第4話

side:北条紫純



 立体物や衣装の作成、幽霊や柳などを使った和風ホラーのデザインは、良い経験にはなった。

 だが、連日あちこちとやり取りをしながらの作業は、さすがに疲れた。


「ムラサキさん、ジュース飲む?」

「北条くん、扇いであげる~。まだ暑いよね~」

「うちのお母さん、お化け屋敷の雰囲気、すごい怖かったって褒めてくれたよ~。紫純くんのおかげ! お疲れ!」


 気持ちはありがたいが、今は一人にしてほしいと、正直思う。

 元々、北条紫純という絵描きは観客が苦手だ。人に見せるためでなく、自分の満足のためだけに絵を描いている期間が長かった。加えて親の影響もあって、観客は自分の描いた絵の意味を理解しない、という思想に気づかないうちに浸かっていた。

 近頃は心変わりがあって、作品への評価や感想は、恥ずかしくとも不服であっても、極力受け取っておこうという思想に転換した。人付き合いも増やしていこうと考えた。マネージャーや絵描きの両親のような理解してくれる人間とばかり付き合っていては、思考が凝り固まる。

 だが、人間、そうすぐには変わることはできない。

 今のように疲れている時は、与えられるものが称賛であっても、負荷を感じてしまう。

 礼くらいは言うべきだと頭では考えるものの、口から出ない。与えられるものを受け取るので精一杯になっている。

 もっとも、俺が無言でいても、誰も気を悪くしないが。

 誰も気を悪くしないから、終わらないとも言える。

 単純な人付き合いへの苦手意識も重なり、与えられ続ける称賛や言葉に、ストレスはたまり続けた。お前らは何も分かっていない、などとわめき出す前に、逃げ出した方がいいかもしれないとまで思い始める。

 その時だった。


「おうおう、大盛況じゃねぇかムラサキ。ちょいとその恩恵に預からせろや」

「敬司くん、小物感が一周回って、大物感出てきたね」

「あん?」


 好きな人と、気に食わない奴の声が、近い位置から聞こえた。

 周囲にあった人垣がさっと引いて、間から金髪が顔を出す。その隣に、好きな人はのんびりとした面持ちで立っていた。以前は不良と友達でいるように見られることを危うんでいた記憶があるが、咲坂といるのに慣れて、気にしなくなってしまったらしい。

 それも由々しき問題だが、今はそれより。


「敬司くん?」


 何故、名前で呼ぶようになっている。

 そもそも何故、一緒に現れる。

 俺が後夜祭で使われる衣装の補修や調整に追われている間に何があった。

 人に囲まれるストレスは、咲坂への嫉妬に変換された。


「つーか何この貢ぎ物の山。お地蔵さんにでもなったんか? このジュース、もらってい?」

「それは持っていっていいから、清佳さんだけ置いて帰れ」

「ざぁんねん。その清佳ちゃんに帰るなって言われたんです~」

「私にって言うか、お母さんにでしょ」

「親への挨拶まで済ませたのか……」

「いや違。ムラサキさん、ここ学校だから。あんまり変なこと言わないで。呼び方変わったのは、敬司くんのお母さんが来てたから、差別化のためです。他意はないよ。ご希望ならムラサキさんのことも紫純さんって呼ぶし」

「いや……大丈夫だ。悪い。取り乱した」


 ムラサキというあだ名は祐希が言い出したものだが、覚えられやすく、気に入っている。

 咲坂は斜め前にあぐらをかき、清佳さんは俺の隣に腰を落とした。

 だから咲坂は帰れ。どっか行け。

 ただ、実際に咲坂がいなくなれば、ここを中心にクラスの塊が出来てしまう可能性が高いことを考えると、口に出すまではいかなかった。皮肉にも、清佳さんよりは人避けになる咲坂の方が、求めていた人材ではある。

 苦々しさを噛み締めていると、軽くそでを引かれた。


「ムラサキさん、あらためて、お疲れ様」


 咲坂に気を取られて気がつかなかったが、清佳さんはかなり疲れていて、そのせいでやや行き過ぎなくらいに機嫌が良いようだった。花のような笑みを浮かべている。

 そろそろ後夜祭が始まるのだろう。ステージ以外の電気が落とされていったせいで、その笑みはすぐ、薄暗がりで見えにくくなった。


「お、後夜祭もそろそろかな。終わりって感じするなぁ」


 惜しみながらステージに目を向け、彼女の声に耳をそばだてる。


「たぶん散々言われてると思うけど、お化け屋敷の飾り付けとか、衣装、ありがとう。お陰で一日楽しかった。いい思い出になったよ」

「……思い出か」

「うん、思い出」


 かつて清佳さんは、それを求めて、過ちを犯した。彼女にとっては、明るい意味だけの言葉ではない。

 けれど今、そこには陰はなかった。前向きな響きで満ちていた。

 絵がちょっと描けるせいか、たまに勘違いされるが、俺は出来た人間ではない。

 クラスメイトやその保護者たちからの称賛には疲れても、たった一人の好きな人からの称賛には浮き立つような、薄情でくだらない高校生だ。

 彼女が喜んでいれば、今日の全てに、甲斐があったと思える。

 全ての電気が落とされて、ステージに人が立つ。

 後夜祭が始まる。


「あ、でも。今日、祐希くんにだけ会えなかったんだよなー。それだけ残念」

「それなら、今から会えるぞ」

「え? あ、もしかして後夜祭、何か出るの?」

「出てからのお楽しみ、だ」

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