第13話 『暴食』と行く!ぶらり食い倒れ旅!下


 現地民が必死の思いで埋めた木の実を掘り返しては、「ごめんなさい……ごめんなさい…………」と涙を流しながら貪り食う。

 夜になるとグラトニーが七色に光り始めるので、家路には困ることがなかった。

 ひたすらに歩き続けて小都市に着いたのは、三日目の深夜だった。随分とフレッシュさは取り戻したようだったが、グラトニーは未だに完全復活には至っていない。

 住民たちも寝静まる時間という事で、宿として貸し出して頂いていた礼拝堂へと真っ直ぐに向かう。

 実に3日ぶりの、屋根がある環境での休息である。

 倒れこむように礼拝堂に入れば、空間の中央に聳立した彫像が、無機質に此方を見下ろしていた。見下ろしているといっても、その顔面には穴が開いているので目は合わないが。

 そんな、六本腕の変な彫像と、寝っ転がったまま見つめ合いながら。

「…………まさか、あの渓谷から帰って来るとは」

 不意に、背後から降ってきた声に身じろぐ。

「────ッぐぅ!」

 脳が揺れる衝撃に、再び地面に突っ伏す。ブレる視界に写ったのは、礼拝堂を囲むようにゆらゆらと揺れる、いくつもの炎。そして、

「市長…………?」

 つい三日に、俺たちを送り出した市長その人だった。俺の呻きに、市長は答える代わりに顔を顰める。

「あれに杭を打ち込め」

 顎をしゃくるようにして、グラトニーを指す。巌のような皺の刻まれた相貌には、明らかな侮蔑が滲んでいた。

「また我々を苦しめるつもりか、忌まわしい怪物め」

 激痛と混乱のまま、まだらいろに染まる思考の中。市長の言葉に、咄嗟にグラトニーの身体を抱え込む。

 状況は全く理解できないが、この敵意がグラトニーに向けられた物であることだけは感じ取れたから。

「……何のつもりですか、アサギさん」

 思いっきり頭殴っといて、「何のつもりですか」と来たもんだ。

「あ、んたこそ、なんのつもりだ」

「その男は屍鬼だ」

「何をもって」

「…………屍鬼が、なぜ死してなお動き続けるのか」

 その言葉に、口を閉じる。

 単純に、答えられなかったからだ。俺はその原理をしらない。

「肉体が滅びないからだ。肉体が生きている限り、魂も滅びない」

「…………」

「黒血病によって不死となり。飢えに喘ぎ熱さに悶え、なお死ねない魂は、やがて狂って人を襲うようになる。それが屍鬼です」

 屍鬼のそれが、想像を絶する苦痛であるのはもとより。そんな不死の化物に、この町の住民はずっと苦しめられてきた。

 ゆえに、グラトニーを屍鬼と信じる彼らの怒りと、恐怖は理解できた。

 だが、納得はできない。

「それが……、コイツとなんの関係が…………」

「あの渓谷を下って、生きて帰ってきた。それが、何よりもの証拠です」

「そんな──!」

「それは、私よりも年上だ。私が生まれるよりもずっと前から、その姿でここに『居た』」

 絶句する。瞠目すれば、市長は苦々しい表情で吐き捨てる。

「それは不老不死です」 

「それは、コイツが『暴食』だから──!」

「いいえ。『暴食』は不死ではあるが不老ではない。そう記録されています」

「──っ、」

 ──食への執着は生への執着も同義。

 常軌を逸した五感、身体能力、再生力を持つがゆえ、外的要因で『暴食』を殺す事は不可能。

 ミンチになっても、ウェルダンになっても、『暴食』であるグラトニーは何度でも起き上がることができる。

 何度も何度も起き上がり、死肉含めた全てを貪り続けるのだ。

 その在り方は確かに、傍から見れば屍鬼と見分けはつかないかもしれない。そして、記録上の『暴食』とグラトニーの差異について、俺は何も知らない。彼らを納得させられる説明ができない。

