代替器蒐集編

第11話 罪源者サミット(7人中5名欠席)

「じゃ〜時計回りに自己紹介していこ♡名前とォ、学年とォ、パーソナルカラーを言っていこうね」

 パンパンと手を鳴らしながら、藍髪の男が柔和に笑う。

「私はグリード。7年生で、パーソナルカラーはパステルピンク」

「……俺は、えっと。6年生の浅葱圭一、です。宜しくお願いします?」

「…………」

 グリード、俺、肉塊。

 輪になって額を突き合わせたまま、「圭一くん、パーソナルカラー言ってないよね?!」とプリプリ怒り始めた男に、俺は「いやぁ!」と待ったをかける。

「パーソナルカラーとか以前に、一言も喋ってない人いますよね?」

「じゃあ私が代わりに紹介しようね。彼は6年生のグラトニーくん、パーソナルカラーはきっとカーキ色だよ」

「絶対違うと思う……じゃなくて」

「いいの、いいの。あと3分もしたら戻ると思うから」

 俺の背を摩りながら、ほけほけと笑う。

 掴みどころのない男の言動に、俺はシワシワの顔で肉塊から目を逸らすしかなかった。

 …………叫び井戸の隠し部屋。

 グリードの転移魔法でたどり着いたのは、学園の端にある、叫び井戸の底だった。地上から300mも潜ったこの空間は、数百年前の大戦で作られた地下壕……という設定になっており、存在を知っているのは限られた一握りの人間だけ。故に、避難場所としてはこれ以上ないほどに適していると言える。

 そして俺は、わけも分からないまま、そんな穴場スポットに連れてこられては、こうして自己紹介を強要されているわけだが。

「助けてくれて、ありがとうございました」

 控えめに言えば、グリードが目を瞬く。その邪気の無い表情に、決まりが悪くなる。

「…………あのままだったら、俺はきっとタダではすまなかった」

「ああ、手籠めルート秒読みって感じだったものね」

「てご……ッ?!」

「比喩でも何でもないよ?私たちが来なければ、君は丸吞みさ。頭からね。愛されるってのも難儀な物だねえ」

「…………」

 上品に微笑む男を他所に、回想する。

 あのとき、狩野の様子は明らかにおかしかった。

 そしてそれは、俺自身も。自意識が溶けていくような浮遊感。あのときの俺は、きっと狩野に求められたことなら、無条件で受け入れてしまっていたのだと思う。それこそ、その場で自害を命じられていたとしても。

