第2話 これがパーフェクトコミュニケーションです

「ユキトぉ。やっと見つけた」

 医務室の扉の隙間から、赤い眼光が覗いていた。毒々しく明滅する色彩は、人の深層的な恐怖を掻き立てる。やがて部屋に入ってきた男は、死人じみた蒼白の相貌に、やはり特徴的な赤い目をしている。


 そしてそれは、紛れもなく俺もよく知っている、「グラトニー」その人だった。

 グラトニーは、貧しい幼少期の経験から、食に対して異常な執着心を持っている。魔導士としての素質を見出され、学園に招かれた後でもその性質は変わらず。美食家にして、至上の悪食として学園中に名を馳せる。「この世の全てを平らげたい」とは、まさしく、彼というキャラクターを象徴する台詞だった。

 飄々として、軽妙洒脱。奔放でいて、食以外への関心が極端に薄い。そんな彼がほとんど初めて興味を向けた人間こそが、今作の主人公である。


「心配したんだよぉ、ユキト」

 間仕切りカーテン越しに降ってきた言葉に、意識を引き戻す。カーテンの隙間から見える男は、とび色の蓬髪を掻き上げながら、温い血の色をした双眸をぎゅう、と撓ませた。

「さっきはごめんね?いきなり嚙まれたりしたら、驚いちゃうよね」

 しゅんと項垂れて、反省するポーズをとるグラトニー。

 不意に、その姿に重なるように、3つのタブが出現する。


『来ないで』

『どうしてあんなことをしたの』

『謝らないで。俺こそ何も聞かずに逃げたりしてごめん』


 狩野とグラトニーを隔てるように浮かぶそれは、選択肢だった。

 本作の主人公は、この中から次の発言を選択し、その選択によって好感度が変動する。

 選択を間違えれば即死も在り得るが、無闇に好感度を上げたとして、ハッピーエンドにたどり着けるというわけではない。『一番好感度が上がる選択肢』=『正しい選択肢』ではなく、正しいときに正しい選択をしなけれはならないのが、このゲームの厄介なところだった。

 要は、健全に相手の機嫌を取りながら、好感度を上げなければならない。

 故に、最も好感度が上がる選択肢は一番下だが、正解ではない。この場合の最適応答は──、


「『どうしてあんなことをしたの』」


 強張った声音で答えた狩野に、赤い双眸が、皿のように見開かれる。やがて、ぐる、と虚空に幾何学を描いたそれは、「だって」という言葉と共に、真っ直ぐに幸人を捉えた。


「だって、大好きな子のことは、まだ食べたことなかったから」

 

 無邪気な声音に反して、部屋の空気がぴんと張りつめる。

 見開かれた双眸が、得も言われぬ圧を放っていて。こちらからは見えないが、狩野の緊張感を肌で感じた。

「ユキトのこと、かわいいと思うたびに食べたくて仕方がなくなっちゃう。キスをしながら、薄いおなかを縦に割いてあげる。気持ち良くて、温かくて、おいしくて。きっと幸せだよ。ユキトもおれと一つになれるんだよ。ね、みんな幸せ!」

「なのに、なんで。なんで逃げるの?おかしいよね。ひどいと思わない?」

 グラトニーが話すたびに、耳障りなノイズが大きくなっていく。

 バッドエンド手前になった時だけに見られる演出である。選択肢も先刻の黒字とは違い、ノイズがかった赤色をしている。


『化け物。死んでしまえ』

『許して。ごめんなさい』

『逃げてない』


 ここで選択肢を間違えると、『三枚おろしエンド』に直行する。慎重に。ここで選ぶべきは──、


「正体を現したな……」


 思わず本音をこぼすな。気持ちは分からなくもないけど。

 どの選択肢よりも不正解な呟きに頭を抱えるが、ゲームの仕様上選択肢以外の言葉に、キャラクターは反応しないようになっている。のこのこ命拾いした狩野は、相変わらず硬い声で「『逃げてない』」と言った。

 焦点の定まらない瞳が、僅かに細められる。へぇ、と落とされる低い声。それは何処か嗜虐的で、追い詰めた小動物を嬲るような響きを伴っている。

 正規ルートならこのまま、「噓つき」と首をキュッと絞められているところだ。


「『噓じゃない。君を喜ばせたかっただけだ』」


 が、実績『愛のお菓子泥棒』を開放している場合に限って、隠し選択肢が現れる。

 不敵な笑みで懐から赤いパッケージを取りだす狩野。グラトニーは、何処か毒気を抜かれたように目を見開く。

「チョコレート?」

 目を見開いて、そして、嗄れた笑み声を漏らす。それはやはり、嗜虐的な笑いだった。


「………あはは!本当にかわいいね、ユキトは。ただのチョコレートで俺の機嫌を取ろうっていうんだから!」

「でもそのチョコ、爆発するよ」

「まじで?」


 ここにきて初めての真顔である。きれいな二度見をして、グラトニーは、何かに気づいたように「あ」と声を上げる。

度重なる事故によってわずか3日で販売停止となった幻のチョコレート。「チョコレートか爆発物かで言えば、爆発物」と悪名高いそれも、悪食と名高い彼にとっては最高の贈り物となる。


「これ、ずっと俺がほしかったやつ」

「『サプライズ。喜んでもらいたくて、ずっと探してた』」

「ユキト……もしかして、サプライズのために俺を避けて……」


 眉をぎゅっと寄せたその双眸は、抑えきれない感激に濡れていた。「大好き!」という言葉と共に、お祭り騒ぎなSEが鳴り響く。パーフェクトコミュニケーションである。

 ひとまずは切り抜けた。そんな安堵に胸をなでおろして、視界の端に表示されたポップアップに目を見開く。


『実績解除;命の恩人』


『「狩野幸人」に関する、新テキストが解放されました。解放されたテキストは、手帳から閲覧できます』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る