第12話 『暴食』と行く!ぶらり食い倒れ旅!上
絶好調な陽光が、丸めた背中をジリジリ炙っている。ローストビーフにでもなったような心地である。
硬い地面にじっと三角座りする俺の足元を、丸い草の塊が風に吹かれてコロコロ転がっていく。ちなみにこれには、ちゃんとダンブルウィードという正式名称があるらしい。
そんな、コロコロウィードが転がる地面は、申し訳程度の緑がある物の、ところどころひび割れては茶色い土が露出している。
非常にかぐわしい…………こう、何とも、死を感じる光景である。
俺は今、不毛の土地・イビフ地方に来ていた。
グリード曰く、あの後、狩野は狩野で、真っ直ぐ俺を引き摺りにくるわけでもなく学園外に遠出をしてしまったらしい。
なぜそんなことがわかるのか。戦々恐々と尋ねた俺に、グリードはまた無言で微笑んだ。
壮絶な笑みを湛えたまま、「お友達が多いんだ」とだけ答えた。怖すぎて深入り出来なかったが、グリードは罪源者の中でもトップレベルの遠耳である。信頼に値する情報ではあるだろう。
そんなこんなで、絶好のタイミングに、こうして遠路はるばる回収にきているわけだが。
「口の中パサパサ…………」
既に死にそうである。
都会の文明の利器という利器にぬくぬく甘やかされてきた俺に、サバイバルなど土台無理な話であって。
「ケーイチー!たべもの見つけたぁ」
「グラトニーの兄貴……!」
3日目にして、猟奇!カニバ男を兄貴と呼び慕う体たらくぶり。
だが、この、歩く18G男がいなければ、俺は初日にこの土地の養分となり果てていたのは確実だった。
不毛の土地に於ける、グラトニーの頼もしさは異常だった。食に対する嗅覚が尋常ではない。野に放てば、必ず、どこかしらから何かしらの食物を持って帰ってくる。おまけに最強の胃袋を持っているため、危険な食物も率先して平らげては、「これ、毒です」と警告してくれる。先日のキノコなんて、グラトニーだったから『夜になると体が七色に発光する』程度の後遺症で済んだが、俺が食っていたら即死だった。
そして今回の収穫は、どうやら木の実らしい。この申し訳程度の有用樹しかない土地で、木の実。出所がわからないにもほどがあるだろ。
「……ほ、本当にどうやって?」
「なんかぁ、地面掘ったら出てきた」
「そんな事ある?」
「あるある。雨季が終わったら、集めた木の実を埋めるんだよ」
言葉の通り、受け取った果物は土で薄汚れている。差し出された木の実を「あ、ありがとう……」と拭っては、戦々恐々と口に放り込む。空腹という最高のスパイスも相まってか、異様に美味い。
「小動物とかが埋めたやつかな」
「いんにゃ」
「にゃ?」
「ひと、人。化粧品とか日焼け止めにするために、腐らせてんだよ」
元々イビフ地方の出身というだけあり、グラトニーはこういった情勢に詳しかった。
しかしそうなると俺たちは、誰かが乾季に備えてせっせと収集した備蓄を、勝手に掘り返す盗人という事になるが。大罪すぎる。しかもちゃんと食べちゃったし。
「ありえねー!食べずに腐らせるなんて、ヒトのすることじゃねえよなぁ!」
「おお……」
「あんまりにも可哀想だから、掘り起こしてきちゃった」
倫理観が、『暴食』すぎる。
呆然とする俺を他所に、残りの木の実が続々と真っ赤な口に吸い込まれていく。思い出したように実を差し出してくれるが、それを素直に受け取る気にはなれなかった。
「大丈夫、バレっこねぇって」
「いや……その…」
「バレても、文句言うやつはみーんな俺が食べてあげる」
微妙な表情で人差し指をこね合わせる俺に、小首を傾げて。グラトニーは、唇を尖らせた。
「まぁ、昔はよく取っ捕まって引き回されたんだけどね」
「引き……昔からそんな感じだったんだ…………」
「うん。そうでもしねーと生きていけなかったからね」
そんな言葉に、わけもなく気まずくなっては頬を掻く。
