第14話 無謀な計略②

 また……?


 祖父の言葉は、まるで以前に海竜と番おうとした飛竜がいたというような言い方ではないか。そんなことは今まで耳にしたことはなかった。

 嫌悪を露わにした祖父の顔を見つめる。緊張と困惑で固まっているリアンを見て、空軍の大将は眉間に縦皺を寄せて憤怒の表情を見せた。


「まさか、ゲオルクの娘……いや、オーベルの小僧か。お前達、いがみ合っていたと思ったが、いつの間に。これでは本当にあいつの二の舞ではないか。断じて許さん」


 告げられた名前にぎょっとして、リアンは勢いよく首を横に振った。何故そこで地竜の雌でも海竜の雌でもなく、ヴァルハルトの名前が出るのか。確かに竜同士なら同性で番になる者もいるが、数は少ない。確信したように言う祖父の思考が全くわからなかった。

 そしてあの男の名前を出されて、自分はなぜこんなに動揺しているのか。


「いえ、ヴァルハルト・オーベルとは何もありません」


 硬い声でそう言うと、祖父の眼が鋭く光った。


「そうか。ならばお前が奴をおびき出せ。蛸壺から離れた隙に戦艦を沈める」


 なぜかヴァルハルトに矛先が向いた。それも最初の話に戻り、今度はリアンにも片棒を担ぐように命じてくる。


「そんなことは……」


 できない、と思った。到底できるはずがない。


「王国の軍艦を沈めるなど、国の防衛を司る軍部の人間として、許されません」


 首を横に振るリアンを見て、祖父は眉間に皺を寄せたまま鼻を鳴らした。


「ふん。お前は昔から素直で従順なところが良かったが、少し王族に近づけ過ぎたな。ならば、オーベルの小僧を誘い出して咆哮を使え。そして奴の腕を落としてこい。海蛇を沈められずとも、あの荒くれ竜の牙が抜けるならそれでもいいだろう。強い竜印を持つ海竜は邪魔だ。それで奴らの力はそげる。安心しろ。海軍にも私の息がかかった者はいる。奴がグートランドと密交渉していたという証拠は作れるだろう」

「お祖父様……」


 一貫して強行する態度を崩さない祖父に絶句した。

 どうすればいいのか。叔父は今燕にいないが、このことを知っているのだろうか。今すぐ艦内に戻り、叔父に連絡を取って祖父を止めてくれるように頼むべきか。それよりも、海蛇に通信して領海の側にグートランドの戦艦がいることを伝える方が先か。燕と海蛇は通信し合える無線を備えているはずだが、普段ほとんど使っていないため通信機のある部屋に走ってもすぐに使用できるかどうかはわからない。

 混乱したままリアンが考えていると、祖父は目に嘲笑を浮かべた。


「どうした。お前はヴァルハルト・オーベルのことは毛嫌いしていただろう。片腕程度落としたところで竜なら死にはしない。殺してもいいがな。お前自身でグラディウスの力を海竜どもに見せつけてこい」


 そう言われて、リアンはまた凍りついた。祖父が言うことを頭の中で反芻してみる。

 確かに、自分はあの野蛮な男のことは蛇蝎のごとく嫌っていた。

 しかし、奴の腕を落とせと言われて、頷けなかった。

 ヴァルハルトは海の中でリアンを助けた。自分を引き上げたあの腕を、切り落とすことを一瞬考えて、とても無理だと思った。自分はあの男を心から嫌悪していたはずなのに、祖父がヴァルハルトの腕を落とすと言った瞬間に心の底に感じたのは、祖父への怒りだった。


「命令だ。リアン」

「できません」


 したくないのではない。するわけがない。そんなことは絶対にしない。

 もし祖父が自らやるというなら、たとえ祖父とやり合うことになっても止めてみせる。

 自分の中ににじみ出た怒りで決意を固めたリアンに、祖父は冷徹な目を向けた。


「そうか。やはり懸想したか。それでは、リアン、お前はもう誇り高き飛竜ではない」

「ですから、奴とはなんでもありません」

「私にはわかる。お前の目はあいつにそっくりだ」

「あいつ……?」

「なんでもないと言うならば、オーベルを憎めるな。今後一切あの男と言葉を交わすことは許さん。あの恥知らずで野蛮な竜を殺したいほど憎んでいると言え」


 憎んでいる……?


