第11話

一緒にプラントポットを出たら怪しまれかねないので、わざわざ俺の方が一時間くらい先に出た。適当に時間を潰してから待ち合わせ場所に設定した駅に行くと、あからさまに緊張した顔をしたサヤちゃんが立っていた。

 遠目にひとしきり笑ってから、近づいた。


「おっはよ~サヤちゃん」

「お、おはようございます……。お待たせしました。光さんに置かれましては本日もお元気そうで……」

「硬ぇなー」


 口調だけでなく、サヤちゃんからは全体的に、不慣れ感が滲み出ていた。プラントポットで見た覚えのない服はおろしたてだろうし、メイクも変ではないけど、微妙に似合っていない感。

 普段の様子を俺が知り過ぎているせいもあるんだろうが、何となく惜しい。


「デートつっても、ほとんど単なるお出かけだし? そんな緊張することなくない?」

「心持ちが違うんですよ。こっちの経験のなさをなめないでください。光さんとは違うんです」

「今日はその経験のなさを埋めようって話だろ。威張んな」

「はい……」


 まあ服装とメイクに関しては、すぐに変える訳にもいかないから置いておくとして。


「とりあえずサヤちゃん、今日、敬語なしね」

「えー……」

「さん付けもなし。恋人なんだし~、もっと気楽に話して」

「恋人でも敬語で話す人はいるんじゃないですか?」

「その恋人の俺が嫌って言ってんだから、変えて。紫純とかと同じように同い年みたいに接して。その方がらしいでしょ?」

「……いいですけど……いいけど。じゃあ、私のお願いも聞いてくだ、聞い、て、よ」

「ぎこちな。何?」

「サヤちゃんって呼ばない……で。サヤちゃんって呼ぶの光さんだけだから、癖でいつも通りの対応しちゃいそうなので……」

「もう既に危ういしねぇ」


 いつまでも駅で突っ立っているのも何だと、ぼちぼち歩き出す。


「じゃあ、今日は清佳で」

「うん。私は、光……くん、と。光くん……光くん……」

「敬司の時にはしれっと変えてたくせに、なーにをそんな緊張してんの?」

「あれは必要があって変えたことですから……だから。これは、必然性がないと言うか、無理やり距離を縮めようとするが故ににじみ出る不自然さが……」

「こだわるねぇ。呼び方一つに」

「先にこだわってきたの、光、くんでしょ。……うん、良し。まあ、その内慣れるからこの話は置いておいて。今日、映画を見に行くんで、だ、よね。まだちょっと時間あるけど、このまままっすぐ行くの?」


 ここ黄浦市はかなり大きい都市で、プラントポットや学校のある三花市と違って、遊び先は大量にある。映画館だってショッピングセンターの中にあるし、アパレルやレストランなど選び放題。


「清佳、お腹減ってない?」


 態度を若干狙っている女向けに変えただけで、大したことは言っていないのに、胡散臭そうなものを見る目で見られた。引っ叩きてぇ。


「減ってはないけど、映画見るんだったら、少し何か入れておきたいかも? ……あ、でもお金ないから、あんまり高くないところで……」

「知ってる知ってる。今日は俺の奢りだから、気にしないで」

「え……怖……見返りは何を……」

「見返りなんていらねぇよ。清佳が楽しめればいいし。でも、どうしても気になるって言うなら、あとで一緒に写真撮って。今日の思い出、残しておきたいから」


 ちなみに普段の調子で言うと「何するにしてもお金ないって言われると鬱陶しいから、さっきわざわざ下ろしてきてやったわ」になる。

 紫純が付き合うより先に、こいつの恋人としての適正を確かめておきたいという目的もあるにはあるが、息抜きにしては金のかかる息抜きだ。年上だったら出してくれたりするんだけど、こいつには到底望めない。