グラトニーは、大飢饉の最中に生まれた子供だった。物心もつかない頃から両親はおらず、魔術師としての素養と、その並外れた生への執着だけで地獄のような日々を生き抜いた。生きるために死肉を喰らい、木の根を齧り。 もちろん、望まぬ犯罪にも手を染めてきたのだろう。
盗みや殺しを正当化するわけではないが、だからと言って、眼前の男の人生を否定する気にもならなかった。
「…………やっぱり、頂く」
「ええ。無理しなくてもいいのにぃ。盗品を美味しくいただけるタイプじゃないでしょう?ケーイチは」
そんな言葉に、少しだけ目を見開く。奔放で。他人に興味が無いように見えて、存外この男は共感能力が高い。内面を言い当てられた戸惑いに、少しだけ仰け反って。
「生きるか死ぬかってなったら、誰でも盗品だって食う」
「エー!なに、ケーイチ。急にマブいね」
「…………まあ、人とかは流石に食えないかもだけど」
リュックから、青白い腕のような物を取り出しかけたグラトニーに、顔を青くしながら捲し立てる。残念そうにするな。俺は何を食わされようとしていたんだ。
俺が、初日に爆弾チョコレートを与えてというもの、グラトニーは何かと食べ物を分け与えてこようとしてくる。意外にも義理堅いというか、何が琴線に触れたのかは分からないが、比較的友好的に接してくれているというのが率直な感想だった。あんな、食うだけで脳漿も頭部も吹っ飛ぶようなチョコレート、食えるのはグラトニーくらいなのだから、感謝される筋合いこそ無いと思うのだが。
「昔からそんな躊躇い無く何でも口に入れてたのか。その……人とか」
「うん!俺ヒト大好きだから!」
「ええ……」
「ヒトも、草も土も。世界の全部が大好き」
「…………」
「ね、大好きだから食べたいの。愛してるから美味しいんだよ」
屈託なく笑う表情に邪気はなく、それが心からの言葉であることが伺えた。
「だからぁ。世界を食べつくすまで、俺は『暴食』でいなきゃいけないんだよ」
出生にも恵まれず、環境にも恵まれず。人や世界は、とても彼に優しくは無かっただろう。常人ならば憎悪すら抱くような理不尽だ。それでも、酸いも甘いも飲み干して、よどみなく世界を愛していると宣言する。
並外れた精神力と強靭さ。
それこそが、『暴食』の罪源者たる資質なのだと思った。
「そして言い忘れてたこと。おれは好きな物ほど後に食べたい派」
「な、なんの話……?」
「あとぉ、大体10分くらい歩いたところにあったよ、目的地」
「一番大事なことを、ついでみたいに報告しないでくれる?」
目を剥くと、軽薄に笑いながら残りの木の実を全て平らげる。グルグル鳴る俺の腹の音に合わせてハミングして、「もうちょい頑張ろーね、ケーイチ」とゴキゲンに笑った。
「嘆きの渓谷に行かれるのですか」
三日前。
グリードの伝手で滞在させてもらっていた小都市を出るとき、市長は狼狽したように仰け反った。グラトニーを横目で伺うと、鼻をほじりながらこちらを見ていた。
「はい」
仕方なしに、どこから説明した物か考えながら肯首する。
「『万年水晶』を探しに」
──万年水晶。
文字通り、100万年以上をかけて成長した水晶である。一度も人の手に晒されぬまま、豊富な魔力をその内部で醸成した。優秀な魔力源と言うだけではなく、欠片は『嫉妬』の罪源とも相性が良く、30年程度は耐え得る代替器となる。
「あそこには、現地民はまず近付きません。たまに冒険者や魔導士の方々がいらっしゃいますが、そういった人々は誰1人として帰ってきませんでした」
市長の言葉通り、万年水晶が万年水晶となった理由──100万年もの間、人の手が加わらなかった理由こそが、その地理にある。
渓谷を下った先にある、万年水晶の洞窟。
マグマに加熱された地下水で満たされた洞窟は、常に70℃以上の高温に保たれている。加えて渓谷の下は、黒血病の流行以来、屍鬼に埋め尽くされている。
