最終決戦
第24話 再会
① プレイヤーレベルのカンスト
② 主人公が自身の出自を知る
③ 7人中3人のED回収
バグなんかではなかった。既に、条件は満たされていた。狩野は、なるべくして『憤怒』になった。
俺が知らないところで、あいつは既に3人分のEDを回収していた。奪われ、犯されつくして殺される。そんな、バッドエンドを何度も何度も。
ただ膝をついて、嗚咽を漏らしていた。
男の、耳障りな高笑いが響いて来る。
叫び出したくなるような衝動のまま、手帳を地面へと叩きつける。耐えられなかった。もうこれ以上、見て居られなかった。
「…………なにが!」
何が、守るだ。何が、ハッピーエンドだ。
何が。何が、何が、何が。
────全部、奪われた後だったじゃないか。
顔面を掻きむしって、涙を堪える。堪えられなかった。結局バタバタ涙を流しては、手帳の黒革を濡らす。
本当に、俺だけだったのだ。比喩なんてなしに、狩野には俺しかいなかった。なのに俺は、あいつの悲鳴を無視して、独りよがりに傷ついて。挙句、最後のチャンス────心からの告白に、選択をすることすらしなかった。
どうしてもっと、あいつの話を聞かなかった。どうしてもっと、知ろうとしなかった。どうしてちゃんと、向き合おうとしなかった。
「…………あれ、」
笑声が消えて、怪訝な声が降る。
「まだ読むのか」
気付けば俺の手は、再び手帳へと伸びていた。
正直、手帳を開くことすら怖かった。これ以上、自分の罪と向き合うことが怖い。そして、今更何かを取り戻せることはないと理解している。
それでも、向き合わなければならない。これ以上、彼奴から逃げることはしたくなかった。
────「どれだけ憂鬱なテーマであっても、私たちは向き合い、迷い続けなければならない」
男の声に、迫られるように一心不乱にページを捲る。一言一句を、網膜に焼き付ける。
ここまでくると、もう流石に理解していたから。最早、最善はない。この世界に居る限り、あいつにハッピーエンドなど無いのだから。俺はいずれ、選択を迫られることになる。
────「その時になって、後悔の無い選択ができるように」
だから、知らなければならない。あの時のような…………土壇場になって、選択から逃げるような、無様を晒すことの無いように。
「…………、」
そして。
『彼は今も、生死の堺を彷徨っています』
最終ページに現れたそんな文言に、手を止める。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
耳の奥から響いて来る踏切の音。鐘の音が鳴るたびに、脳内には夢の記憶が流れ込んでくる。
がらんどうの車内。閉じ切った対面の車窓。
粘着質で淫猥な水の音。既視感のある青年が、ただ泣き叫ぶ。ひたすらに、何度も犯されて、殺されて。最初は抵抗していた青年が、最後には虚ろな目でただ揺さぶられるだけになっていた。
車窓に流れる、目を覆いたくなるような惨状。そして、映像が切り替わる。
そこでは、いくつもの管に繋がれた青年──狩野が、ベッドの上で寝息を立てていて。
『「狩野幸人」に関する、新テキストが解放されました。解放されたテキストは、手帳から閲覧できます』
『ゲームをクリアすることで、あなたは解放されます』
「ひとつ、」
震える唇から、そんな言葉が零れていた。
「ひとつ、ずっと気になっていたことがある」
青年のガラス玉みたいな目が、こちらを向いたのがわかる。身を見開いたまま、俺は初めて手帳から目を離していて。
「どうしてアンタは、この世界の登場人物に生まれ変わったんだ?」
「…………先刻も言っただろう?それはこの世界が────」
「違う!」
「…………」
「違う、そういう事が言いたいんじゃなくて。…………だって、俺は俺のままここにきて。狩野だって、多分……」
自分でも、何が言いたいのかが分からなかった。けれど、その違和感を見過ごすことが出来なかった。
『同類』であるはずの、モーガンと俺の違い。
なぜ、俺たちは俺達のままここへ来たのに、彼は『モーガン』として生まれ変わったのか。
気づけば青年の相貌は、真っ新になっていた。先刻までの感情の起伏は消え、ただじっと、無機質な目で此方を見ていた。
「ありがちな誤読だ」
そして、ややおいて落ちた言葉は、乾いた物だった。
「注目するべきは、俺が『モーガン』として生まれ変わったことじゃない。お前たちがお前たちのままここへ来たこと」