 まあ、さすがにこちらから誘った手前もあるし、言う程気にしてないけど。

 疑わしそうな表情をした後、サヤちゃんは苦笑した。


「……ありがとう、と言っておく方がいいのかな、今は」


 やっと今日の趣旨を理解したらしい。

 手をつなぐ。一瞬肩が大きく跳ねるが、サヤちゃんは何も言わなかった。


「とりあえず映画館まで行ってぇ、チケット発券してから、見て回りながら選ぶか~」

「うん。……黄浦、選ぶ程ご飯屋さんあっていいなぁ」

「それは本当にそう。あっちにもファストフードくらい欲しいよな~」

「ね。私、久しぶりにバーガー食べたいかも」

「清佳もジャンクフード食べたい時とかあるんだ」

「そりゃあるよ。高校生なんだから」

「今度出かける時にでも言ってくれたら、ついでにおつかいしてやるよ。今日はせっかくだし、何かいいの食べな。清佳の舌が肥えてくれたら、こっちも美味いご飯ありつけるし」

「……うん」

「恋人っつーか夫婦っぽかったな、今のは」

「人があえて言わないでおいたことを言わないでよ。照れるでしょうが」

「調子出て来たねぇ」


 と、思っていたより、デート自体は順調に進みそうだったんですけど。

 食事を終えて、ちらっとサヤちゃんに合いそうな服を見てから、まだ少し早いものの映画館に行こうとした時だった。

 通りがかった、メンズのアクセサリーや雑貨を扱うショップに、見たことのある顔。

 黄浦に来た時にたまに会う面子の一人――同時に、夏祭りの時、サヤちゃんをさらうために協力を仰いだ男の一人が、いた。

 向こうは既にこちらに気がついていたらしかった。目が合ったのをきっかけに、にやっと笑う。


「よぉ。何か聞いたことのある声がすんなと思ったら、やっぱり光くんじゃん」


 話しかけられたら、無視する訳にもいかなかった。

 ショップの前で立ち止まり「どうも」と応える。ひたすら焦りながらサヤちゃんだけ先に行かせる方法がないか考えるが、自然な言い訳が浮かばない。

 身から出た錆とは言え、今日じゃなくていいだろ。


「久しぶり、か? しばらく見なかったな。何してんのよ」

「そう? ちょくちょく黄浦には来てんだけどな~。俺ってば人気者だから、ひっきりなしにお声がかかっちゃって、お前と会う暇なかったかも」

「変わらずうるせぇな。そっちは彼女か? ――ん? どっかで……」


 気づいて話しかけてきたんじゃねのかよ。気づくな気づくな。何とかサヤちゃんを隠せないかと腕を引っ張るが、当人が自分から俺の陰から顔を出す。


「……こんにちは」

「はは、こんにちは、こんにちはと来たか。お前にしては珍しいタイプだな。年上好きじゃなかったか?」


 サヤちゃんをじろじろと見ながら、記憶を探っているのが見て取れる。本当に、一刻も早く、こいつが思い出す前に、早くこの場を立ち去らなければならない。


「彼女か、って聞いたのと同じ口でそういうこと言うなよな~……。悪ぃけど、俺らこれから映画なんだわ。そろそろ始まるから」

「……あ、思い出した」


 思い出すんじゃねぇって。


「夏祭りの時の女?」

「……光さんのお友達、ですか」


 何回か修羅場になったことあるけど、このタイプの修羅場は初めてだわ。

 じんわり嫌な汗をかく。声の調子からして、サヤちゃんもとっくに察しがついているご様子。

 夏祭りの件に関しては、一応はお互い様的な形で手打ちになったが、それはあくまで俺らとサヤちゃんの間だけ。サヤちゃんが、俺らの頼みに手を貸したこいつらに対してどう思っているかは、よく分からない。