 恐らく、何らかの精神干渉系の魔法に充てられたのだと予想が付くが。

 ────「圭一のぜんぶ、おれにちょうだい?」

 ……狩野は、あのとき俺をどうするつもりだったのだろうか。

 とめどなく溢れてくる悪い想像を、かぶりを振って霧散させる。それは狩野自身に聞かない限り、分からない問題だ。考えても仕方ない問題。

 思考を切り替えるように息を吐き、「それで」と視線を逸らした。

「…………目的は、なんですか」

「『目的』?」

「はい。俺を助けて、ここへ連れて来た目的です」

 伺うように、再び上目遣いで男を見る。相変わらず丸い目で、俺を見下ろしながら、グリードは、困ったように笑う。

「そんな……目的だなんて。私はただ、君を助けたくて」

「うそだ」

「…………」

 遮って、顎を引く。何もわからない状況の中で、ただ一つ確かな事だった。

 この男が、何の見返りもなく人を助けるわけがない。

「だってあなたは、『強欲』だから」

──『強欲』のグリード。

 とある目的の為に、ひたすらに財を求める物欲の化身。穏かな性質から、他の罪源者に比べて攻撃性に乏しい。債務者が誠実に対価を払う限り、彼は平等に力を貸す。

 だが同時に、手を差し出したかと思えば、全く同じ表情のままその首を刎ねて見せるような。そんな冷酷さも持ち合わせている男だった。

 彼は情で動かない。彼は良心で動かない。彼の根本にあるのは、非人間的で怜悧な計算だけである。

「…………」

 微笑んだまま、グリードは相貌を傾ける。頭頂から末端の指先まで。弧を描いた瞼の向こうから、検分されているような。そんな緊張感に、自然と身構えてしまう。

 互いの呼吸を読み合うような、そんな沈黙。

「グリードはぁ、ユキトが怖いんだよね」

 永遠にも感じられる静寂を破ったのは、俺でもグリードでもない。血だまりの中に仰臥した、グラトニーだった。

 カラカラ笑いながら、上体を起こす。皺だらけのカッターシャツは、どう見ても致死量の血液で真っ黒に汚れていた。

「おはよう。思ったより寝てたね」

「ユキトってば、思いっきり殺しに来るんだもん。念入りなミンチ」

「君でも太刀打ちできない?」

「『憤怒』は特別製だからねぇ。2人も食ってるだけはある」

 羨ましいなァ、と後頭部で手を組みながら、グラトニーは大欠伸をする。緊張感のない男を一瞥して、グリードは渋々といった様子で口を開いた。

「…………罪源者を喰らう罪源者。罪の器として創られた『憤怒』に、私たちはかなわない」

 難解な言い回しではあるが、その言葉の意味は理解できる。

 腐っても俺は、このゲームの原作者なのだ。

 主人公は学園に編入して以来、理不尽なそしりを受ける。「呪われた血筋」「汚れた一族」。自らに投げかけられる言葉の意味を、『罪源者ルート』以外で主人公が知ることはできない。

 罪源は生れ落ちて以来、人の身体を器としてこの世界に存在し続けている。

 ただ、器が寿命を迎える、若しくは器たり得ない状態となった場合。適合者も現れず、拠り所もなく放たれた罪源は、大厄災として顕現する。

 そして、厄災のたびに存亡の危機に立たされた当時の人々は、禁忌に手を染める事になる。

 放たれた罪源を収める器を、人工的に作り出そうと試みたのだ。

 標的となったのは、当時迫害の対象であったライヒ族。過酷な人体実験と、数多のライヒ族の屍骸の上に、偉業はなされた。憤怒の器に適合した少女は、その生涯の中で、強欲、嫉妬、傲慢等複数の罪源を同時に身に宿すことに成功した。

 故に、『憤怒』の継承者である主人公を、周囲は『罪に穢れた一族』として嫌悪する。そして同胞である罪源者は、覚醒した主人公を脅威として畏怖する。

 …………と、いうのが、本編での設定であるが。

「彼は、私たちを知りすぎている」

 グリードの言葉に、軽い頭痛を覚える。

 そう、このゲームにおける『憤怒』の真の脅威とは、その主人公補正にある。

 罪源者ルートの開放条件は、

①プレイヤーレベルのカンスト

②主人公が自身の出自を知ること

③7人中3人のED回収である。

 3人もの罪源者と接し、親交を深めた彼以上に、罪源者を知り尽くした人間はいない。このルートに踏み入った時点で主人公は、完全に『罪源者を喰らう罪源者』の称号を冠するに相応しい存在となり果てている。

「見事な手際だったよ」

 肩をすくめ、グリードは暗い天井を眺める。

「エンヴィは、妬みすら抱けないほどに自尊心を踏みつけられ、『嫉妬』の適性を奪われた。

 …………根本から違う存在に、『嫉妬』なんて感情は湧かない。犬が人様を羨むことは無いからね」

 脳裏に蘇るのは、頑なにエンヴィを「犬」扱いする狩野の言動だった。あれは単にエンヴィを辱めたかったわけではなく、人としての尊厳それ自体を奪い、『嫉妬』という感情すら抱かない存在に引き摺り降ろすための処置だった。

「『色欲』は、徹底的に篭絡された上で生殖器を切断された。あれの根幹にあるのは、愛されたいというより愛したいという欲求だった」

 『色欲』は娼婦の母に生み捨てられた赤子だった。「自分と母は違う」と膨張を続ける自意識に反して、愛されたことの無い彼は、独りよがりの愛し方しか知らない。気に入った相手を片端から魅了して侍らせ、注げるだけ愛を注ぐことが、彼の愛し方だった。

