の定、食器用スポンジでも咀嚼しているような気分だったけど、圭一の幸せそうな表情が見られるのは嬉しかった。

 家族について聞かれたので、「妹がいる」と答えると、「良い兄だったろ」と返ってくる。

 遠回しに褒められたようで、むず痒かった。

「ケーキのイチゴとかも、頼んだらくれそう!」

 手をワキワキさせながら、にじり寄って来るフォークから皿を非難させる。

 圭一が噴き出すのを見て、自分の頬も自然に緩むみたいで。

 幸せだなぁ、と。ただそう思った。

 そして、あれだけ考えないようにしていた家族の話題についても、圭一になら穏やかに話せてしまう。

「そうだなぁ」と、思い浮かべた妹の姿は、ここにきてそう時間は経っていないはずなのに、やけに懐かしく感じられた。

「頼まれたら、大抵なんでも譲ってたかも」

 あれやこれや回想してみて、確かに、俺は妹のおねだりにめっぽう弱かったように思う。

 潤んだ目でこちらを見上げながら、「ちょうだい」と裾をキュッと掴んでくる。

 マシュマロみたいな頬を赤らめて喜ぶ姿が、大好きで。

 ケーキはもちろん、ゲームも、文房具も、小物も、たいていの物を譲った。

 いま思い出せるだけでも、譲れなかったものは一つしかなくて。

 笑みを零せば、圭一が小首を傾げる。

 芽生えた悪戯心のまま、フォークに刺したイチゴを対面の皿に置いた。

「好きな人が喜んでくれたら、おれも嬉しいもの」

 まさか本当に、イチゴを押し付けられるとは思っていなかったのだろう。

 目を丸くしては、皿のイチゴと、俺の顔を交互に見比べる。

 そんな、忙しない所作が面白くて笑った。

「美味しい」と嘘を吐くのも、食器用スポンジを飲み下すのも、苦痛にならない程度には楽しかった。

 だからだろうか。


「今度から俺は、一人分のケーキ代だけ稼げば良くなったわけだし?」

 そんな言葉を聞いたとき、圭一を、カフェに連れて行こうと思った。

 せっかくならば、デラックスパフェを食べさせてあげようとも。

 圭一に喜んでほしかったのは勿論だけれど、何より。何よりも、俺は圭一の役に立てるのだとわかってほしかった。もう、守られるだけじゃない。俺は圭一と対等に並び立てる。何なら、圭一に傷一つすら負わせはしない。

 そんな素敵な思いつきに、高揚のまま圭一の頬をもぎゅもぎゅと揉んだ。むにむに一生懸命何か言っているのが可愛くて、もっと幸せな気分になる。

 圭一も、きっと俺の成長を喜んでくれると思うと、小躍りしたくなった。。


「ごめん」

 けれども蓋を開けてみれば、俺のそんな希望はすぐに打ち砕かれた。

 パフェを食べても、『嫉妬』を同じ目に合わせても、俺がちゃんと役に立つことを伝えても。圭一は一度も笑わなくて、あまつさえ、俺に謝った。

 …………違う。違うでしょ。

 …………そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。どうして、そんな顔をするの。

 そんな言葉を、どうにか飲み下す。

 もはや圭一は、目すら合わせてくれなくなっていた。青い顔で、涙を溜めて。あまりに悲しそうな顔で。俺がそんな顔をさせてしまったのだという事実に、無性に消えてしまいたくなった。

「返せ」

 分かっていた。

「…………それはいや」

 本当は、分かっていた。圭一は、こんなことで喜ぶような人間じゃない。

「俺の手帳だ」

 たくましくて、責任感が強くて。

「いやだ」

 底抜けに優しい。

「なんで」

 …………誰にでも優しい。

「嫌われたくない」

 誰かが傷ついているのを見て、喜んだりしない。

「嫌うわけないだろ、たかが手帳で」

 そして、誰のどんな側面を知っても、嫌ったりしない。

「たかが手帳なら、俺が持ってたって良いでしょ」

 それでも、こうして見苦しく足掻いているのは。


「おれ、圭一がすきだよ」


 俺が、欲しがっているから。

 「嫌われたくない」「喜んでほしい」そんな、綺麗な感情ではない。俺は、もうとっくに、この関係では満足できなくなっている。

 ────その他大勢に向けられる優しさが、許せない。

 あの子を、物にしたい。支配して、全部を剥き出しにして、欲望のままに貪りたい。すべてを犯し尽くしたい。

 鼻先に突き付けられて、対面した悍ましい病巣。胸を掻きむしりたくなるような自己嫌悪の中、「…………俺も」なんて言葉に、自分の中で何かが切れるのが分かった。

 自制だとか、良心だとか、見栄だとか。きっとそんな名前をした箍が弾けて、俺はいっそ安心していたのだと思う。


 だって、もうどうでもいい。何もかも、こんなにも簡単なのだから。俺は、身勝手で、汚くて、醜悪で、欲深い人間で。清廉潔白である必要はない。

 ほら、受け入れてしまえば、こうも躊躇い無く手を伸ばせてしまう。

 

「圭一のぜんぶ、おれにちょうだい?」

 ────すべてを明け渡せ。

 念じながら囁けば、黒曜石みたいな双眸から光が消えていく。

 あまつさえ、薄い肢体で、くったりとしなだれかかってきては、頬を自分から手に擦りつけてくる。

 今まさに、眼前の青年を浸食しては手中に収めようとしている。

 そんな実感に肌を泡立たせたのは、罪悪感でもなく、言いようない興奮だった。

 あの日あの時。怠惰とその兄の、閉じた関係性を『うらやましい』と思った。それが俺の全てで。


 泣きじゃくる少女の声が、記憶の底から聞こえてくるみたいだった。

 ちょうだい、ちょうだいと追い縋ってくる小さな手から、必死にそれを遠ざけた。

 何の変哲もない、ただ海岸で拾っただけの硝子片。

 お菓子も、ゲームも、文房具も。全部譲ってきたけれど、どうしてか、それだけはどうしても譲れなかった。

 妹の金切り声に、宥めるような両親の声。

 全部から逃げるみたいに、家を飛び出してはただ走った。

 そして、穴を掘った。日が沈んで、爪が剝げても、一心不乱に土を引っかいた。

 深く深く掘って、土を被せた。不思議と満たされた気がした。

 だって、これで誰にも見つからない。誰にも取られない。

 誰にも取られなくて、そう、ずっとおれだけの物。


 恍惚に蕩けた微笑みは、偽物。けれど、腕の中にある体温は、紛れもなく本物。

 丸っこい頭に頬を寄せれば、石鹸の香りが鼻腔を掠める。

 満たされた感情に覚えた、既視感の正体。

 それを理解して、本当に彼の言う通りだったと納得する。

 世界も、神も、人の心も。本当に全て、思いのままだった。

 誰も、俺を止めることが出来なかった。

 誰にも邪魔させないまま、たった一つの目的のためにすべてを蹂躙する。

 罪源者って、きっとそういうものなんだ。

「大丈夫」

 口から零れた言葉に、うつろな黒目がこちらを見上げる。

「おれ、今ちゃんと幸せだよ」

 ハッピーエンドに連れてきてくれて、ありがとう。

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