祐希が早起きするようになった理由

第13話

最近ちょっと気に入っている配信者のゲーム配信があって、夜更かししてしまった。寝る前に少しだけ何か食べたいなと思って一階まで下りたら、ダイニングキッチンに続く戸が開いていて、キッチンの明かりだけが、ぽつんとついていた。

 ヒカルかケージくんか、とぼんやりと考えたけれど、そのどちらでもなかった。

 油断し切っているのか、流し台に寄りかかっている背中は、こちらを確認する素振りも見せない。わざと物音を立ててダイニングに入ると、びくっと肩が跳ねた。


「あ、祐希くんか……。幽霊かと思った」

「怖い映画でも見たの?」


 サヤカは珍しく眼鏡をかけていた。髪も下ろしているし、着ているのはジャージ。ベッドに入る直前の雰囲気。手にはマグカップがある。


「ううん。……ここって怪談あるの知ってた?」

「ここって、プラントポット?」

「うん。元々ここってアパートだったんだけど、女の人が出たとかって怪談で人がいなくなって、その後にシェアハウスに改装したけどやっぱり人が寄りつかなくて、建物か土地かが呪われてるんじゃないか、っていう」

「ふーん……この時間にはあんまり聞きたくなかったかもそれ」

「あはは、ごめん。珍しいね、この時間に起きてくるの」

「ゲーム配信見ちゃった。サヤカもこんな時間に起きてていいの? 朝早いんでしょ?」


 僕は早起き苦手だからよく知らないけど、朝ご飯や掃除のために、誰より先に起きているはず。


「そうなんだけどね……ハハ」


 だけどね。

 健康や美容のためには良くないけど、良くない、と言ったってたぶん、サヤカにも変えられないんだろう。自業自得の僕と違って。


「何飲んでるの? ホットミルク?」

「カモミールティー。何か……いいんだって」

「へー。美味しい? まだある?」

「んー……慣れない味、かなぁ。不味いとは思わないけど、美味しいのかも分かんない。ティーバッグならここにあるけど……」


 自分用のマグカップにティーバッグを入れてお湯を注いだ。藁みたいな黄色に近い茶色。

 口をつけたら「慣れない」の意味が分かった。紅茶とも緑茶とも違う未知の味で、自分の中に判断基準がない。ハーブティーって感じの独特な風味がある。何度か舌で味わってやっと、あんまり好きじゃないかもな、と思った。


「僕これ苦手ー」

「癖あるよね。無理して飲まなくてもいいと思うよ」


 そう言われると逆に、飲み切ってやりたくなる。

 けど、このまま飲むのも嫌。


「カモミールティーって、砂糖とかミルクとか入れたらダメなのかな。紅茶とか抹茶には入れるよね」

「あー……なるほど、確かに? ……なるほど!」

「入れてみよ」

「私も私も」


 サヤカは砂糖だけ、僕は砂糖とミルク。

 ミルクのおかげで独特の風味がかなりマイルドになった。甘さで味の取っかかりもできて、飲みやすくなったと思う。


「美味しい! ミルクどう? 合う?」

「結構合うよ。刺々しさなくなった感じ」

「入れてみよー。祐希くん、ナイスアイデア」


 マグカップを差し出された。

 乾杯するみたいに軽くぶつけ合う。眼鏡のせいで少しいつもと印象の違う顔に、笑顔が浮かぶ。

 少し照れてマグカップのある辺りに目をそらして、それでその時初めて、気がついた。

 この人、ブラジャーつけてなくない?


「……」

「本当だ。こっちの方が飲みやすい。美味しいー」

「そ、そう……。良かった」


 何で気がついちゃったの、僕。その気づき今は全くいらないんだけど。気づいたからってどうしようもないんだけど。

 二人の姉と暮らしていた経験と、たまにモデルさん目当てで読んでいる女性誌から得た知識が災いした。寝る時つける派とつけない派がいるとか、つけてない時のシャツのたわみとか、本当に今はどうでもいい。その知識使わない。忘れたい。

 服の生地が厚めで、はっきりとは分からないとは言え、どうしても意識がいってしまう。

 サヤカも、深夜だからって油断しないでほしい。僕じゃなくても分かる奴はたぶん分かるから。


「……そろそろ部屋戻るよ」

「マグカップ一緒に洗っておくから、置いておいて」


 無視して、自分でマグカップを洗う。ついでに煩悩も洗い流せたらいいのに。

 横からかすかに「ふぁ」とあくびが聞こえた。


「寝れそう?」

「うん、ちょっと眠くなってきた」

「カモミールティー、効果てきめんだね」

「ふふ。カモミールティーもそうだけど、祐希くんと話したおかげもあるかも。何か、リラックスできた」


 すぐこういうこと言う、この人。


「寝よう寝ようと頑張ると良くないって言うし。気がまぎれたのが良かったんじゃない?」


 自分にも言い聞かせながらマグカップを戻した。


「おやすみ、祐希くん。最後に戸締まり確認して……あ、あと明日、寝坊しないようにね」

「サヤカこそ……いや、いいや。今のなし。寝坊してもいいからちゃんと寝て」


 僕みたいに起きたくて起きてたら寝坊するなだけど、眠りたくても眠れなかったのに寝坊するなっていうのは、ちょっと酷いだろう。

 サヤカはあんまり真面目に聞いてなさそうな顔をしている。


「ありがとう。寝坊はしないようにするけど」

「朝ご飯だって保存食でいいよ」

「食費が気になっちゃってねー……。まあまあ、手を抜いていいところは抜いてるから」

「……あっそ」


 だめ。根本的なところがだめ。「休んで」って口で言うだけじゃなくて、物理的にサヤカを働けなくする仕組みが必要かも知れない。当番制とか。

 ただ、仕組みを作ろうにも、料理を作る人が他にいないという問題がある。サヤカが来るまでのプラントポット食事シーンは惨憺たるものだった。ケージくんとヒカルは面倒くさがるし、ムラサキは食事自体忘れるし、一番マメな性格で家事もちゃんとやるシュートくんの味覚は、だいぶズレている。

 僕も、面倒くさいし、料理なんかちょっと焼くくらいしかできないし。

 まあでも、サヤカを大切にしたい気持ちは、ある。嘘にもしたくない。

 明日からいきなり全部、は厳しいけど。

 準備を手伝うくらいはできるかな。

 起きれるかなー……。


「まあともかく、おやすみ。……サヤカも早く部屋戻りなよ! 深夜とは言え、その格好で共用部をうろつかないように!」

「あ、はい。失礼しました……」


 全く。自分を大切にしてほしい、色んな意味で。

 気づいてからはなるべく見ないようにしていたのに、シャツの膨らみが頭から離れない。

 ちょっとの嬉しさと、嬉しくなっちゃう自分へのうんざり感と、サヤカへの申し訳なさと、気づきたくて気づいたんじゃないという不満が自分の中で混ざっている。あぁもう、と顔をしかめた。サヤカのことは好きだけど、こういうのは違う。

 僕も大切にしたいんだって。


「早起き……するかぁ」


 実際できる自信はないけど、償いがてら、頑張ってみようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る