『憤怒』の作り方

第21話 ☆きみと出会ったはなし

 父と母は開業医だった。

 直接言われたわけではなかったけれど、二人は俺に後を継がせるつもりだったのだと思うし、実際俺もそのつもりだった。両親のことが大好きで、尊敬していたから。

 両親のような医者になるためには、勉強を頑張らなければならないと知ったので、勉強を頑張りたいと両親に伝えた。

 両親は喜んで塾に通わせてくれたし、たくさんの教材や本を買い与えてくれた。

 頑張って、結果をだして。頑張れば頑張るほど、妹や両親が喜んでくれたので、俺は勉強が好きだった。

「良いよな。医者の息子はやっぱ頭の出来が違う」

 だから、そんな言葉を投げかけられたとき、俺は「ちがうよ」と、堂々と答える事ができた。

「おれは、たくさん勉強しているだけ」

 それを聞いて、同級生は怖い目で俺を見た。当時の俺にはその理由が分からなかったけれど、その一瞬で自分が嫌われたのだということだけは分かった。

 小学六年生。

 その会話を聞いていた友人たちは、「あんな厭味ったらしい言い方ないだろ」「勉強教えてもらっといて、よく当たり散らせるよな」と俺の肩をたたいた。

 俺は友人たちの言うように、彼に対して嫌味だとか、腹立たしいとかは思わなかった。中学受験も控え、彼もまたピリピリしていたのだと知っていたから。

 けれどその日から、俺の胸にはしこりのようなものが巣食うようになった。仲の良かった友人に嫌われるという経験を初めてしたからか、その言葉が特別印象的だったからか。理由はよくわからない。

 とにかく今まで見えなかったものが、視界に入って来るようになった。

「俺は、自分の意思で医者を志したんだよ」

 両親と対立しながらも、特待生枠を勝ち取って自分の進路を切り開く女生徒。

「だから、塾とたくさんの参考書で、いつも勉強しているよ」

 家計に余裕がなく、図書館に籠り、中古の参考書で勉強する男子生徒。

「両親も妹も、おれの事を応援してくれるんだ」

 両親の理解が得られずに、受験を諦めざるを得なかった友人。

「たくさん頑張ったら、頑張った分だけ報われるから楽しいよ」

 授業を最前列で真面目に聞いて、寝る間も惜しんで人一倍勉強して。それでも校内偏差値の平均に届かないクラスメイト。

 俺は、両親みたいな医者になりたいと思ったから頑張っていて。

 頑張ったから、こうして結果が出ている。

 少しずつ、少しずつ。

 自分の中の軸が、ぶれていく。

 どこからが両親の意思で、何処までが俺の気持ちなんだろう。

 どこからが与えられた物で、何処までが俺自身が掴み取った物なんだろう。

 そんな漠然とした──人によっては、「贅沢だ」「甘ったれるな」と一蹴するような──不安定。それを抱えたまま、立ち止まることもせず、ただただ歩いて。


 25歳の春、きっと俺は死んだ。

 寝ている間に隣室の火が回り、あっという間に炎に巻かれていた。

 喘ぎ、熱さに悶えながら意識を失って。

 目を覚ましたとき俺は、全く知らない世界に、ただただぼうっと立ち尽くしていた。

 そして、そこで俺は人を殺した。

 求められるまま男に手を伸ばしては、その息の根を止めた。人を殺してはいけない。万人に適用される一線を、あまりにもあっさりと超えてしまった。もう二度と医師を名乗ることができないと、全てを理解しながら、正気のまま。

 20年以上抱え、縋り続けてきたものをこうも簡単に捨てられたのだと、他人事のように恐怖する。

 ただただ、それが悪い夢であることを願ったけれど、何日、何週間たっても『夢』が覚めることは無かった。


 そして気付けば、俺はこの世界の学園に辿り着いていた。

 学校では、見た目も中身も自分のまま、「呪われた血筋」「常識知らず」と身に覚えの無い罵言と共に毎日殴られた。

 あたり前のように神秘を扱う人々に、魔力の強さと家柄が物を言う人間関係。

 人一倍努力しても、周りの『当たり前』に適応することが出来なかった。

 唯一優しくしてくれた人には、犯されて、殺された。

 殺されたかと思えば、何事もなかったかのように朝が来て、また犯された。

 応戦しようと身構えても、あの時の──初めて何かを殺したときの感覚がフラッシュバックする。呼吸が荒くなって、血の気が引いて、手足が震えて。成すすべもなく、直ぐに引き摺られた。

