第5話
side:田中祐希
「おかえりー祐希くん!」
「わっ、テンション高っ」
プラントポットの玄関を開けた途端、奥からトトトトと足音が聞こえて、半ば体当たり気味に出迎えられた。
顔にも満面の笑みが浮かんでいる。
シュートくんに対してこのテンションでいるのは何度か見たことがあるけれど、僕に対しては初。前々からちょっとだけ、この無邪気さを向けられるのに憧れてはいたけれど、サヤカにとっての僕のポジション的に無理だろうなと諦めていたし、それが来るのが今日だとも思っていなかったから、そのテンションを受け止め切れなかった。ノリに合わせることもたしなめることもできず、普通にびっくりして、普通に問いかけてしまう。
「さ、サヤカ、どうしたの? 熱でもある?」
「ないよー。元気!」
「……お酒とか飲んでないよね?」
子どもだけの共同生活で、一番に心配されるのはそこだと思う。酒とタバコ……あとまあ男女関係?
ただ、元が不法占拠だったから、理事長に変な弱みを握られて追い出されないようにと、僕らは最初から節度は保っていた。数名、疑わしい人間はいるけれど、お互いに監視し合っている。とりあえず今のところ、プラントポットの中にお酒は置かれていないはず。
それに、サヤカは単純に、いい子だから悪いことはしない、というタイプ。
「サヤさん、疲れ過ぎてハイになってるみたい。後夜祭からずっとこのテンションだよ」
だから、まさかお酒を飲んでる訳ないよなぁと思いつつ、あまりのテンションの高さに疑っていると、あとから来たシュートくんが解説してくれた。
納得はしたけど。
「ちっちゃい子ども……?」
「ハッ。祐希に言われちゃオシマイだな〜サヤちゃん。ほら、会えたんだから、寝んねしな」
ヒカルもあとからやって来て、サヤカの頭を叩いた。
「ん、自分でもテンションおかしいの分かってますし、早めに寝ますけど。ちょっとくらい話させてくださいよ。そのために待ってたんですから」
「え、待ってたの? ごめん、クラスの打ち上げ出てた……」
今日は夕ご飯なしで、各自好きにしていいって話だったから。
「あ、いいのいいの。待ってたと言うか、私も祭の余韻に浸りたくて、だらーっとしてただけ。……こちらこそ、疲れてるのにごめんね」
ハイになっていると言うか、いつもは心の中だけで抑えている気持ちが、素直に表に出るようになってしまっているのかも知れない。サヤカは今度は、必要以上にしゅんと萎れた。
かわいいな、この人。
これで普段、僕を弟か何かみたいに扱うの、意味分かんないんだけど。自分の方がよほど子どもっぽいのに。
疲れてるとか関係ないし、言ってくれたらすぐ帰ってきたんだけど。
言ってよ、わがままを。
見た目以外のところも含みで、前から綺麗な人だなとは思っていたけれど、最近は綺麗と言うよりもかわいく見える。付き合いたいとかって言うより、猫とか犬とかに対する気持ち――それこそ妹がいたらこんな風かな、と思うけど。猫にすることを人間にしたら、下手したらドン引きされるんだよな。
微妙にパニックになって無言でいたら、ヒカルに足を蹴られた。
「はいはい、お互いに疲れてるから、さっさと話したいこと話して、お部屋に戻りましょうね〜」
「祐希、その荷物、部屋に持っていっておくよ」
保護者ポジションたちはあっさりと、願うばかりの僕の上を行く。サヤカをリビングにうながして、僕も押し込んだ。
「ちょっと一言言うだけのつもりだったんだけどなぁ」
コの字に並べているソファの、コの下辺にあたる場所に、サヤカと隣合って座る。
サヤカは少し言いにくそうにしながらも、ふうと息をつくと、あっさり言った。
「後夜祭の女装、素敵だったよ、って。それだけ言いたかったの。今日のうちじゃないと、言いそびれちゃいそうだったから」
「あぁ、あれ」
さすがにもうメイクも落としているけれど、数時間前まで僕は、完璧にかわいい女の子だった。
後夜祭で行われる女装&男装コンテストに出て、ムラサキの腕も存分に借りて、約束された優勝を約束通りにもぎ取った。
優勝とは言っても、その場の拍手の雰囲気と、生徒会と文化祭実行委員長による審査で決まる、賑やかしに過ぎない演目だったけど。
僕は、全力でかわいくなった。
「ん、ありがと。……まあ、メイクはムラサキのおかげだし、衣装も借りた奴だし。僕は色々文句つけてただけだけど」
「ムラサキさん、いいプロデュースだったって褒めてたよ。本当に、学校の誰よりかわいかった」
「それは……言い過ぎだけど。まあ、一応頑張ったから……ありがとう」
実際、そこら辺の女子よりはかわいかったはずだけど、「学校の誰より」は荷が重い。それに大体、学校の誰よりと言ってしまったら、サヤカよりもかわいいことになってしまう。
まあそれはともかく。
サヤカの意図ではないとは言え、わざわざご丁寧にも伝えにきた理由は、言いそびれそうだから、だけではないだろう。
「もしかして、シュートくんとかから聞いた? 僕がモデルに憧れてた、って」
サヤカは気まずそうに笑った。
「んー、うん。敬司くんからだけど。お姉さんのこととかも、聞いた」
お姉ちゃんのことも聞いたのか、と思いつつ、ちょっと別のことが気になる。
「……いつの間に敬司くんって呼ぶようになったの」
「みんな気にするなぁ、それ。大した理由じゃないよ。咲坂母と仲良くなったから、区別するために変えたの」
「ふーん……」