 そんな人間を徹底的に篭絡したうえで、愛する術を永久的に奪った。

 狩野は、憤怒に侵されたわけではない。狩野は何処までも冷静だった。どこまでも理性的かつ戦略的に、彼らの核を踏みにじった。

「『傲慢』もつい先日姿を消して以来、行方不明だよ」

「プライドもユキトのお腹の中?」

「わからない。けれど彼は、最後には私たち全員を罪源者の座から引き摺り降ろすつもりだろうね」

 2人の言葉が、随分と遠くに聞こえる。

 頭が真っ白で、言葉を発する事すらできなかった。当たり前だ。だって狩野に、罪源者の情報を与えたのは俺だし、罪源者ルートのトリガーになったのも俺だ。

 『他人を傷つけることなんてできない』と。そんな、臆病でありながら優しいあいつを歪ませてしまったのは、間違いなく俺なのだ。

 わかっている。その事実は、理解しているつもりだが。

 ……だが、何だ。この違和感は。

 俺を愛しているから、そしてその俺を傷つけたから。それが、あいつをあれだけの残虐行為に駆り立てた全てなのか。

 とても、そうは思えなかった。あえて所感で物を言うのなら、「狩野の罪源者に対する憎悪は異常だ」と。そんな気がした。

『おればっか素っ裸みたいで、嫌だ』

『嫌われたくないから』

 ……俺は狩野の、何か重大な内面を見落としているのではないか。

「だからね、圭一くん」

「っ、はい」

 前触れもなく名前を呼ばれ、肩を揺らす。背筋を伸ばすと同時に、グリードの冷たい掌に、両手を握り込まれて。

「目的は何かと言ったね」

「…………」

「私たちが欲しているのは、『憤怒』に対抗し得るだけの切り札」

「つまりその、人質、みたいな…………」

「それは君次第だなぁ」

 ────人質以上の人的価値を示してみせろ。

 言外にそう言われているのが分かった。

 嫌な汗が頬を伝う。冷や汗をかきつつ、俺は意外にもこの状況に対して光明のような物を見出していて。

 気付けば、俺は前のめりでグリードの手を握りこんでいた。

「お、おれが守護り通してみせます……!」

…………狩野幸人を!

 余計な事は口に出さない。これがデキるこどオジの流儀である。

 鼻息荒く眦を吊り上げれば、切れ長の藍色の双眸が見開かれる。俺の顔と、手元を順繰りに見比べて。

「──何か、具体案が?」

 試すように右目を細めた男に、引き攣った──しかし不敵な笑みが口元に浮かんだ。




「『代替器を集める』?」

 こて、と。

 丸い目で首を傾げたグラトニーに、強張った表情のまま頷く。

 それこそが、『憤怒』こと狩野幸人攻略における結論だった。

 前提として、罪源者ルートには、2つのEDが存在する。ざっくりいうと、主人公が全ての罪源を取り込み、憤怒のまま世界を滅ぼす①『世界滅亡ED』と、表舞台からひっそり姿を消し、あるべき場所へと一人帰っていく②『和解ED』。

 この場合の主語はいずれも主人公である。

 そして、分岐条件としては、

①→主人公が全ての罪源を回収すること

②→主人公が4つ目の罪源を収集する前に、代替器を3つ以上所持していること

である。

「代替器は、人体の代わりに罪源の器となり得る無機物です」

 そしてそれは、現在では人工的に作り出すことは不可能にして、入手が極めて困難であるか、代替器と気付かれない状態のどちらかにある。ポンポン手に入るものであれば、そもそも大厄災もライヒ族の悲劇も起きていない。

