もしもしあわせ
葵葉みらい
林田れもん
もしも、もしもの話である。
もしあのときあの人の想いに気づいていたらとか、あのとき違う道を選んでいたら、あのとき、誰かを救えていたら……とか。
いくらそんなことを考えていても意味の無いことはわかっている。だが、やはりこんなところに帰ってきてしまうと、そんなことを思わざるをえない。
もしも、地元で進学して、地元で就職していたら。いたら……俺の人生はどうなっていたのだろうか。その方が、幸せだったのだろうか……?
盛夏、地元のとある公園にて。
噴水で幸せそうにはしゃぐ子どもを見ながら、そんなことを考えていた――そのときだった。
「イーズミ!」
どこからか聞き覚えのある声とともに、背中に平手打ちが飛んできた。
俺は座っていたベンチから押し出され、思わず「ぐえぇ」と情けない声を出してしまう。
「あー! やっぱりイズミだっ!」
振り返ると、そこにはにまにまと嬉しそうな顔で俺のことを見つめる――野生のギャルがいた。
……だれ?
「久しぶりだねー! 卒業以来?」
「あ、ああ」
ギャルはやたらとハイテンションだが、俺は全然ついていけない。
頭の引き出しを必死に開けてみるが、俺にギャルの知り合いなんて一人もいない。
「てかなにしてたの? 一人でたそがれてた?」
ギャルは俺の気持ちなど知らず、まるで動物園の生き物を見るような目で、ジーっとこちらを見つめてくる。一方俺は気が気ではない。マジで名前が思い出せん。
いや、確かにたぶんこんな奴がおそらく小中の同級生にいたはずなのだ。だが考えてもみろ。あれからもう10年も経つんだぞ……? だとしても変わりすぎか……? ほんとに同級生かこいつ?
「おーい、もしもーし」
「お、おお」
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。ちょっと涼しそうだなって思ってな」
「ん? あー」
俺が話を逸らすように噴水の方に目を向けると、彼女は「なっとくなっとく」という感じでうなずき、こう放った。
「イズミも入ってくればいいじゃん」
「……いや、普通に無理だろぉ!?」
言い返す暇もなく、彼女は俺の手を取って走り出していた。
「ちょちょちょ!?」
俺の抵抗も虚しく、いとも簡単に連れ去られてしまい……地面から勢いよく飛び出している噴水に突っ込む。
足から股間のあたりが思いっきり濡れ、顔にもしぶきが飛んでくる。
「ぐうぇ」
「あはははは! おもしろーい」
そんな俺のマヌケな濡れ姿を見て、楽しそうに笑うギャル……!
――そうだ! 思い出したぞ! 俺は昔こんな風にいじめられていた記憶がある!
お前は、森m――
「うぎょ!?」
一度止まった噴水が、また吹き出していた。
俺はいい加減にせいと思いながらそこを飛び出し、野生のギャルを睨みつける。
「お前……林田!」
すると彼女は「おぉー」と嬉しそうな顔をして、
「ぴんぽーん! だいせーかい!」
大きく丸を作っていた。
……まじか。こいつあの林田か。林田れもんなのか。ギャル味高すぎだろ……その格好。
というか、
「なんで濡れてないんだよお前は」
「あったりまえじゃーん。いい年の女の子が簡単に濡れるわけないでしょ?」
未だに俺は前髪から水滴がしたたり落ちてきているんだが……まあそんなことはいい。
「変わったな、お前」
「んー? そんなことないよー」
「いや変わった。変わっちまった」
「どこが?」
どこがと言われると困るのだが、色々変わってしまったのは明らかだ。
そうだな……例えば、
「ケバくなった」
「ケバ!? ひどい! それ女の子に絶対言っちゃだめなやつ!」
「じゃあ厚くなった?」
「厚い!? どこが? なにが厚くなったって言うの!?」
「全体的に?」
「わたし太ってないから! 中学のときから変わってないから……はずだから」
林田は声を尻すぼみにして、なぜか短い袖から覗く自分の二の腕を触っていた。
ぷにぷにして気持ちよさそうだ。
だがやがて「はぁ」とため息をついて、
「イズミの毒舌は相変わらずだね」
「そうか? だいぶ丸くなったと思うぞ」
「いーや、普通女の子にそんなこと言わないからふつう」
「女の子って歳でもないだろ」
「もー! そーいうとこだよっ!」
ペシンと肩をはたかれる。れもん様はどうやらご立腹のようだ。
「安心しろ。林田じゃなきゃこんなことしないから」
「……なにそれ新手の告白?」
林田はすっと一歩距離を取り、さげすむような目で俺を見る。
「ないない」
「あー、だよねー」
そしてなんだかおかしくなってしまい。二人で笑い出す。なんだか、あの頃に戻ったような気分だった。
――それから木陰のベンチに並んで座り、とりとめのない話をした。
「てかイズミってこっちにいたんだっけ?」
「いや、今は帰省してるだけ」
「ふーん。じゃあどこに住んでるの?」
「北海道」
「ほっかいどう!? ずいぶん北だね」
随分どころか日本では一番北なのだが……、引っ掛かるところそこなのか?
「なんでまた北の大地に? キツネ? クマ?」
「違うわ。キツネはともかくクマなんて会いたくねえよ」
こんこんと両手で耳を作っている林田には触れず、俺は続ける。
「ほら、うち農家だから。農業関係やりたくて、大学から北海道にな」
「あー。イズミって言えば農業だもんね」
そんなイメージだったのか俺は……? 適当言ってないかこいつ?