 罰なのだと思った。人を一人殺した人間に、憤る資格などないのだと。自分に言い聞かせながら、ただ朝に怯えた。


 毎日、毎日。殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて、殴られて、罵られて、犯されて、殺されて


 壊れたラジオみたいな笑い声が、響いていた。

 腹を裂かれて、内臓を引き摺り出されて、生きたまま食われながら。

 痛みすら碌に感じられなくなった思考のまま、ただ思い知らされる。

 両親のいない世界で、俺は驚くほどに無力だった。

 理不尽を避けようという気力も、逆境に立ち向かうだけの精神力も。

 自分の意思なんて、何処にもなかった。与えられた物を享受していただけで、自分の力で掴み取った物なんて一つもなかった。

 結局、俺には何もない。何も得られなくて、こんなにもからっぽの人間だった。

 ようやっと見つけた20年来の答えに、静かに足先から体が重くなる。心が末端から死んでいくみたいだと思った。


 そして30日目の夜。

 気付けば、縄状に編んだワイシャツを部屋の梁に括り付けていた。

 毎日毎日犯されて、殺される。

 過去の空虚さを突きつけられて、医者になる未来すら失った。

 前も後ろも真っ暗だった。終わりの見えない地獄を前に、途方に暮れて。

「…………ああ、」

 目を覚まして、絶望する。

 吐瀉物と排泄物の匂いが立ち込める室内で、どこにも逃げられない事を悟る。

 それから3日も経つ頃には、索状痕は綺麗になくなっていた。

 10日間の内に餓死したり衰弱死したりがあった気がしたけれど、正確な数は分からなかった。

 自分が死んでいるのか、寝ているのかの区別もつかなくなっていた。

 41日目の朝に、部屋を出た。

 やっぱり俺は、殺された。

 いつの間にか持っていた手帳に、自分を殺した人間と、そこに至るまでの選択肢を記録した。

 死んだ数が2桁を超えたころには、いくつかの法則性を見つけていた。

 彼らがこちらに殺意を向ける時には、決まって一定のアルゴリズムが存在すること。

 まるでゲームみたいだな、なんて。

 そんな感想を抱くと同時に、生前、妹が彼らにそっくりなゲームキャラクターに熱をあげていたことを思い出す。

 信じ難い仮設だったけれど、今更物事を現実的だ何だの尺度で測る道理もなかった。

 これがゲームなら、何らかの勝利条件を満たすことで、苦痛から解放されるのではないか。

 何もかもが不明瞭ななかで、唯一できた指針らしきものだった。

 それからは、確認できた対象のなかで、最も不確定要素──ランダム性の少ない対象に絞って攻略を試みた。

 良好な関係を構築するための応答が、確立されてきた。犯されることはほぼ無くなった。

 けれど。

『許して。ごめんなさい』

 3つあとの選択肢で死んだ。

『逃げてない』

 2、3往復の問答で、また腹を裂かれた。

『化け物。死んでしまえ』

 気付いたら、身体が俎上の魚みたいに三枚おろしになっていた。

 どの選択肢を選んでも、五体満足では済まない。どん詰まりの頭打ち。俺は、完全に行き詰まっていた。

 試行するごとに、体から心が離れていくみたいだった。

 痛覚の次は、味があまり分からなくなった。感情すら、先端から徐々に麻痺していくみたいで。

 けれど、それで良いのだと──その方が良いのだと思った。

 だってもう、これで、傷つくのも死ぬのも怖くない。


 けれど。

「…………」

 伸ばした手が、小刻みに震える。

 3つ目の選択肢の後に、武力での抵抗を試みた場合。

 前に進むために、俺はあらゆる可能性を試行しなければならない。

 理屈も、理論も理解している。あらかじめ刻印を刻んだ硬貨に魔力を巡らせて、設定した座標に押し出す。

 それだけで、まず間違いなく眼前の男の脳天を吹き飛ばすことが出来る。

「…………っ、」

 結局俺は、眼前の脅威に背を向けていた。