 高圧的な声で命令されて、リアンはまた戸惑った。

 言って祖父の気が済むのであれば、言うべきだった。

 それなのに何故か、その言葉がでてこない。

 この場をおさめるために、一言そう言えばいい。

今後一切話すなと言われて、以前であればリアンはすぐ頷けたはずなのに、今どうしてか、首が動かない。顎を縦に振るだけでいいのに、自分の中に抗ってしまう何かがある。

 言いよどんでいるリアンを見て、大将は失望したようなため息を吐いた。


「こんなことなら、相性など考えずにもっと早く人間の雌と番わせていればよかった。リカルドも私も竜印を持つ子どもを得ようと慎重になりすぎたな。ここまで大事に育ててやったが、一族を裏切る竜ならいらない。どちらにしろ、お前が子を残せる可能性は低い。飛竜の子は、傍系の竜に作らせよう。お前は頭が冷えるまで牢にでも繋いでおくか」


 リアンを無表情に眺めた祖父は腰から銃を抜くと、躊躇わずにリアンに向けて撃った。


 ガンッと衝撃が左肩に当たり、衝撃で数歩下がった。竜の身体は頑丈だから血が噴き出すようなことはないが、肩を貫通した弾丸が恐らく肩甲骨を砕いた。

 撃たれた動揺と驚愕で目を見開いて祖父を見つめる。銃を構えてリアンを見据える祖父の顔は冷酷だった。

 血が滲み始めた肩を押さえながら数秒見つめ合って、リアンは身を翻した。扉に向かって走る。艦内に戻れば、誰かにこの事態を伝えられる。もう自分一人では祖父を止めることができない。


 部屋の扉にたどり着く前に、すさまじい風圧と衝撃に横殴りにされた。窓に吹き飛ばされて、背中からガラスに叩きつけられる。けたたましい音を上げてガラスが割れ、テラスに投げ出された。祖父の翼で殴打されたのだということはすぐにわかった。

 強風が吹き荒れるテラスの床に膝をついて、ふらつきながら頭を上げると祖父が部屋の中からリアンを見下ろしていた。


「どこへ行く」


 冷ややかな声で問われて、散らばったガラスの破片の上で黙って祖父を見上げた。

 グートランドの戦艦のことを知ったリアンを逃がすつもりがない。躊躇無くリアンに銃口を構える祖父を、信じられない思いで見つめた。

 今まで祖父の命令に逆らったことはなかった。一族を束ねる祖父の言うことに信頼してつき従ってきた。しかし、今彼が手を出そうとしていることには、どうあっても自分は恭順できない。

 艦内には戻れないとわかって、リアンは背中から翼を出した。このまま捕らわれてはいけない。せめて、海蛇に危険を伝えなければ。竜の翼で飛んでいけば祖父がグートランドの戦艦に合図を出したとしても、魚雷が到達する前には間に合うかもしれない。

 祖父を見つめながら唇を噛みしめて、強く羽ばたいた。テラスの上に浮かび上がったリアンを見て、祖父は黄眼の瞳孔を縦に開いた。

 その瞬間、鼓膜をつんざくような甲高い音と共に、祖父から凄まじい威圧と衝撃波が放たれる。何が起きたか気づいた直後、全身に打ち付けるような圧力波がリアンを襲った。


「っ」


 竜の咆哮を浴びた。

 飛竜の最も強力な攻撃である、竜の咆哮。当たれば意識を失い、身体が麻痺する。繰り出す方もしばらく竜印の力を使えなくなるため、飛竜が最後まで温存する秘技であるが、祖父はそれをリアンに使った。

 直撃して、テラスから飛び上がった身体がビリビリ痙攣して動かなくなった。意識までは失わなかったが、全身が硬直して息を吸うのがやっとだった。衝撃波に吹き飛ばされ、テラスの柵を越えて艦艇の外に投げ出される。


 呆然としたリアンの顔を祖父は無表情に見つめ、手を伸ばすことはなかった。麻痺して身動きがとれないリアンが空中艦艇から落ちていくのを、ただ黙って見ていた。

 空から落ちながら、リアンはそんな祖父の顔を茫然と見続けていた。

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