第12話
生クリームが大量に盛られたドリンクに夢中で油断し切っていたので、横合いから髪にキスをした。
「光くん、今何かした?」
「ちゅーした~」
「……は? ちょっと、勝手に。軽いし。往来だし」
「何だよ、髪にするくらい別にいいだろ。ガタガタ言うんじゃねえ」
「油断し過ぎって怒ってた人と同一人物? すり替わってない?」
「俺はいーの。俺のことは警戒しないで。許して。甘やかして」
「そういうのはムラサキさんとどうぞ。私は心狭いから……キスは無理。だめです。照れる。困る」
サヤちゃんはベンチの端まで遠ざかった。髪くらいいいだろ、というのは四割くらい本音だったんだけど、横顔が本気で照れていたので、ちょっとだけ反省して、追い打ちは止めておいた。
「とりあえずこれで、手繋ぎ、ハグ、デート、ついでにキスまで終わり。あとは添い寝だけだな~どこでやる? ラブホ?」
「おいこら。しない。しません。そもそも添い寝ってそんな、恋人と言えば、みたいなものでもないでしょ」
「じゃあ、それ飲み終わったら、恋人ごっこ終わりな」
そう言うと、サヤちゃんは終わりを惜しんで飲むのを止める――なんてことはなく。めちゃくちゃ美味そうに味わいながら、口に入っていたドリンクを飲み込んだ。
「了解でーす」
「……終わったら今度は俺が先に帰るから、お前、三時間くらい帰って来るなよ」
「何か始まった時より好感度下がってない? ……え、今日、そんなに嫌だった?」
「前からこんなもんだったろ」
「そうだったっけ……今日一日優しくされたから、麻痺してるのかなぁ……」
「反省会くらいしはておくか。どうだった、恋人ごっこ」
ベンチの端から戻ってきた。抱き寄せようか少し迷ったが、サヤちゃんもほとんど終わりの雰囲気を漂わせていたから止めた。
「映画見る前にも言った気がするけど、良かったよ。ちょっと気が楽になった。恋愛ってそんな、世界の命運を懸けた戦いの果てにあるような、特別なものじゃないのかも知れない。もっと身近なのかも知れない」
「お前、アクションの派手さばっかり気にしてないで、青春映画とかも見た方がいいよ」
「今日、そういうの選べば良かったのに」
「相手の好みに合わせるのもデートの大事なポイントだからな~」
「ありがとうございます。大変面白かったです」
「そりゃ何より」
「あ。それと、恋人とか関係ないけど、光くんと遊ぶの楽しかった。嫌いな相手に優しくしなきゃいけなくて、光くんは疲れただろうけど。ありがとう」
――だから、そういうことをあっさりと、特別でもなさそうに他人に言えるいい子ちゃんなところが嫌いだって、俺言わなかったっけ。嫌いなところが多すぎて、俺ももう忘れた。
何となく、特に意味はないけど肩を抱き寄せると、恋人ごっこの延長だと思っているのか、サヤちゃんは特に警戒もせずに体を預けてきた。
そう言えば写真撮るって話もあったな、と思い出し、もう片方の手でカメラアプリを起動させる。
「んー……でも、どの道、ムラサキさんのアトリエにはもう行かない方がいいんだよね……さみしいな。私は今後、どこで癒しを得たらいいんだ……」
「俺の部屋来たら?」
「行かないよ。光くんは頼りにはなるけど、癒やされはしない」
ズズッと、飲み物の残りをどうにか吸おうとする、不細工な音がする。萎える。いつか本当の恋人の前でそれをやって恥をかくところを俺に見せてほしい。
スマホ片手に、サヤちゃんのぼやきについて考える。
こいつの癒しはどうでもいいんだけど、考えてみたら、このまま放置しておくとこいつ、祐希か秀人のところに行きそうなんだよな。俺のところには来ないって言うし。あいつらも最初は歓迎するだろうが、もしそれでまた似たようなことが繰り返されたら、何とも不毛。紫純にしても惜しいだろう。
「サヤちゃん、その件さ~、あいつが参ってたの、サヤちゃんがアトリエに来る理由が分からない、ってところが大きかったからだしさ~」
「そうだったの?」
