第22話 ☆きみが作ったはなし
ある時圭一は、俺をカフェへと引き摺った。聞けば、討伐の報酬が出たので、ケーキとココアをおごってやると。
圭一は、初めて会った時の印象からか、俺をココア大好き人間だと思っている節があった。
妹が聞いたなら、「字面だけで胃もたれする」と顏を顰めそうな食べ合わせだけれど、味なんてとっくにわからなくなっていたので、中身はどうでも良かった。
其れよりも、俺のことを思って、俺の好きな物を選ぼうとしてくれた事実が何よりもうれしかった。
「おいしい!」と言うと、彼は決まって、少し嬉しそうな顔をしてくれる。圭一の嬉しそうな顔を見ると、俺も無性に嬉しくなった。
それから定期的に、圭一は俺をカフェへと連れて行ってくれるようになった。
甘い食べ物で俺を甘やかしながら、圭一はいつも俺を褒めてくれた。「お前はすごい」「頑張っている」。
両親の息子ではない、からっぽの『俺』でも認めてくれる。
前世でも、今世でも。
圭一は、俺の一生を通した唯一だった。
「こんな状況じゃなきゃ、お前みたいなタイプとは全然縁なかったし」。
圭一はよくそう言ったけれど、どこに行っても、これから俺は一目散に圭一のことを探すのだろうと思った。
強くて、誠実で、優しくて。
そして、『狩野 幸人』を知って尚受け入れてくれる圭一を、俺は大好きになってしまっていたから。
俺は最早、彼の愛を手放す事ができなくなっていた。
「おまえ、医者だったのか」
だから、そう言われて、俺の頭は真っ白になった。
そして咄嗟に、終わったとも思った。
何もなかった。殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、自分の力で掴み取った物なんて一つもなかった。何も得られなくて、からっぽだった。犯されて、殺されて、犯されて、殺されて、犯されて。何より、人を殺した。
汚れ切った、人間。
知られたくなかった。圭一だけには、隠し通していたかった。なのに、知られた。
……どこまで知られた?次に圭一はどんな顔をするの?
気付けば俺の手には、往生際悪くも圭一の手帳が握られていた。白紙のページが目に入らなければ、きっと跡形も無く破き捨てていた。
呆然とするまま、妙な挙動の圭一に手帳を奪い取られる。
そして、事も無げに俺の疑問に答えて。釣られるように俺の頭も冷静になって来る。どうやら、俺が隠したいことはばれていないようだった。
「なんだかそれ、圭一に攻略されているみたいで恥ずかしいね……」
なんて。そんな、誤魔化し半分の言葉が漏れた。
そこからどうにか、圭一との会話はこの話題から逸れた。
話題は元の世界の話になって、圭一は楽しそうに友人の話をした。
この頃──クリア条件のその報酬が提示されてから、圭一は元の世界の話をすることが増えた。
そのたびに、少しずつ腹底に黒い感情が沈殿していくみたいだった。
圭一が今俺とこうして談笑してくれているのは、選択肢に俺しかいないからだ。
趣味の合う友人と、気の合う幼馴染。元の世界に戻ると、俺はその選択肢にすら入らないのだろうと思った。
あれだけこの世界から解放されたいと願っていたのに、圭一が元の世界に戻ることは嫌で。
「──好きだよ、圭一」
それが、答えだった。それがどの類の「好き」なのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、自己矛盾の正体が、くだらない独占欲だったということだった。
『友人』にしろ『家族』にしろ、誰にも圭一を返したくなかった。
そして、そんな身勝手を口に出して、直ぐに後悔した。
日々生きるか死ぬかの瀬戸際で俺を守ってくれている相手に、今ぶつけるべき感情ではなかった。
圭一が、顎を引く。内心困っている時の癖だった。
消えたい気持ちでいっぱいになる。
自己嫌悪と情けなさが、ぐるぐるぐるぐる渦巻いて。
「じゃあ」なんて言葉が、さながら死刑宣告のように感じられた。
「連絡先交換しとこう。真っ先に連絡するから」
「ぁえ……」
そしてそんな提案に、か細い声が漏れる。
この世界から出たあとも、当たり前みたいに、俺と一緒にいることを考えてくれている。
俺はきっと、圭一にとっていい思い出にはなれないだろうに。
幸福な悪夢か何かかと思った。それくらい現実味がなくて、何より魅力的な言葉だった。
込み上げた涙を誤魔化すように、圭一に抱きついた。
腕のなかの体温が、愛おしくて仕方がなかった。
電話番号が書かれたメモを、眠るまでずっと眺めていた。筆跡も何もかもが愛おしくて、心が温かくなった。
圭一があの告白を、『友愛』として処理してくれて本当に良かったと思った。
良い友達である限り、俺は圭一と一緒にいることができる。
そんな安堵と一緒に、寝床でまどろんだ。
そしてその夜、数週間ぶりに夢を見た。
圭一とセックスする夢。
薄暗い部屋には、二人しかいない。湿った肌の感触に、中を穿つごとに漏れる甘い嬌声。「愛してる」と言えば、掠れた声で、「おれも」と、熱に浮かされた黒い瞳がとろりとたわむ。
2人だけの閉じた世界で、ただ緩やかに堕落していく。
あまりに甘やかで、満たされた時間だった。
夢の中の俺は間違いなく幸福で、目を覚ましても、ずっと幸福で。
「…………きもちわるい」
否応なく対面させられた絶望に、膝を抱えて泣いた。
***
ざわり、ざわりと。
自分の中で、何かが芽吹く。
攻略の最終フェーズ。
圭一の静止も、献身も。全てを台無しにして、俺はただ、自らの中に湧き上がる激情に戸惑っていた。
苦くて、気持ち悪くて、重苦しい。なのに、際限なく湧き出てきては、身体を突き動かす燃料となる。重くてどす黒いそれは、身体の内側をひたひた満たして。やがて、文目も分かぬ怪物になって。
何か言っていた。俺の耳元で、ひたすらに語り掛ける。
助けなきゃ、助けなきゃ。助けなきゃ。
…………『助けなきゃ』?