下れば屍鬼に骨までしゃぶりつくされ、仮に洞窟に辿り着けたとしても、水晶を採集する前に蒸し焼きにされる。
「……何の目的で、あのような穢れた土地に」
深長な声音で尋ねて来る市長の言葉に、俺はまた横目でグラトニーを見る。グラトニーは鼻をほじりながら、下唇を突き出した。
「憤怒なユキトを食べたい」
「はい?」
「かわいいも、大好きも、憤怒も。全部食べたことないかんね、俺」
体格の割に細い首を摩りながら、口端を舌先で濡らす。およそ常人には理解できない行動原理で動く男を、市長は怪物にでも向けるような視線で見ていた。赤い無邪気な双眸が、き、と此方を向く。
恐らく市長と同じ目をしているであろう俺を、真っ直ぐに見据えて。
「ところで屍鬼って、どんな味がするんだと思う?」
グラトニーの薄っぺらい腹が、くぅ、と鳴いた。
そして、現在。
(主に俺だけが)死にかけながらも目的地に辿り着いたころには、既に太陽が沈みかけていた。
そして、近くて大きな西日が赤く照らすのは、眼前に横たわる巨大な溝である。地面に刃を突き立て、そのまま切り裂いたような。惑星の裂傷のような渓谷だと思った。
底の見えない深淵に上躯を乗り出せば、生ぬるい天狗風が前髪を舐める。腐臭漂う風と一緒に、深淵からは絶えず何かの呻き声が立ち上っていて。ここが「嘆きの渓谷」たる所以を目の当たりにした気分である。
しばし呆然と、眼前の絶壁に言葉を失い。
「グラトニー」
──これからどうしようか。
そんな言葉を遮るように、俺の右脇を一陣の風が吹き抜ける。
グラトニーだった。
「はぁ!?」
先刻まで屈伸運動をしていた男が、一直線に渓谷に飛び込んだのだ。あまりのスピード感に、ただその背を追うように溝をのぞき込む事しかできない。
「おい!」
この一瞬で、出来る限りの有意義な意思疎通をしたいと思った。
「まじで死ぬぞ!」
大の字で全身に熱風を受けながら、グラトニーが身を捻る。
旋転。真っ白なシャツをなびかせながら深淵に吸い込まれていく男は、満面の笑みで真っ赤な口を開いた。
「上で待ってて~~!」
て~、て~、て~……と。反響する声が消えるころには、グラトニーは完全に見えなくなっていた。
訳も分からず、立ち尽くす。
ややおいて胡乱な呻き声とともに、耳を覆いたくなるような狂気的な笑い声が響き渡る。合間に、「ゲロマズ~!」とかいう要らん食レポも。すごく鮮明に聞こえてくるが、どんな声量してんだ。
心配するのも馬鹿らしくなって、とりあえず自分のするべきことを考える。辺りを見渡して、突き出した岩に括り付けられているロープを認める。ピンと張った其れは、渓谷へと延びていた。恐らく、グラトニーの命綱なのだろう。
少しだけ考えて、俺は魔術刻印を刻み始める。強化魔法と延長魔法が施されているので落下する分には問題なかったろうが、戻りは一体どうするつもりだったのかと小一時間問い詰めたい。多分何も考えてない。
そして、さらに延長を施した縄と有用樹で疑似滑車を作り終えた頃。
グンと重量の加わった縄に、俺は三角座りで星を数えるのをやめる。1657個。流石、人工灯の無いド田舎である。
「1657…1657……」と呟きながら滑車で縄を引っ張り上げると、上がってきたのはヒトの形をした、ホカホカの肉塊だった。ほんのり火葬場の香りがする。この瞬間俺は、一生ローストビーフが食えない体になってしまったわけだが、えづきながろもどうにか肉塊へと近付く。
キラリと月光を反射する、鉱物の輝き。万年水晶が肉塊の口のあたりに埋まっていた。水晶の断面的に、噛み砕いて採集したのか、単純に何センチか食った後なのかと思った。
「なんでも口に入れるじゃん…………」
呻き、途方に暮れて夜空を見上げて。ややおいて俺は、腕あたりを抱えて肉塊を引き摺り始めた。
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