「理解してなかったのかよ。そうだよ。何だと思ってたの?」
「抱きつくのはやっぱりセクハラだったか……と」
「間違いじゃねえけど。サヤちゃんだって、例えば俺が急にお前の部屋に行って、何の説明もなく居座ったら、ドキドキするでしょ?」
「まあ……ドキドキはするかな……」
「だから~。どうしても行きたいなら、理由を用意しとけばいいんじゃないの、って光くん思うんだけど」
サヤちゃんは若干居住まいを正した。
「……詳しく聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
「例えば、エッチなことしたいから来てるの、って正々堂々言えば、紫純も合意があるならって言うと思うし」
「真面目に聞いて損した」
「それか、絵の話をしたいとか、絵を教えてほしいとか。とにかく、アトリエに行く理由を、嘘でもいいからちゃんと設定するんだよ。用事があればあいつも納得するし、サヤちゃんは用事が済むまではアトリエにいられる」
「なる、ほど? 本当にそんなことでいいの?」
「騙されたと思ってやってみ。紫純のパートナー歴八年くらいな気がする俺が言うんだから間違いない」
「……確かに、それは間違いない。理由かぁ」
ストローをくわえながら、ひそやかな笑み。
咄嗟にレンズを向けて、シャッターボタンを押した。カシャ、という音で気づかれた。
「と、撮った?」
「撮った」
「何急に……。あ、写真撮るって言ってたね、そう言えば。本気だとは、しかも私単体だとは思ってなかったけど」
「え~何~? 俺と一緒に写りたかった?」
「そういう聞かれ方されると否定したくなるけど。今日の思い出を残すためにってことなら、一緒の方がいいんじゃない、の……?」
言った時には確かに残すためと言ったが、今撮ったのは、残すため、なんて理由ではなかった。ただ、では何のためだと言われれば、よく分からない。
スマホを見れば、気の抜けた顔が写っている。
撮りたかったから撮った。それだけ。
「サヤちゃんがそんなに言うなら、一緒の写真も撮っておくか」
「違うけど、まあいっか。撮りたい撮りたーい」
全く心がこもっていなかったが、インカメにして、一枚だけ。いかにも乗り気そうな振る舞いをしていたくせに、俺の隣にあるのは、指の折れたピースサインとはにかみ笑顔。自撮りするタイプじゃあないし、撮られ慣れてないんだろう。
二枚に鍵をかけた。
特に他意はない。
そして、とうとうサヤちゃんはドリンクのわずかな残りを、諦めた。本当に意地汚い。
「飲み終わってしまった……美味しかった……」
「はい、恋人ごっこも終わり。お疲れ様でした。解散。じゃあな~」
最後の情けで空の容器を引き取ってやり、さっさと駅に向かう。だが、サヤちゃんは早足でついて来た。
「ねー、別々に帰るの面倒だし、一緒に帰っちゃだめ? ……ですか。と言うか、万が一色々聞かれたらぼろ出そうだし、いっそ出先で偶然会って、一緒に遊んでたってことにしましょうよ」
「仲良しか。やだよ」
「変に隠す方が怪しくなりますって~……。私がそういうの向いてないの、一番知ってるでしょ」
「ハハ。そう言えばそうだった」
納得させられてしまったので、仕方なく歩調を、デートの時と同じ速度に戻した。
ついでに手をつなぐ。「もう終わりじゃないんですか」と言いつつ、サヤちゃんは振りほどかない。こういうところがこいつは良くない。どうせ他意はなく、俺に言っても適当にはぐらされると諦めて、されるがままになっているだけのくせに。
「サヤちゃん、これから先、初めての恋人どんな人だったって聞かれたら、俺のこと答えてね」
よそ見をしながら、サヤちゃんは苦笑いを浮かべた。
「嫌なこと言いますねぇ。そんなこと言われたら、本当の初めての恋人ができた後でも、光さんのこと思い出しちゃうじゃないですか」
ほらな。
ほんっと俺、こいつ嫌い。
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