 良く思っていないことだけは確か。

 どちらも、どう出るか分からない。


「ふーん……。へー。面白ぇことになってんじゃーん。何で?」


 気に食わねぇから痛い目を見せたい、と言った女と付き合っていたら、誰でも「何で?」と思う。それは分かる。だが、今日までの経緯を詳しく語っている暇はない。


「ま……色々あってさ~」

「その色々を聞いてんだけど、まあいいわ」


 興味を失ってくれたか、と喜べたのは一瞬。典型的なぬか喜び。


「なあなあ彼女、アンタさ、分かってこいつと付き合ってんの?」

「ちょっ、聞くなおい。もう行くわ。またな」

「分かってますよ」


 サヤちゃんはサヤちゃんで何を言い出す。

 「黙ってろ」という意図を込めて振り返るが、サヤちゃんは全く俺を見ていなかった。ただ、珍しい無表情から、かなり怒っているのは明らか。何なら夏休みの時よりも怒っていそうな気がする。何だこいつ。怒る時が違うだろ。

 腕を引っ張るが、それも無視された。

 サヤちゃんは淡々と言った。


「光さんが私を嫌いだってことも、あなたが光さんの悪い友達だってことも、ちゃんと分かっています。その節は光さんともども、大変お世話になりました!」


 敬語でめちゃくちゃ喧嘩売るんですけど、この子。


「すみません。映画が始まるので、行きますね」


 サヤちゃんは頭を下げた後、すぐに俺の腕を引っ張って、ショッピングセンター内ではギリギリ許されない気味の速さで歩いた。「ほんっとにごめん! 叱っとくから!」と俺は大声で言う。それのおかげかどうか分からないが、幸い、あいつは追っては来なかった。

 映画館が見えた辺りでやっと、サヤちゃんは歩調を緩めた。


「はあ、怖かった」


 のんきな呟きで、焦りは怒りに反転した。


「はあ怖かった、じゃねえよ。危ねぇだろうが」

「光くんがそれを言うか」

「真面目に言ってんの。真面目に聞け」


 頭を軽く叩きつつ、通行する人の邪魔にならないよう、映画のポスターがかかっている柱のそばに寄った。後回しにはしない。問題行動をした犬は、すぐに叱らなければ覚えない。


「俺とか敬司が優しいから勘違いしてるんだろうけど、あの手の奴の中には本当にヤバい奴いるから。男だろうが女だろうが、なめられたら絶対に報復しねぇと収まんない奴とか、人目のあるなし気にしねぇ奴とか。今日で終わらずお前が忘れた頃に来るかも知れないし。俺らにするのと同じように喧嘩売んな。実力行使に出られたら、女のお前じゃ絶対に敵わねぇってことを自覚しろ。紫純の件もあるし、お前ちょっと油断し過ぎ。男は基本警戒しろ。もっと臆病になれ」

「……」

「こういう時こそ素直に「はい」って言えバカが」

「はい……」


 不服そうにすんな。

 こんなに喧嘩っ早い奴だっただろうかと、面白くなさそうな顔を見ながら思うが、すぐに自己解決する。最近は落ち着いていたから忘れかけていたが、そう言えばこいつは、わがままに臆さず祐希を叱り、敬司に迷惑をかけられたら母親に直訴し、本当に殺されかねない場面では「殺していい」と言うような奴だった。

 ――そして「殺していい」と言った理由は。


「まだ死に急いでんのか」

「それは違う。それはもうない。……けど」


 サヤちゃんは俺の嫌いな目で見上げてくる。正しいことが何か、ちゃんと自分で選んで、決めている目。


「言う機会がまた来るとは限らないから。明日、あの人か私か光さんか、誰か死ぬかも知れないし」


 極論だと笑おうにも笑えない、嫌な重みがあった。


「いつ死ぬか分からないからこそ、本当はあの人も含めて、みんな笑顔で、幸せでいてほしいんだけど……。今日の私は光さんの恋人だから、光さんを大切にしようと思って。……光さんに悪い友達がいるの、前から、ちょっとだけ心配だったし」