 恐らく、現時点で狩野が収集している罪源は、嫉妬、色欲、恐らく傲慢。ゆえに必要な代替器も、嫉妬、色欲、恐らく傲慢。

 本来はストーリー中、学園内でピタゴラスイッチ的に手に入る謎のガラクタたちであるが、俺たちにそういった主人公補正はない。

「つまりそれに、『どうにかして』罪源を移してもらおうと。そういうことかな」

 今まで沈黙を貫いていた男が、ここにきて初めて声を上げる。

 視線を向ければ、腕を組んだまま「それで」と言葉を継ぐ。

「仮に、天文学的確率だが、奇跡的に?彼が罪源を手放したとして。彼は、『憤怒』ではなくなる?」

「…………それは、不可能です。代替器に収納できる罪源は、肉の器から解放された物だけです。魂に根付いた罪源は、引きはがすことができない」

「……彼が『憤怒』である限り、私たちが脅かされ続けることに変わりはないね」

「そこも、問題ありません」

 言いながら、拳を握りこむ。手のひらに、嫌な汗が滲んでいた。

 グリードは、言葉の代わりに僅かに相貌を傾ける。

 グラトニーは、瞬き一つせずこちらを見ている。赤い虹彩の向こうで、瞳孔だけがず、と広がった。

「3つの罪源を代替器に移した時点で、彼の存在はこの世界から抹消されます」

 俺たちの間を、冷たい風が吹き抜ける。

 誰も何も言わなかった。当然だ。こんな突拍子もない話を、簡単に受け入れられるわけがない。

 だからこそ、ここからは賭けだった。

「…………?」

 やおら小指を差し出した俺に、グリードが片眉を吊り上げる。

 その怪訝な表情に、顎を引き、努めて挑発的に微笑んで見せる。

「この話を信じられないと言うのなら、俺は貴方と『約束』しても良い」

 刹那。

 空間の空気が、確かに変わった。咄嗟に後退りそうになる足を、どうにか引き留める。代わりに地面を踏みしめて、無機質な双眸を睨めつける。

「約束。約束ね。強欲である、この私と?」

「はい」

「…………君がなぜ、そしてどこまで知っているのかは、後でじっくり教えてもらうとして」

「…………」

「今自分が何を言っているのかは、理解している?」

 顎を引けば、赤い唇が、ゆっくりと弧を描く。

 美しい笑みだった。

 ただしそれは、こちらを安心させるための物ではない。相手を屈服させ、否応なく跪かせる類のものだった。

 口の中が、やけに乾いた。

 今度こそ耐えられずに一歩後退した俺の頬を、冷たい手のひらが包み込む。

 ゆったりと迫ってきた相貌が、俺の肩口に埋められた。

 「いいかい」と。耳元で紡がれたテノールは、何処までも優しくて甘やかだった。

「私は剣を握っている」

 冷たい指の感触が、頬を這っては耳朶を擦る。

「そして君は、頭を垂れる」

 そのまま項に移動して、襟足を弄んで。

 ぐい、と後頭ごと引き寄せられた拍子に、細い藍髪が頬を擽った。

「無防備に、無抵抗に。そして、何処までも無力なまま、私に首を明け渡す」

 低い声で唸っては、くつくつと喉を鳴らす。先刻までとは異なる、獰猛とすら表現できる笑みだった。

 その時点で、俺の身体は小刻みに震えていた。

 薄っすらと開いた唇から、浅く、早い呼吸を繰り返す。

 互いの呼吸の音が聞こえるような距離感のまま。俺の、馬鹿みたいに大きくて速い鼓動の音だけが、響き渡っている気がした。

 息の詰まるような沈黙。

 「ふふ」と。耳元で零された笑み声に、咄嗟に首から上が無くなった自分の姿を想像して。

「ま、良いよ」

「はっ?」

 そんな言葉に、素っ頓狂な声が漏れた。

 同時に、身体が解放される。たたらを踏んだ俺の身体を、グラトニーが慌てて支えた。

 完全に腰が抜けていた。

 そしてそんな俺の痴態を、どこか愉快そうに眺める。グリードは、茶目っぽく微笑んでは態とらしく頬に手を添えた。

「君の案に乘ろう。そう言っているんだよ」

「はぁぁ?」

「覚悟はまあ、充分に伝わったから」

 にしてもこんな、素性も知れないモブの駄法螺を信じるのはどう考えたっておかしい。

 最悪指とか詰める覚悟でいた身としては、到底受け入れられない。「で、でもでも」と動揺する俺を、グラトニーが指をさして笑ってくる。それを窘めながら、グリードは横髪をたおやかに耳にかけた。

「それに。現状私たちにも、具体的な策があるわけではないからね。純粋な膂力勝負では、まず勝ち目はないわけだし」

「…………」

「万が一きみが嘘を吐いていたとしても、まあ、『憤怒』がきみに執着している事実に変わりはないから」

「人質として盾に使うわけですね…………」

俺の言葉に、無言で笑みを深める。頑なにうんともすんとも言わないのが怖すぎる。

 肩を抱いて震えていると、「そういうわけだ」と、ずい、と、端正な相貌がまた鼻先に迫る。

「よろしく頼むよ、良きビジネスパートナーとしてね」

何度対面しても慣れない美貌に、わけもなく唾を嚥下した。

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