「否」
低い声が漏れる。
「…………違うな」
そのあまりの無機質さに、自分の唇を撫でて。
違うな、ああ。違う。圭一を助けなきゃ。それ以上に、ああ。
「何度も何度も沸いて出て。大人しく死んどけば良い物をさぁ」
憎くて、憎くて、しかたがない。
圭一を酷い目に合わせる、あの男が赦せない。
『かわいそうなやつ!』
俺から圭一を奪う万物を、縊り殺したい。
『その気になれば、「俺たち」にできないことなんて無いのにね!』
怪物の声は、いつの間にかあの青年の物に代わっていた。
そうかなぁ、と。
初めて問い返したならば、それは黙ったまま前を指さした。
硬質なブーツが、圭一の腹の傷を抉るように踏み躙られる。醜く表情を歪めて、耳障りな笑声を響かせて。
「幸人と僕の邪魔をするな、虫ケラ」
「──あ」
その言葉を聞いた瞬間に。
昏い沼から首を擡げた何かと、確かに目が合った。
「なんで!なんでなんでなんで!痛い!痛い痛いいたいイタイ!なんでこんな酷いことするの!?」
気付けば、右脚を失った男が泣き叫んでいた。痛い痛い。どうして、どうして自分がこんな目に。汚い脚を抑えて、汚く泣いている。
「ふふ」
乾いた笑いが漏れる。どこかで聞いた喚き。誰も、助けてくれなかったなぁ。
圭一以外、だれも。
試しに手を引いてみると、枯れ木みたいな肢体が不可視の何かに弾き飛ばされるようにして吹っ飛んだ。
「たすけて、たすけて」
「あはは」
「痛い、痛い!」
「っ、~~~あはははははは!」
たすけて、たすけてたすけてたすけてたすけて、いたいいたい、だって。
おかしくて、おかしくて、仕方がなかった。どうしてか笑いが止まらなかった。愉快だ。滑稽だ。
目の前の男の醜態もそうだけど、俺が一番面白かったのは自分の間抜け具合だった。
だって、こんなに簡単な話だったのに。
この世界に、何か大切なものはあったかな。何かを我慢してまで、優先しなければいけない道理があったかな。
無かった。何も。この世界の全てが、俺から奪うだけだった。与えてくれたのは、圭一だけだった。
だから、俺が好きのなのは、圭一だけ。圭一以外はどうでも良い。
こみ上げてくる笑いに腹を抱えながらも、頭の中はやけにクリアだった。
以前までの恐怖心が嘘みたいに、どこまでも呆気なく、簡単に、俺は人を嬲り、いたぶることができていて。
笑い終わる頃には、エンヴィは動かなくなっていた。
身体中が折れて捻じれて、ぐちゃぐちゃだった。ろくに立ち上がることもできない様子が、犬みたいでまた少し笑って。
『実績解除;罪源者「憤怒」』
『「憤怒」に関する、新テキストが解放されました。解放されたテキストは、手帳から閲覧できます』
耳元で響いたアナウンスに、自然と口元が歪むみたいだった。
ねえ、圭一。
湧き上がる興奮のまま、背後を見遣る。
圭一、見ててくれた?おれ、強くなったよ。
役立たずじゃなくなったよ。守られるだけじゃなくて、圭一を守れるように────、
「あれ、」
圭一は、褒めてはくれなかった。
ただ、夥しい血溜まりの中に、青い顔で倒れ伏しているだけだった。
頭頂から、すうっと血の気が引いていくような感覚。浮遊感は消えて、実体を持った恐怖がぶり返す。
「圭一!圭一、圭一!」
叫んで、叫んで。ひとしきり、叫び続けて。一心不乱に、治癒魔法を施した結果、圭一は一命をとりとめた。安堵に息を吐きながらも、自分にとって『圭一を失う』という事がいかに耐え難い恐怖であったのかを再確認する。
ただ、死んだみたいに眠る圭一を、放心したまま眺めて。
「…………」
次に俺の視線は、圭一の懐から飛び出た────いっそ、忌まわしいとすら思った────黒革の手帳へと吸い寄せられていた。
***
「『憤怒』の罪源者の役割は、この世界の罪を全て収集することです」