「で、わざわざ北海道なんだ?」
「まあな」
「やりたいことできてるんだ?」
「……まあ、な」
「ふーん」
林田の素直な視線に耐え切れず、目を逸らしてしまった。
「それよりお前は? 今は何してるんだ?」
「ん?
「……そういうことじゃなくて」
「息してる」
「小学生か」
「わかってますよぉ。じょーだんジョーダン」
まあ落ち着きなはれと肩を叩いてくる林田。こいつ、ほんと昔から何考えてるのかわかんねえな……。
「わたしはあそこで働いてるよ」
林田は首だけくるっと振り返って、「あそこあそこ」と指さした。
「いやどこ?」
「さんさんタウンのさんまるしぇ」
「あー」
林田の目線の先にあったのは、10年ほど前にできた再開発のビルだった。
旧市街の活性化とか何とかで税金をドバドバ注ぎ込んで作られた施設で、図書館や会議室なんかの公共施設も入っていたはずだ。
やたらさんさん言っていたのを覚えている。
「まるしぇ? ってなんだっけ?」
「行ったことないの? 普通に野菜とか色々売ってるよ。でもイズミなら行かないかぁ」
俺なら行かないというのはきっと、そんな家庭的な買い物なんてしないと思われているのだろう。
……その通りな気もするが。
「うるせえ。……じゃあ大学は? どこ行ってたんだ?」
本当に何気なく聞いただけなのだが、林田はその問いにすぐに答えず、ベンチから足をパタパタさせて、こう呟いた。
「わたしさ、大学行ってないんだよね」
寂しげな横顔を見せる彼女を前に、どう反応していいのかわからなかった。
俺は勝手に林田なら大学に行っていたものだと決めつけていた。というより、誰しも大学に行くことが当たり前だと思っていたのかもしれない。
「いろいろあってね。でも今は楽しいよ?」
「そうか……」
こんなときでも自然な笑顔になれるのは、さすが林田だと思う。
「楽しいよ。こうやってイズミと話せて」
「……新手の告白か?」
「ないない! それってイズミがうぶすぎるだけだから!」
そして胸を叩かれる。こいつ、こんなに力弱かったんだな……。
「どうせまだ彼女の一人もいないんでしょ?」
「うっせ」
「爆ぜろリア充っ! とか言ってるんでしょ?」
「おい誰だその痛い中二病男は……俺か」
――昔話をしていると、時間はあっという間に過ぎていった。
話に夢中になっている間に日は傾き始め、噴水の周りにいた子どもたちもすっかりいなくなっていた。
そして5時のチャイムが鳴ったところで、林田はすっと立ち上がった。
「あ、わたしそろそろ帰らなきゃ」
「小学生みたいな門限だな」
「違うよ。わたしイズミと違って家庭的だから」
そう言って自分の腕をパンパンと鳴らしてみせる。
果たしてそれは家庭的アピールなのだろうか。どちらかというと二の腕アピールになっている気もするが……。
「イズミはいつまでこっちにいるの?」
「明後日には帰る」
「そっか。じゃあまた……」
林田はそこで珍しく言葉を詰まらせていた。お別れの言葉が思いつかないと言った所だろうか。
西日を浴びる彼女の顔は眩しいが、背後に伸びる黒い影が若干の
「ああ……」
俺も上手く返事ができず、数秒間の沈黙が流れる。
正直、まだまだ話したいことがあった。
昔のこと、今のこと、これからのこと……林田なら何でも聞いてくれそうな気がした。
俺はたぶん、いつも心の中でこういう人を求めていたのだろう。誰かに、全部話してしまいたかった。
次に会えるのはいつになるだろうか。同窓会でもなければ、もう一生会うことはないのかもしれない……。
そんなことを、考えて。
「また……」
「うん」
「また、会いたい」
「……うん?」
柄でもない台詞が恥ずかしくて、林田の顔を見ることはできなかった。
やっぱり冗談だとおどけてごまかそうという気にもならなかった。
また「新手の告白」などとからかわれるんじゃないかと思ったが、林田はスッとうつむく俺の顔を覗き込んで、
「明日わたし、4時までのシフトだから」
顔を上げると、グッと目の前に彼女の顔があった。
茶色い瞳が、しっかりと俺の姿を捉えていた。
「だから、買い物ついでに寄ってみたら?」
いつものような明るい声に、ちょっとだけ恥ずかしさが混じっているような気がする。
「なんだそれ。新手の営業か?」
「そうだね。営業なのだよ。さんまるしぇにおこしくださいませー」
「残念ながら俺じゃ太客にはなれんな」
「あー、イズミやせてるもんね」
「そういう意味じゃないから」
「細客……?」
「違うから。やせてる客でもないから」
「わたしのお肉あげようか?」
そう言って二の腕をつまむ林田。やっぱり気にしてたのか。
「いらね」
「まあひどい。毒舌イズミ」
そんなくだらないやり取りをしていると、思わず笑いがこぼれてしまう。
余計なことを考えずに、まるで、あの頃に戻ったかのように。
適当に喋って、どうでもいいことで笑う。
でも、そんな会話が今の俺には必要で、きっと俺が求めていたもので……。
こんな時間がずっと続けばいいのに。そう思ってしまう自分がいた。
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