第19話 『怠惰』はかく語りき 中

 ────同類だろ、俺たちは。

 低く落とされた言葉に、相貌を擡げる。表出した彼の本性はもとより。その言葉の中身が問題だった。

 俺の表情を見たモーガンの口元が、心底可笑しそうに歪んだ。

「同……類、って。一体、何を言って────」

「…………改めて自己紹介をしようか」

 俺の言葉を遮って、恭しく自らの胸へと手を添える。

「本名は鋳型朱(いがた まこと)。国籍は日本。生まれは東北、育ちは東京。満月の日に、火事で死んで『モーガン・ル・フェイ』として生き返った」

 日本、東京、東北。

 久しく対面することの無かった単語の羅列に、混乱のまま前髪を掻き上げる。

 何らかの策略か、狩野の入れ知恵か。

 忙しない思考に反して、口は独りでに「転生?」と疑問を零していて。

「……つまり、その。…………あんたも、選ばれたって……そういうことか?」

 俺の疑問に、モーガンは口端を吊り上げる。その表情には、どこか、こちらを嘲るような酷薄さがあった。

「選ばれた。選ばれた、ね」

 首を傾けて、天井の隅へと視線を飛ばす。

「ありがちな誤読だ」

「誤読?」

「どこから話したものか。面倒なことこの上ないが、何でも答えるとか言った手前なぁ」

 呟いたまま、視線をぐるりと回して。脚を組みなおして、顎を引いた。拍子に、艶やかな金髪が、青年の右目を隠す。

「あんた、『来訪者』は知ってる?」

「…………なんだよ、それ」

「記憶喪失、意識の混濁、支離滅裂な言動等の症状が見られ、『自らは、この世界とは全く違う様相の世界からきた来訪者である』という妄想に取り憑かれている。精神疾患患者だ」

「それって…………」

「連中が口にする妄言としては、トウキョウ、だとかマンハッタンだとかローマだとか。意味の分からない造語を、とにかく多彩な言語で並べ立てやがる。ヤバい奴らだよな?」

 青年の言葉に、絶句する。ここまでくると俺は最早、青年の言葉を疑う事すらしなくなっていて。それでも、彼の主張は俄かに信じがたい。だって『来訪者』とは、つまるところ。

 …………つまるところ、俺たちと同じ転生者ということではないか。

 最早口を開閉させるしかない俺に、モーガンは目を細める。

「そう言う精神疾患者が、全世界に500人弱。全員、各地の特殊疾患病棟に収容されてる。俺たちみたいに集計されてない奴らも合わせれば、その1.5倍はいるんじゃないか」

「…………っ、」

 楽しげな口調のまま、「つまり」と言葉を継ぐ。瀟洒なコートを揺らしては、悠然と地に足を付けた。

「お前は選ばれたんじゃない。たまたま生き残っただけだ。偶然淘汰を免れた、750分の1でしかないんだよ」

 信じ難い話だが、青年の言葉には妙な説得力があった。出会った当初の狩野の、憔悴しきった姿が脳裏を過ったからだ。

 わけもわからないまま、周りに全くの別人として扱われて、さらに魔法という得体の知れない超常現象に適応することを強いられて。

 狩野の例は特別深刻であるとはいえ、常人ならば、充分精神を病むに足る苦痛だと思った。

「まァ、社会構造としては『東京』と大差はないからね。生き残るのはいつだって、ハートが強かったり、頭が良かったり、相応の社会生があったり。そうだな。あとは────」