気持ちの悪い嬌声が、暗い部屋に反響する。
「『憤怒』は、攻略対象を屈服させることで、罪源者の適性を剝奪することができます」
素っ裸で硬い床に転がる男を、靴の爪先で転がしてみる。それすらも気持ち良いみたいで、蕩けた表情で笑う。
「『憤怒』は、剝奪した罪源者の固有魔法を行使する事ができます……だって」
読み終えた手帳を閉じて、跪く男の前髪を掴み上げる。恍惚としたその顔が気に食わなくて、頬を張って。
この男の目は特に気持ち悪いから、目隠しをさせておいてよかったと思った。
「固有魔法って、なんだっけ。『色欲』──あなたのは確か、精神干渉系でしたね」
「あぇ」
「ああ、すみません。独り言です。だから、ね。もう二度と喋らなくて良いですよ」
「…………」
「大丈夫、ちゃんと覚えてる。おれの頭も弄りましたよね、5回。嫌って言っても、無理やり犯して殺しましたね」
呆けた顔に、自然と表情が削げ落ちていくのが分かった。蘇ったおぞましい記憶に、顔を顰めて。
スパン、と。
あっけなく切断されたそれに、幾分か胸の内が空くみたいだった。同時に、男の絶叫が響く。泣き叫び、のたうつその顔面を抑えながら「なあ」と唸る。
「『嫉妬』と随分仲が良かったんですね」
「あg0faglギjjpm~!」
「…………何言ってんのかわかんないや」
「~~~っ、~!」
手を横に引けば、男の口が橋からチャックみたいに閉じていく。静かになった男に、目を細めて「それで」と言葉を継いだ。
「圭一の爆殺に、手を貸しましたね。精神操作した取り巻きをつかって、目を離した一瞬で、合成中の魔法薬に異物を混入させた」
必死に首を振る男は、噓を吐けない状態にある。
ならあれは『嫉妬』の単独犯。確かに、あの固有魔法を使えば可能だと思った。
「勘違いして、ごめんなさい。けれど、あはは。私怨がある。あなたを殺すことは決定事項です」
「今にでも縊り殺したいくらいですが、あなたのこの能力にだけは興味があるんです」
「コマンドさえ仕込んでしまえば、時間差で操れる?それとも、コマンドもいらない?対象人数は何人?」
立ち上がって、男が口端から泡を吹いていることに気付いた。出血、激痛による抹消血管の抵抗の減少。血圧低下、脳循環障害からの失神。ここで死なせる気はさらさらなかったので、幹部の止血と最低限の治癒魔法を施して、一度だけ手を叩いた。
乾いた音が、反響して消えていく。
「なので、少し実験してみる事にしました」
そのころには、扉の前に複数人の気配が集まっているのがわかった。ゆっくりと扉に歩み寄って、開けてやる。
「思ったよりも汎用性は高そう」
扉の外に待っていたのは、十数人の男子生徒たちだった。皆が皆、マネキンみたいな虚ろな目をしていて。
「いらっしゃい」
にこやかに挨拶したのに、俺には一瞥もくれずに部屋の中に殺到する。
俺の脇をすり抜けていく彼らは、部屋の真ん中で転がる男しか見ていない。一目散に。我先に屍骸に集る蟻みたいに、男性器の無い男に群がって犯し始める。
その光景のおぞましさに、込み上げるような笑いが漏れた。
くぐもった悲鳴。相変わらず聞き取れなかったけれど、何を言っているのかはわかる。
たすけて、いたい、気持ち悪い、どうして自分がこんな目に。
本当に、よくわかる。
「ペニスを切り落とされるのは初めて?複数人に、玩具みたいに犯されるのは?……そうですか」
返事にならない返事に微笑んで、敷居を跨いで。
暗い部屋を覗きながら、「がんばって」と微笑んだ。
「圭一が目を覚ましたら、ちゃんと迎えにきます」
締まる扉の隙間から、くぐもった悲痛な声が聞こえた。
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