「…………」
「イレギュラーはむしろ、お前たちの方だろう」
モーガンは背後で手を組み、家の庭を歩くように歩を進める。部屋の中を緩慢に行き来する所作は、何処か芝居じみたものだった。
「妬み嫉んでは、際限なく欲深く。そして、何処までもつけあがる。俺たち──純正品の人間の魂は、罪源とすこぶる相性が良い。が、反面身体は、魔法なんて神秘には最適化されていない」
独り言のように言いながら、視線だけで此方を流し見る。
「だからこそ。あちらで消えゆく魂を写し取っては、こちらの屍骸に埋め込んだ──俺みたいなのが、器としては最高の存在だって。そう思わないか?」
「…………最悪のキメラだ」
「そう。器として最適化された……要は、あはは、サラブレッドだ。そういうわけで、俺含め来訪者は例外なくこの構造だった」
「…………」
「だからこそ。お前たちを初めて見た時、思ったよ。『なんでこいつら、剥き出しなんだろう』って」
翠色の瞳が、収縮する。
青年の演説の行く先から、意識を逸らす事が出来なかった。モーガンの双眸が、俺を検分するように見つめては、細められる。
永遠にも感じられるような沈黙の末。
「ここからは、仮説とも言えない妄想だが」
どこか観念したようにかぶりを振って、ようやく口を開く。俺はただ、自らの中に浮かんだ一つの思い付きに、縋るように言葉を待った。
「『何らかの理由』で、お前たちはこの世界の身体に馴染めなかった」
その言葉を聞いた瞬間に、俺は咄嗟に手元の手帳へと視線を向けていた。
『何らかの理由』。あくまでそう表現したが、恐らく、青年にはその理由に大方の目星がついている。そしてそれは、きっと俺の出した結論と大差ない。
「この世界が死人の掃き溜めになっているのは何故だ。彼方側の生者は、なぜこの世界に干渉することができない」
「…………肉体は、楔なんだ」
瀕死の状態で──肉体との結びつきが弛んだ魂が、この世界に投影された。
けれど、現実の身体がまだ残っているから、俺たちが元の姿でしかこの世界に受け入れられない。
──圭一。傷の治りも最近遅くなってるよね。
──魂と肉体は二つに一つ。どちらが欠けてもままならず──反対に、肉体が生きている限り、魂も滅びない。
走馬灯のように駆け抜けた記憶に、変な汗が噴き出て来るのがわかった。
俺が、俺のまま生きてここにいる。その事実が意味することは。
…………俺の身体もまた、辛うじて生きている?
早鐘を打つ鼓動のまま、深い翠眼を呆然と見返して。
「…………まだ、戻れる?」
震える声に、遅れて実感が伴ってくる。
鼻の奥が痛んでは、激情と一緒に吐き気すら込み上げて。抑えた口から、よくわからない呻き声が漏れる。
『和解ED』を迎えることが出来たのならば。
助かるかもしれない。狩野と一緒に、俺も元の世界へと戻れるかもしれない。
「こわいかお」
「たった今、外せない用事ができた」
そして、そのためには先ず眼前の脅威に立ち向かわなければならない。
「策はあるのか?」
右脚を引いては上体を傾けた俺に、モーガンは愉快そうに目を細める。前脚で獲物を嬲るような。そんな視線で、腕を組んで。
「なにか勘違いしてるみたいだけど」
鼻を鳴らし、肩を竦める所作に緊張感は無かった。完全に臨戦態勢に入っていた俺は、出鼻を挫かれたような心地で「なに……」と当惑の声を漏らすしかできない。
「今の俺に、お前と敵対する理由は特にない」
「…………どういうことだ」
「『傲慢』が無力化された時点で、俺の目的はもう達成されたからね。というか、あんな末恐ろしい不発弾をどうにかできるのなら、むしろ喜んで協力したいくらいなんだけど」
言いながら、右上へと視線を投げる。
彼の言う目的こそわからないが、「俺と敵対する理由はない」という言葉に嘘はないようだった。
青年を睨めあげたまま拳を握りこめば、「でも、まあ」と、間延びした声が上がる。
────時間切れみたいだ。
同時だった。
背後で、扉の開く音がした。
酷く懐かしい声で名前を呼ばれて、振り返って。
すらりとした痩躯に、濡羽色の黒髪。その下で、優しげなアンバーの目がぴかぴか光っている。
少し首を傾げて、はにかむように睫毛を伏せて。
「…………狩野」
思わず漏れた呟きに、狩野は、心底嬉しそうに微笑んだ。
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