 ――心には、響かない。

 嫌いな奴に心配されてもねぇ。


「重いわ。さん付けに戻ってるし」

「いた。何度も叩かないでよ!」

「余計なお世話だっての。あいつはあいつで、上手く付き合えば良い友達だから。何も知らねえくせに、勝手に人の友達を悪いとか言うんじゃねえ」

「確かに人を悪く言うのは良くないけど……人を拉致する手伝いをして、しかも拉致された当人の前で悪びれもしない人は、間違いなく悪人だよ。はっきり言うけど、付き合いやめた方がいいと思う」

「良い悪いで言ったら、敬司も悪い方だろ。お前、やめろって言われたら、敬司との付き合いやめんの?」

「それは……。くっ、邪魔だな、あの人」


 あまりにも存在が説得に不都合過ぎて、いないところで邪魔とまで言われる敬司。あいつ自身は気にしないだろうけど、不憫っちゃあ不憫。

 せっかくのデートでいつまでも喧嘩したくはないので、サヤちゃんを密着はしない程度に抱き寄せて、軽く背を叩いた。


「まあまあ、お前の気持ちは分かった。気持ちだけ受け取っといてやるわ。不安にさせてごめんな、清佳。大丈夫だから心配しないで。ありがと」


 全く響いた気配なく、むしろジトッと見られた。


「いつも、そんな感じで女の人の色んな追及をかわしてるんだろうなぁ……の気持ちしかわかない」

「まっさかぁ。そん時はもっと本気でごまかしにいきます~」

「サイテー」

「やってやろうか、本気の奴。物陰で」

「いらん」

「敬語外せとは言ったけど、ぞんざいにしろとは言ってねぇぞ」

「光くんこそ、恋人っぽさが雑になってるよ」


 ふと、サヤちゃんは視線をそらした。


「まあでも……さっき怒ってくれたのには、かなり恋人っぽさ感じたけど」


 思わず、腕をといて離した。


「……だろ~? だからって好きになんなよ。今日のは全部、ふり、でしかねぇんだから」

「はは、ならないよ。でも何かおかげで、だんだん、胸のつかえみたいなものはなくなってきた、かな」


 拗ねた雰囲気はすっと引っ込んで、いつもの明るい笑みが浮かぶ。


「さすがに今は色々と面倒なことになりそうだし、ムラサキさんに対する気持ちは、やっぱりしばらくは保留にし続けるつもりだけど。確かに考え過ぎだったのかも。恋人になるっていうのが、今日の延長線上にあるのなら、いつか、ちゃんと向き合ってみてもいい気がする」


 聞きながら、もう、どう転んでも、こいつは幸せになるんだろうという気がした。

 相手が紫純であるかはともかく、自分も相手も大切にできるような恋愛をするのだろう。

 それが俺は気に食わない。

 この笑顔も嫌い。


「調子乗んな。まだ早いわ」

「何なんだ」

「今日のデートなんか序の口も序の口だから。実際の恋愛はもっと辛くて苦しいことばっかりだから。今のお前には無理」

「……光くんは、私をどうしたいの? 妙に協力? してくれるし、もしかしてムラサキさんと付き合わせたいのか、とかちょっと思ってたんだけど」

「真逆。付き合うな。俺のだから」

「やっぱり、そうだよねぇ。私もそんな訳ないよなーって。……じゃあ、単なる優しさか」


 俺が否定する前に、サヤちゃんはふっと別のことに気を取られたように、周囲を見回した。


「あれ、今流れてた開場アナウンス、見る回のじゃなかった? 飲み物買いたかったのに」


 勝手にすっきりしやがって。

 だが、今日は恋人だ。苛立ちは飲み込んで笑いかけた。


「今からでも間に合うでしょ。心配なら先行ってな。並んで来てやるから」

「やっさしー。ありがとう」

「優しいだろ。何飲みたい?」

「アイスコーヒーをお願いします」


 家に戻ったら、いつもより酷使してやるからな。

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