 傷つくのも、死ぬことすら怖くない。

 けれど、他人を傷つけることだけは怖くて仕方がなかった。

 将来なんてない。いまさら惜しむ物なんてない。

 ただ、そこに横たわる断崖を飛び越える事だけが怖かった。

 対岸に辿り着いたとき、自分が全く知らない自分になっているような。

 そんな、漠然とした恐怖。

 自分の感情の輪郭も掴めないまま、ただただ逃げた。

 逃げて、逃げて、逃げた先。

 終点は、医務室だった。


「…………そんなの、おかしい」

 はじめは何を言われているのかよく分からなかった。

 折られた足を引き摺って、逃げるようにたどり着いた医務室。

 最奥のベッドから顔を出した青年は、「これ、口止め料な」と言って、ココアを淹れて差し出してきた。

 そして、俺の怪我に気付くと、少しだけ真剣な表情になった。

「なにがあった」

 確か、俺を今追いかけてきている青年も、最初はそんな風に気遣ってくれたんだっけ。

 他人事のように考えながらも、比較的正直に事態を青年に伝えた。何回か犯されたり殺されたりしたことは、咄嗟に隠してしまったけれど。


 ────この青年は、どんなふうに俺を殺すんだろう。


 泥水みたいな水面をただ眺める俺に、青年は、小さく顎を引いて。

「…………そんなの、おかしい」

 冒頭の通りの言葉を吐いた。

 何を言われているのか、よくわからなかった。けれど、俺は数カ月、数週間ぶりに泣いていた。

 干からびた感情が、一気に潤って、芽吹いて。

 人間に戻れた気がした。もしくは、生まれ直したような。

 いたい。こわい。もう嫌だ。どうしておれが、こんな目に合わなければいけないのか。たすけて。ここから解放して。ころして。

 とめどなく溢れてくる感情を、会って一日も経っていない青年にぶつけた。

 泣きわめいて、子供みたいに追い縋った。

 青年はただ、俺の話を聞いているだけだった。それでも、俺の心は確かに救われていて。

「俺が、お前を守護り通して見せる──!」

 青年──圭一と名乗った彼は、俺の心だけじゃなくて、身体まで守ってくれた。

 責任を感じる必要がないと言っても尚、俺と怖い人たちの間に走りこんでは、いつも守ってくれた。

 もはや圭一は、俺の全てだった。

 だって、全部が変わったのだ。圭一と出会ってから俺は、一度も死ななかった。

 俺が何十回死んでもたどり着けなかった解を、いとも簡単に提示してくれる。

 そしてそのたびに──彼がこの世界の創造主であることを実感するたびに、俺は怖くなった。

 圭一に見捨てられたならば、俺はまたあの地獄に戻ることになるのだと理解していたから。

「……圭一は、どうしてそんなに優しくしてくれるの」

 だから、とうとう耐えられなくなってそう尋ねた。

 ベッドに腰かけたまま、ぶらついていた足が止まる。足を止めて、圭一は何かを逡巡しながら頬を掻いた。

「…………おまえ、いい奴だから」

「え?、」

「……『悪意が無いから、悪くない』って。そう言ってくれたろ」

 俺の言葉に被せるように、圭一は言った。

 どこを見ているかよくわからない目で、ぴ、と天井を指先して。

「すぐ後悔したよ。あんまりに卑怯だと思った」

「卑怯?」

「そうだろ。だって、お前はそう言うしかない。俺だって、お前の立場だったら怖いよ。四六時中相手のご機嫌伺いだ」

 気まずげに逸らされた双眸に、俺もまた目を見開いていた。

 思えば確かに、あれ以来圭一は俺に謝ることは無かった。そして俺は、それを有難いとも思っていた。

 口ではああ言ったし、その言葉は完全な嘘というわけでもない。

 けれど。「どうして俺がこんな目に」と、そんな行き場の無い感情を持て余していたのも事実なのだ。

 打算で圭一の言う、『ご機嫌伺い』のような言動をとったこともあった。

 圭一の指摘は、的を射ている。

 そしてそれが、正直意外だった。

 圭一が、その非対称性に自覚的だとは思わなかったから。

