第18話 『怠惰』はかく語りき 上

 とある伝説的な鍛冶職人が、晩年作り上げた剣。

『常勝の剣』と呼ばれるそれは、かつてこの世界の覇権を握った旧魔道帝国の国宝であった。しかし、それは大厄災の際に帝国と共に海に沈んだ。今から遡ること600年前に発掘されることになるが、驚いたことに、『常勝の剣』は海に沈んで100年もの時を経ても尚、当時のままの鋭さ保ったままだった。一流の職人が命を懸けて鍛え上げたそれは、並外れた強靭さと魔力純度を誇っていたのだ。発掘された後は王家の手に渡るも、後の大戦で紛失。再び表舞台から姿を消した『常勝の剣』は、現在もまだ見つからずにいる。

 …………と、それが、『傲慢』の代替器の表向きの設定である。

 当然、作者である俺はその在り処を知っている。しかも、水晶や万華鏡とは異なり最初から学園内にあった。


「────失礼しますゥーー…………」

 グリードの使い魔に導かれるまま、解錠された扉から室内に踏み入る。

 部屋の最奥では、一人の青年が執務机の椅子に背を預けたまま目を閉じていた。くすみ一つない白肌に、鼻梁の通った彫刻のような美貌。絹みたいな金髪が、大窓から差し込む陽光を反射して、天使の輪みたいに光っていた。

 彼こそは、モーガン・ル・フェイ。『怠惰』の罪源者にして、この学園の生徒会長を務める俊英である。


『常勝の剣』には、大きな秘密があった。

 それは、一定量の魔力を注ぐことで形を変えるということだった。王家は戦火のなか、性質を利用してこの剣を装飾品に加工した。いざという時の護身用か、はたまた剣自体を守り通すためか。目的こそ今は知りようも無いが、装飾品に姿を変えたそれは、『ショールチェーン』として、当学園の生徒会長に代々引き継がれていた。

 つまり、どういうことか。

『傲慢』の代替器は、現行生徒会長──『怠惰』の手の中にあるということであった。

「毒を盛ろう」とグリードは言った。モーガン・ル・フェイは執務中に必ず決まった紅茶を嗜む。現地部隊(グラトニー)に隠滅された茶葉を、彼が丁度取り寄せるタイミングでその缶に毒を盛ろう。そんな作戦だった。

 グリードの『友人』だという商人を媒介し、毒入りの紅茶はモーガンの手に渡った。そして現在、無事に猛毒入りの紅茶を彼に飲ませることに成功したわけだが。


 午後3時。

 まんまと学園生徒会室へと不法侵入を果たした俺は、忍び足で、寝息を立てるモーガンの元へと近付く。数メートルにまで近付いたにも拘わらず、青年が起きる気配はない。

 執務机の上には、茶渋が出来た空のティーカップが放置されている。

 成る程、よく眠っていると思った。グリード曰く、「ジャッケンパイソンも1年は起きないレベル」の毒らしい。「インド象も2秒で倒れる」的なサムシングという解釈をしていたが、そんなレベルではないかもしれない。

 死んでないよな……?と念のため、モーガンの口元へと手のひらをかざす。

 息があることを確かめては、モーガンの胸元────ショールチェーンへと手を伸ばして。


「────こんにちは」


 そんな言葉と共に、俺の手首は捕らえられていた。


「夜這いですか?」


 目を瞑ったまま口を開いた青年に、仰け反りながら唇を噛んで。

 狸寝入り?何で起きてる?ジャッケンパイソンも1年は起きない毒だぞ?否、それよりも。誘い込まれた?