 そして、俺を見て目元を撓ませる。

「────あとは、運がいい個体」

 意地の悪い声音で言いながら、悪辣に笑う。そんな明らかな侮辱にすら、俺は碌に反応することができなかった。

 だって、その言葉が本当ならば。その偶然のせいで、狩野は罪源なんて業を背負わされて、あんな目にあわされて。

「……い、一体、何だってそんな……誰が、何の目的で──」

 わけがわからなかった。視線がおぼつかず、ただ、助けを求めるみたいにして眼前の男へと当惑の視線を向ける。

 俺の視線に、先刻とは打って変わって、感じの良い笑みで答える。それこそ、頑是ない幼子にむけるような。

 き、と。

 部屋の奥へと投げられた、無機質な視線を負う。

 視線の先に佇んでいたのは、不気味な彫像だった。顔面には穴が空いており、腕が6本生えている。

 この短くも濃密な旅の中で、何度か登場した異形の像である。

「……神様?」

「そんな崇高な物じゃないと思うけど?その悪趣味な奇形は、偶像に過ぎない」

「偶像……だから、何を言って、」

「世界の反射、若しくは生存本能。そんな現象に、解釈しやすいように形を与えただけ」

 薄笑いを浮かべたまま、横柄な口調で「知ってるか?」右目を細める。

「来訪者が初めて確認され始めたのは、先代の『憤怒』が王家と袂を別ち、失踪してからだ」

「…………」

「そして、来訪者が急増した時期には、必ず罪源者の代替えが起きている」

 …………例えば、どうだろう。

 罪源者が死に瀕しているとき。若しくは、何らかの事情で、憤怒が器として機能しなくなったとき。

 そしてそんなときに、この世界のどこにも、継承者足り得る人間が存在しないという危機的状況。

 そんな状況が、この500年で全く起きなかったと果たして言い切れるのか。

 否だ。

 悍ましい想像が、胸中にじわりと影を落とす。

 狼狽のまま歪んだ口元を手で覆えば、モーガンはわざとらしく目を見開いた。

「ヒトだって溺れれば藻掻くし、病原菌が入ってきたら免疫が働くだろ」

 それと同じ、なんて言葉に、とうとう肩を抱く。

 ──『罪源』という病巣に侵され、厄災に見舞われる度に。この世界は、受け皿となる器を俺たちの世界から引きずって来たというのか。

 そして、750……若しくはそれ以上の同胞の屍の上。『憤怒』の器として選ばれたのが、狩野だった。

「……っ、そんなの、まるで」

 まるで、生贄ではないか。

 言葉を呑むも、咄嗟にそんな言葉を連想した自らに嫌悪感を覚える。

「……最悪だ」

「最悪?何が」

「何がって……アンタだって、無理矢理『怠惰』に取り憑かれたんだろ?!だったら──」

「だったら?お前に何ができる」

 歩を止める。3歩で縮められる距離から、濁った翠眼がこちらを見ていた。

「……『怠惰』の代替器の在処を、知ってる」

 モーガンの秀眉が、僅かに釣り上がる。顎を引いたままこちらを睨めあげながら、「それで?」と言う。

「『怠惰』の代替器を回収するにあたって、全面的にあんたに協力する」

「ふぅん。お前に何の得がある」

「損得じゃない。これは、責任だ」

 気付けば、吐き捨てるようにそう答えていた。

 だって、元を辿れば全て俺が原因だった。俺のせいだった。

「この世界の苦しみも、理不尽も、何もかも全部」

 安っぽい感動を求めて、誰かの親友を奪った。自分の欲求を優先して、世界にどうしようもない業を背負わせた。

 自らの生み出した不幸で、実際に苦しんでいる人間を前に。「悪気は無かった」などと責任を放棄するような真似はできなかった。

 水を打ったような沈黙が落ちる。

「っく、」

 込み上げるような笑みを漏らした青年に、相貌を上げる。

「ははははははは!」

「っ、」

 そして、急激に縮められた距離感に散瞳する。睫毛が触れ合うほどに近づいた双眸に、引き攣った悲鳴を漏らして。

「ああ、お前。お前、名前はなんだっけ。そうだ!アサギケイイチ!」

「誤解してたよ、お前のこと。あはは、なるほど。非礼を詫びよう。俺が間違ってた!お前は単なる『ラッキーボーイ』なんかじゃない!」

 見ているだけでおかしくなりそうな色彩の双眸。水晶体の向こうで広がる瞳孔は、黒い星みたいだった。

「この世界のすべての不幸が、自分に帰属する?あはは。自意識過剰だな」

「…………だけど、事実だ」

「本気で言ってるんだもんなぁ。なあ、アサギケイイチ。俺はお前ほどに傲慢な人間を初めて見たよ」

 冷や汗の伝う頬を、青年の白い指がどこか蠱惑的に這う。「安心しろよ」と囁く声には、人を誑かすためだけの甘ったるさがあった。

「……俺は現状を憂いてなんていない。むしろ、歓迎してすらいる」

 細い金髪が、さらと揺れる。その向こうで、切れ長の翠眼が、猫みたいに弧を描いた。

「だって、あはは。何もかもが思いのままなんだぜ。何を憂う必要がある!」

 ────その気になれば、『俺たち』にできないことなんて無いんだから!

 ガン、と。

 何か固いもので、思い切り頭を殴られたような。そんな衝撃のまま、気付けば男の胸倉を掴み上げていた。

「…………あんたか」

「なに?」

「あんたが狩野を唆したのかって言ってる!」

 ────『その気になれば、「俺たち」にできないことは無い』

 あの日あの時、狩野もまた確かにそう言った。

 エンヴィの脚を奪いながら、『親切な人が教えてくれたよ』と。

 ここにきて、すべての点が線で繋がるようだった。狩野とモーガンの謎の協定も、何より、狩野が『憤怒』として成熟してしまったわけも。何せ罪源者ルートの解放条件の一つとは、『主人公が己の出自を知ること』なのだ。

「おいおい、先刻までの自責思考はどこへ行った?」

「うるさい、お前さえいなければ──お前が、あいつのタガを外したんだ!」

「人聞きが悪いな。打算こそあれど、悪意があったわけじゃない」

 先刻までのとは打って変わって、冷めた目のままこちらを見下ろしてくる。興醒めとでも言うように、「だって、可哀想だろう」と唇だけで問いかけて。

「自分の力を知らないまま。侮られ、足蹴にされ、奪われ続ける毎日で。挙句、想い人にすら拒絶されて」

「……っ、」

「断言しても良いぜ。あの夜、あれに誰よりも寄り添っていたのは俺だった」

 その言葉の一つ一つが、突き刺さっては鋭く胸を抉る。

 俺が身勝手な内面のまま狩野を拒絶したあの夜が、分水嶺だったのなら。モーガンの言葉は事実に違い無いのだ。

 背中を押したのはモーガンでも、そのきっかけを作ったのは、やはり俺だった。

 打ちのめされたような心地のまま、目元が小さく震える。「それに」なんて言葉の先を、呆然と待つ事しかできなかった。

「あれはもう、とっくの昔に壊れてただろ」

「何を──何言って……」

「人一人殺しておいて、まともでいられるわけがないと。そう言っている」

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