「だからさ」なんて。そんな言葉に、豆鉄砲を喰らったような心地のまま目を瞬く。

 眠たげな黒目が、顎を引いた拍子に逸らされて。

「そんなに気張らないでほしいっていうか、もっと我儘言ってほしいっていうか…………」

「圭一……」

「いや、本当に俺の立場で言えたことじゃないんだけど、その、」

 ──友達、なんだし。

 消え入りそうな声に、わけもなく鼻がつんと痛んだ。

 よくわからない感情がまた込み上げてきて、圭一の身体に追い縋った。

 腕の中で、薄っぺらい肢体が少しだけ強張ったのがわかる。

 けれど初めて会った時みたいに、圭一は何も言わずに俺の感情を受け止めてくれていた。




 圭一に何かを返したくて、討伐に行った。

 報酬がもらえるようだったし、自分が戦えるようになれば圭一の負担も減ると思った。

 あれだけ圭一に言われたのに、俺は自分の存在意義を示すことに必死だったのだ。

 けれどやっぱり、何かを殺す直前になると、身体が動かなくて、何もできなくなった。あの時の感覚が、頭から離れない。名も知らぬ男の呻きが、頭の奥から響いてくる。

 そして同時に、怖くなる。

 圭一は、俺の境遇に対して、「おかしい」と憤った。けれどそれは、俺の全てを知らないからだ。

 俺が、人を殺せる人間なのだと知られたのなら。そして、犯されて殺されて、汚れる事を「当然の報い」だと切り捨てて。

 ────唯一の支えを、喪ったのなら。

 今度こそ、自分がどうなってしまうのかわからなかった。

 俺が無様に尻込みしている間にも、圭一は俺を守るために傷ついた。

 俺は罰を受けて当然の人間だ。誰かに守られ、憐れまれるような資格は無い。

 分かっている。理解しているのに、彼に不誠実であり続けては、彼が傷つく姿を看過している。

 彼に嫌われたくない。拒絶されたく無い。

 そんな、身勝手なエゴだけで。

 不甲斐なくて、弱い自分が情けなくてただ泣いた。

「ごめん」「おれ、何もできなくて」

 もっと言うべきことがあるはずなのに、そんな嗚咽しか出てこない。

 子供みたいに泣きじゃくる俺に、圭一は困ったように腕を組む。

 何かを考えて、「じゃあ」と右眉を上げる。

「俺の萌え語りにたまに付き合ってくれ」

「萌……えっと……」

「お前は『うんうん』って頷いてくれてれば良いから」

 よくわからなかったけれど、圭一の頼みなら断る理由も無かった。

 曰く、「吐き出さないとやっていけない」らしい。

 けれど、言葉の割に彼は乗り気ではなさそうだった。俺に罪悪感を与えないように、何かしらの役割を与えてくれたのではないか。

 少しだけ赤い顔で話す彼を見て、なんとなく思った。

 それでも俺にできることはそれしかなかったので、ただ「うんうん」と彼の話を聞いていた。次第に圭一は、澱みなく話していくようになった。

 好きな作家さんのはなし、漫画の話。

 洗脳だとか監禁だとか。不穏な言葉が度々聞こえてきて、「そんな良いものじゃ無い……と思うよ」と口を挟めば、なぜか少しだけ嬉しそうな顔をする。

 その後も、圭一の話に口を挟んだりするたびに、彼は嬉しそうに難しいことを早口で話した。

 分からないことは多かったけれど、圭一と話すのは楽しかった。

 好きな食べ物、好きな漫画、家族のこと、幼少期のこと。

 話すたびに、彼のことをもっと知りたいと思った。

 だから、一言一句聞き逃さないように耳を傾ける。 

 少しだけ頬を上気させて、普段は半開きの目をキラキラ輝かせる姿を見ていると、なんだか胸が温かくなった。

「見すぎ」

 と、怒られることが増えた。怒られては、自分の頬がだらしなく緩んでいることに、指摘されて初めて気付く。

 「圭一が楽しそうだと、おれも嬉しい」

 素直に心中を吐露したら、圭一は口をムズムズさせた。

 気付けば俺は、朝に怯えずに眠ることができるようになっていた。

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