 …………だが実際問題、彼は屍鬼とは完全に別物なのだ。

「私の祖父は、屍鬼に食い殺されて遺体も帰って来なかった」

「ちが……」

「……アサギさん」

 俺の弁解を遮って、市長は「先刻は、手荒な真似をして申し訳ありませんでした」と視線を伏せた。

「あなたは人間だ。我々は人間を殺したいわけではない」

「話を、聞いてください。こいつは、屍鬼じゃ……」

「あなたが悪魔の手駒でないというのなら、その怪物をこちらに渡してください」

 けんもほろろである。絶えず押し寄せる痛みの中に、重い苛立ちが混じるのは分かった。

 話の通じなさは勿論。その気になればいつでも奪い取れる状況で、敢えてこちらを試すような真似をしてくる、その性根が気に食わなかった。

「渡して、どうするんですか」

「不死殺しの杭を打ち込みます」

「打ちこんで、殺す?」

「はい。ですが、ただでは殺しません。ここにいる全員、一族郎党の受けてきた苦しみを味合わせてから、首を刎ねます」

「…………」

「その怪物の味方をするというのなら、貴方も同じだ」

 あまりにも白々しい言い分に、覚束ない視界のまま失笑する。

「じゃ、殺せ」

 グラトニーを、さらに強く抱き込んでは吐き捨てる。ぐにゃりとした感触とその冷たさは、完全に死人のそれだった。

「とても、『人間』を見殺しにするような真似はできません」

 ────おれは、あなたたちとは違うので。

 俺の言葉に、市長の米神に青筋が浮かぶ。

 同時に松明を持った市民たちが、怒気を露わに押し寄せる。あっという間に囲まれて、背後から思い切り殴られた。

 ぐえ、なんて呻きを上げて、木からポロッと落ちるリンゴみたいに、地面にまた這いつくばって。俺の痴態を見たどっかの学者さんが、この世のすごい法則とか発見してくれないだろうか、なんて。

 そんな馬鹿な事を考えているうちに、降り注ぐ足、足、足。

 襤褸雑巾みたいに俺を踏んずける連中の脚の隙間。グラトニーの胸に宛がわれた杭が、ハンマーで打ち込まれる瞬間をボンヤリと眺めていた。


「おにくぅ」

 くん、と。

 不意に、生白い手首が、ひとつの生物みたいに不自然に跳ねる。

 そしてそのまま、喰らい付くみたいに手近な男の 腕を掴んで引き寄せて。

「フレッシュなお肉だわーーーい!」

「あ、あああああああ!」

 男の絶叫が響く。

 引き寄せられた男の首筋に、グラトニーが喰らい付いたからだ。抵抗する男を、軋むような力で抑え込みながら、首筋に相貌を埋める。ボサボサの栗毛がゆらゆら揺れる。

 グチャグチャ、バキバキ、ボキボキ、ぱきん。

 あまりの光景に凍り付く礼拝堂に、耳を覆いたくなるような捕食の音が響き渡っていた。

 血走った眼を剥いた男が、叫ぶこともできず、生きたまま食われていく。

「ば、バケモノ……」

 誰かが漏らした引き攣った言葉に、小ぶりな頭が揺れを止める。

 完全にこと切れた男の首筋から、相貌を擡げて。グラトニーの血濡れの唇が、三日月型に歪んだ。

「こ、殺せ、殺せ!」

「不死殺しの杭を打ったはずだろう!」

「なぜ動く!なぜ死なない!やはりバケモノだ、殺せ!」

 市長の叫びをかき消す笑声。

 やはり人間離れした挙動で起き上がって、右端の女の髪を掴んでは、その首を切り裂いた。

 パックリと割れた皮膚の下から、真っ赤な筋や肉が剥き出しになる。

 噴き出す鮮血を浴びながら、恍惚に濡れた表情で今度は膨れた腹を裂いて。悪魔みてぇなしゃがれ声で笑いながら、胎児と臓物を引き出しては貪った。

後頭部を殴った市長の首を片手でへし折って、礼拝堂から逃げ出そうとする男を一瞥で三枚おろしにした。チャペルチェアの角を噛ませた、男の後頭部。それを踏ん付けては顎を砕きながら、逃げ惑う群衆を赤い目が追う。

