第3話 約束
「改めて、俺は浅葱圭一(あさぎ けいいち)。このゲームの作者だ」
グラトニーとの歪なお茶会を終えるなり、泣き出してしまった狩野。イーン……と嗚咽を漏らす彼を自室に誘導し、背中をさすること数時間。ようやくまともに会話が出来るまでに落ち着いた彼に、自己紹介をする。
赤くはらした目を俺に向け、狩野はただ鼻をすすった。どのような感情なのかわからなかったので、「まず、謹んでお詫び申し上げる……」と取り敢えず謝罪する。謝罪に慣れなさ過ぎて、意図せず武士みたいな口調になってしまった。
「えー……この度は、拙作を手に取って頂き……」
「取ってない」
「え」
「取ってない。妹が好きだったから、少しは知ってるけど……」
「あ……そう………」
状況把握の度合いからてっきりプレイヤーかと思っていたが、どうやら違うらしい。思ったよりとばっちりだこの人。本当にいたたまれなくなってしまい、下を向いてもにょもにょと口を動かす。
話さない俺にしびれを切らしたのか、狩野が、「あのさ」と声を上げる。
「えっと、おれ思うんだけど……その、」
「浅葱。それか圭一で良いよ」
「……圭一くんは、別に謝る必要はないんじゃないかな」
あらゆる罵詈雑言を覚悟していた身としては、拍子抜けで。「え」と間抜けな声を漏らした俺に、狩野は眉を下げる。
「だって、君は『ゲーム』を作っただけでしょう。誰かを酷い目に合わせようだなんて、悪意はなかったんだろうし」
「狩野くん……」
「現にこうして、おれを助けてくれたわけだし……」
なんて根明な男なんだ……。
「それにその、きっと君も精神的に追い詰められてたんだよね。少し心得があるんだ。一緒に治療もがんばっていこうね」
まっとうに精神を心配されている。何か嫌なことがあって、こんな病んだゲームを作っちゃった人だと思われている。でも「問題なのは精神ではなく性癖の方なんです」などとは、口が裂けても言える空気ではない。
結果、か細い声で「ごめんね……」と項垂れるしかない俺の背を、今度は狩野が優しくさすってくれる。
「それにしても」
そんな言葉に、相貌をもたげる。改めて綺麗な横顔をしていると思った。
「ごめんなさい。今更だけど、圭一くんっておれが知らないだけで、何かの役職持ちだったりする?」
「いや…モブ……のはず」
先刻のポップアップが脳裏を過るが、それを振り払って返答する。普通、実績解放のアナウンスはプレイヤー側にしか見えないことになっているが。ただそれは外れ値的な要素でしかないし、今考えても仕方のないことだと思った。
「どうして、おれだったんだろうね。原作者さんの方が、ゲームには近い立ち位置に居そうなのに」
「俺が美形×美形を好むオタクだからですかね……」
「えっ、ごめん聞き取れなかった。なんて?」
「いや、その……俺というか、作者の嗜好が、『綺麗な顔の男同士の絡みが大好き』だからだと……」
「…………」
「俺みたいなブ男受けじゃちょっと、食指が動かないというか……」
自分で言っていて死にたくなっていた。淘汰されて然るべきだろ、こんな性癖。
頭を抱えて、ひたすらに自分の靴を眺める。困惑気味の「えっと……」という声に、このまま地面に額を擦り付けたくなった。
「絡み?とかはよくわからないけど、圭一くんはブ…?じゃないと思うよ」
「マジでいいやつじゃん…お前……」
この瞬間俺は、この爽やか聖人に無条件で協力することを決めた。この根明さを曇らせるわけにはいかない。
間違ってもこんな──性癖の肥溜めみてぇな世界で、穢してはならぬ尊き物だ。
「……る」
「え?」
「俺が、お前を
ガ!と、狩野の手を取って宣言する。ぎょっと見開かれた双眸が、俺の手と目を交互に見て。
「しゅごり……?」
「ルビの方読んで、ルビの方」
小首を傾げた青年に、また俺は恥ずかしくなった。
その日から俺は、狩野につきっきりで破滅フラグを折りまくった。奔走しては時に間接的に、時に直接的に介入して、コンスタントに好感度を上げ続けた。
そして。
「『実績解除;チュートリアル修了』」
「チュートリアル!?」
手帳を読み上げた狩野に、素っ頓狂な声を上げた。だって、ええ?
これだけ好感度を上げておいて、まだチュートリアル?
あれだけ死にかけておいて!やっとチュートリアル!?
己の耳が信じられず、狩野と一緒になって手帳を覗き込む。しかし俺の目には、白紙が映るだけで。
「何も見えないけど……」
「ええ、そんなことある?ほら、新しいテキストだって解放されて──えっと、『対話、討伐、ショップ全ての操作を修得しました』」
「ああ……」
ここまできて、合点がいく。
このゲームのゲーム要素は主に4つ。
①攻略対象との会話及び好感度調整
②プレイヤーレベル育成
③資金集め
④記憶解放
である。
①と②は、ゲームの進行と日課のミッションをこなすことで達成できるが、③と④はやり込み要素に近い。モンスター討伐で資金を集め、ショップに行くことで、特定のキャラクターの隠し設定や個別ストーリー、新スチルを解放することができる。
ゲーム的には進行していたが、ショップを利用したのは成る程、先日が初めてだったのだ。
納得しつつ頷く俺を他所に、狩野は言葉を継ぐ。
「『ゲームをクリアすることで、あなたは元の世界へ帰ることができます』」
「え?」
ゾッと背筋を駆け抜けた悪寒に、唇の下を摩る。
反して、狩野は弾かれたように、俺の方へと視線を向けた。
「圭一。これって……」
「……そんなテキスト、俺は組み込んでない」
俺の言葉に、狩野の目元が僅かに痙攣する。その表情は、歓喜と戸惑いがない混ぜになったみたいに、引き攣っていた。
それもそうだろう。この地獄のような世界から、脱出できる可能性が出てきたのだ。増して、生きて元の世界に戻ることができるともなれば。
狩野のその喜びは、いやでも理解できる。
「ほんとうに、帰れるのかな」
「…………」
「おれ、死んでなかったの?」
「……わからない。俺には、何も」
不安に翳る琥珀色の瞳。
その色彩に、胸のあたりを思い切り蹴飛ばされたような衝撃を受ける。
──そうだ。俺が弱気になってどうする。
当事者である狩野は、俺よりもずっと不安なはずだ。唯一の頼りである俺がこんなことでは、狩野は本当に一人きりになってしまう。
眦を決す。
眦を決しては、硬い声で、「でも」と言葉を継いだ。
「『ゲームのクリア』の方なら、よくわかる」
…………不確定要素も、懸念点もある。
けれど、狩野が元の世界に戻れるという可能性が僅かでもあるのなら。
それを掴み取ることに全精力を注ぐことが、俺の義務だ。原作者の責任である。
「大丈夫だ」
覚悟は決まった。
そう言った自分の声は、存外頼もしい物で。あの時のように手を取って、努めて強気な笑みを浮かべた。
「俺が絶対に、お前をハッピーエンドに連れていく」
虚を突かれたように散瞳したアンバーの瞳が、何処か安心したようにたわんだ。
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