「っ、グリード!」

 脳内を埋め尽くす疑問符を振り払っては、ショールチェーンに手をかけて叫ぶ。

 少しだけ驚いたような表情をする青年。同時に、俺の手の中からはショールチェーンが消え、代わりに、グニャリとした2つの球体が握られる。

 完全に目を開いた青年は、「驚いたな」と声を漏らしては俺の腕を引き寄せた。バランスを崩した上躯を抱き込んで、俺の手から球体を抜き取って。

「『暴食』の眼球、でしたっけ」 

「…………?」

「転移させる物が、逆だったのでは」

「…………ぶっちゃけ後悔してる…………」

 俺の言葉に、青年の肩が愉快そうに揺れた。

 愚かにも、咄嗟の判断で自身ではなく代替器の方を転移させてしまった。

 罪源者の眼球二つを以てしてやっと転移させられるとは。それにしても、桁外れの魔力濃度である。

「きみ、実はかなり頭が弱いですね?」

 そして何より不味いのは、グリードの手元に、代替器が全て揃ったことになるということ。

 彼にとっての俺の価値は、今の瞬間に完全に失われたことになる。救出も望み薄だろう。

 そして、ほぼ丸腰に近い状態のまま、現在進行形で『怠惰』に拘束されている。

 ぐうの音も出ないほどに、絶望的な状況だった。

 そしてモーガンは、絶望顔の俺を楽しそうに観察する。

「まさか、こんなに簡単に捕まってくれるだなんて」

 代替器を奪われたことを、歯牙にもかけないような口調だった。

「あれに対した思い入れは無いので、どうぞお好きに」

 かちあった視線のまま、翠眼が弧を描く。「そう」と呟いた口調には、悪戯の成功した子供のような無邪気さすら見て取れて。

「僕の目的は、最初からきみだけですよ。浅葱圭一」

「────っ、」

「ああ、ご安心を」

 咄嗟に視線を巡らせた俺に、「ここに『憤怒』はいません」と微笑んだまま告げた。



 施錠された扉を背に、部屋の中央に立たされていた。拘束すらされていないところから見るに、俺はこの男にとって脅威とすら認識されていないらしい。

 執務机に寄りかかったままにこやかに微笑む男に、「いつから」と口を開いた。

「いつから、俺達の思惑に気付いてた」

「最初から」

 僅かに眼を見開いたまま、モーガンは間髪入れずに答えて。

「目が、良いんです」

 言いながら、左目を瞑った。不本意ではあれど、彼の言わんとすることは理解できる。

『怠惰』の罪源者は、その場に座したたままあらゆる事象を観測することが出来る。要するに、千里眼である。対象範囲は、半径2000kmから高低差200m。ほぼチートのような能力であるが、俺も──そして何故か、グリードもまたその能力を熟知している。だからこそ、グリードは避難場所に『叫び井戸の隠し部屋』を選んだし、紅茶に至っては観測範囲外で毒を混ぜ、商人を媒介して彼の元に届けた。

 対策はしていたのだ。だからこそ、わからない。なぜ、どこで、俺達の策略は────、

「『傲慢』の能力をお借りしました」

 最悪の形で出された解に、眩暈を覚える。

『傲慢』は、魔力ブーストのような固有魔法を持つ。シンプルではあれど、『憤怒』という例外を除いて、罪源者の中でも最強格の力だった。圧倒的な火力と魔力量で、全てを蹂躙し、跪かせる。支配者の──王家たるに相応しい能力。

 だからこそ、モーガンの言葉は悍ましい事実を示唆していると言えた。『傲慢』…………プライドの性質を鑑みるに、他の罪源者に手を貸すことは無いだろう。つまり、失踪した『傲慢』は、やはり既に狩野の手に堕ちてしまっていたのだ。

「固有魔法にも適用出来るだなんて。万能すぎて本当に厄介で、目障───あはは。そんなに身構えないで」

 和やかで、旧知の仲にでも接するような口調だった。どこまでも宥和的な態度の男に、しかし俺の相貌は強張ったままで。

「取って食いやしませんよ、僕は平和主義ですから」

 この感じで、この男は一度義兄を手籠めにした近親相姦野郎であった。

 噓すぎる自己紹介に後退りする俺を他所に、モーガンは文机の上に腰かける。

 無造作に投げ出された長い脚に、何処か気怠げに組まれた指。品行方正という評判とは何処か乖離した佇まいのまま、また左目を瞑った。

「どうぞ、お客人。立ったままではお辛いでしょう」

 俺の背後には、いつの間にか豪奢な椅子が鎮座していた。来た時には無かった。椅子を見て、眼前の男を見て。

「まあ、座れ」

 そんな低い声には、有無を言わせぬ圧があった。

 この男の考えこそ知れないものの、直ぐに手を伸ばしてこないのが救いだった。男の目的さえわかれば、交渉の余地があるかもしれない。

 大人しく椅子に腰かけた俺に、モーガンは満足げに笑う。

「一度きみと二人きりでお話がしたかった」

 辺幅を飾らぬ口調に、その言葉が心の底からの物なのだと理解する。だからこそ、薄気味が悪くて。「なぜ」と俺の問いに、「好奇心で」と間髪入れずに返ってくる。

 内面が顔に出ていたのか、モーガンはどこかニヒルに笑っては肩をすくめる。

「じゃあ、こうしよう。出血大サービス、君の質問に何でも答えますよ。だから、ほら。腹を割って話しましょう」

「だから、意味が…………」

「僕はいまとても機嫌が良いのです。それに、」

 ────同類だろ、俺たちは。

 低く落とされた言葉に、相貌を擡げる。表出した彼の本性はもとより。その言葉の中身が問題だった。

 俺の表情を見たモーガンの口元が、心底可笑しそうに歪んだ。

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