みんなが気にするのは、相手がケージくんだからだと思う。ケージくん、サヤカのこと好きっぽいから。
共同生活で心配なこと、男女関係。プラントポットでは個室には鍵がかかるようになってるけど、当然、自分で招き入れるなら意味がない。
同じくサヤカが好きでも、ムラサキはその辺り、さすがに最低限の節度は守るだろうっていう信頼がある。だけどケージくんにはない。人間より悪魔に近いから、あいつ。みんなサヤカがうっかりあいつの毒牙にかからないか、心配してるんだと思う。
サヤカももう少し危機感を持ってほしい。
大分話がそれたけど、本題に戻す。
「姉のことは気にしなくていいよ。モデルのこともね。隠してないし。単に、言う程のことじゃなかった、ってだけ」
「そっか」
笑顔を浮かべてはいるけど、サヤカはまだしゅんとしている。
僕のプライベートな話を、僕以外から聞いたことに、罪悪感があるんだろう。もうケリはついたとは言え、かつての間違いをすっかり忘れる、という訳にはいかない。
自分から探りに行った訳じゃなく、きっとケージくんが勝手に話しただけだろうし、たぶん前と違ってそのうち立ち直るだろうとは思うけど。
立ち直るからって、このままにしとくのもなー。
いっそ、自分から話してしまえばいいのかも。気にしてない、隠してはないという言葉も、説得力を持つだろう。
「そんな気になるのなら、いい機会だし話すよ」
「気にしては……いや、正直気にはなるけど、そんな」
「はいはい。じゃー聞いて。僕、二人、姉がいるんだけど、下の方が、僕が小学生の時にモデルになったの。それで結構、雑誌とか見るようになってさ。モデル――特にファッションモデルっていいなーって思うようになった」
上の姉もアナウンサーをしていて、ずっとその様子を見ていたから、元々、芸能界のきらびやかさへの憧れは強かった。
「だけど、僕はモデルになるには、致命的に身長が低かった。僕はここからタケノコ並に急成長しない限り、到底、モデルになれる身長には届かないって、中学の頃には分かった。近くにシュートくんもいたしね……」
「あぁ……」
中学時点でシュートくんは一八〇を超えていた。対して僕は、今より低かった。
今も一応伸びてはいるけれど、ほとんど頭打ちだ。サヤカよりほんの少し高いくらいの身長で、僕の成長は止まる。
本当に、シュートくんくらいの身長があれば、全然いけたと思うんだけどな。自分で言うのも何だけど、僕、顔はいいから。やる気もあったし。
まあ、今はもう夢でしかない。
「だから、自分がモデルになるのは、すっぱり諦めた――いや嘘。未練はあるけど。今日みたいな時に張り切っちゃうくらいには」
女装とは言え、ステージの上に立つからには、ちゃんとやろうと決めるくらいには。
未練と言うよりは、思い入れと言った方が良かったかも知れない。ステージに立って、自分と服を魅せることへの敬意。生半可にはやらないぞ、という気持ちがあった。
「ま、でも、職業としては厳しいんだろうなって、もう割り切ってる。そんな感じかな」
サヤカはうなずいた。僕が本当に気にしていないことが伝わっていたらいいんだけど。
一応、落ち込みはなくなっているように見えた。
「ありがとう。……やっぱり、たかだか半年程度の付き合いじゃ、知らないこといっぱいあるねぇ」
「そりゃそうだよ。シュートくんに教えてないことだっていっぱいあるし。僕も、サヤカのこと全然知らないし」
「そうかな。そうかも」
これから、知り合っていけたらいいんじゃないの。
盗聴器や嘘なんて使わずに、正しい形で。
サヤカの嘘つき生活は、この夏でおわったんだから。
「知れて良かった」
ソファの背もたれが少し沈む。
「もちろん、何も知らなくても、祐希くんは素敵だったけど。話を聞けて、今日がもっといい思い出になった」
その言葉で、ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、泣きそうになる。
「いい思い出が増えたなら、良かったよ」
「うん……」
さっきのハイテンションはちょっと心配になるくらいだったけれど、それだけ楽しかったってことだろうし。良かったよ。
そろそろ部屋に戻ろうか、と声をかけようとして、サヤカの顔を見た。
目が閉じていた。
「寝てない?」
「寝てないよー」
「寝つつあるでしょ。ダメだよ! リビングで寝たら」
ケージくんとかヒカルとかに見つかったらイタズラされるって。風紀的に良くないイタズラを。
「一度座ったら体が重い……」
体が傾いてきて、肩に頭が乗った。
それも良くない。
身長が同じくらいなせいで、色々と近い。
弟じゃないんだから――普通に僕も高校生だから。
このままでいたいなーという下心がじわじわと湧いてきて、慌ててサヤカの体と一緒に押しのけた。
「もう。僕じゃ運べないんだから、頑張って起きて」
「ふふ。小野寺先輩でも、運ぶのは難しいと思うけど」
眠たそうに目が開いた。
「運べたら、運んでくれる気があるんだね。頼もしいなぁ」
「……しない! 甘えるな!」
大分限界に来ている雰囲気を感じたので、僕は立ち上がって、サヤカの手を引っ張った。
サヤカは楽しそうに笑いながら立ち上がった。
そうして僕たちの文化祭は、幕を下ろした。
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