 蓬髪の隙間で、爛々と輝く赤目がぎょろぎょろ動く。

 ぎょろぎょろぎょろぎょろ動いては、次の獲物を品定めする。悲鳴と鉄臭い血の匂いが充満する空間に、絶えず肉を貪る音が響いていた。

「…………」

 そして、天井のステンドグラスから朝日が差し込むころ。

 すっかり静かになった礼拝堂は、酷い有様だった。

 壁にも床にも、黒ずんだ血が浸み込んでおり、ところどころに、女の長い髪が引っかかっては垂れ下がっている。

 引き回されたような血の跡の中央に、積み上げられた屍の山。夥しい腐臭を発するその頂点で、背を丸めた気だるげな人影がただ蠢いていた。

 ほとんど目が見えなくなってきたころ。

 ぐちゃぐちゃと絶えず響いていた咀嚼音が、ようやく止んだ。かと思えば、何かを引き摺るような足音が、近づいてきては止まった。

「ケーイチ」

 そんな呼びかけに、目をつむったまま「なに」と答える。

「おなかすいた」

「怖い……」

「端っこだけ齧っていい?」

 先刻よりもずっと近くで──耳元で聞こえた甘ったるい声音に、指先がピクと跳ねる。冷たい指が、俺の腹を縦になぞった。

「おなか、まっしろだけど今は青あざだらけ。薄っぺらいなかに、あったかくて柔らかい中身が詰まってる」

 切り取り線を入れるようなそれは、予行演習でもするような手つきだった。

「指は長めで、爪はうす桃色。歯ごたえが良さそう」

 骨張った手が、指を絡めるようにして俺の手を握り込む。

「舌は赤くてちっさいね。小さい女の子みたい」

 無造作に口に突っ込まれた指が、口内を掻き回しては舌を摘んだ。口内に広がる、鉄臭い誰かの血の味。内臓がひっくり返るような不快感に、吐き気を飲み下して。

 どうにか首を振ったとき、俺は完全に半泣きだった。

「勘弁…勘弁してください……」

「えぇ。どうしてもだめ?」

「父さん母さん、先立つ不幸をお許しく」

 辞世の句を唱え始めた俺を、言葉に反して抱き上げるグラトニー。「んぇ」と呻くと、「冗談だよ~~」という小憎らしい笑み声が降った。

「端っこだけじゃ足りなくなっちゃいそうだもん」

「俺が死んだらお前も困るんだぞ!」

「あはは!だっていまのケーイチ、妙においしそうだからさぁ」

 三下すぎる命乞いをする俺を、カラカラ笑いながら「やっぱ重いわ」と地面に落としては足から引き摺り始める。落下の痛みに悶絶。抵抗しようとして、最早指先すら碌に動かせない事に気付く。

「俺を売らなかったね」

「売ったって、どうせ俺は碌な目に遭わなかったろうし」

「放っときゃいずれ復活すんのに、律儀に俺を引き摺って帰ったね」

「…………どうせ帰り道覚えてないんだろうし」

 そんな問答の末にグラトニーは、「おっとこまえ」と吹き出して笑った。懐の水晶を、落とさないように抱え直す。そして、「俺ね」なんて言葉に、痛む口元を舐める。

「かなり嬉しかったんだよ。あのとき、俺を人間だって言い張ってくれたこと」

「…………」

「だから、ね。今は食べないでおくね。俺はバケモノじゃないから」

 冷や汗を噴き出す俺に反して、グラトニーはカラカラ無邪気に笑う。

 挙句鼻歌まで歌い始めたそいつに、最早悪態を吐く気力すら湧かなかった。

 引き摺られる間に何度かグチョグチョした感触を踏ん付けて、ただただ、目が見えなくて心底良かったと思った。

 そして、血の匂いが砂の匂いに変わり、再び日差しの温度が肌を焼く。

 荒野を全身で感じながら、「今は?」と尋ね返せば、足を掴む手に力が籠った気がした。

「ケーイチは、ユキトの後に食べてあげるね」

 頭がおかしくなりそう。

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