第10話 海竜と密輸船②
密輸船は、示されていた方向に飛ぶとやがて見つかった。
普段空の防衛を担っている空軍は、あっても他国の偵察機を追い返すか迎撃する以外に侵入者に煩わされることはほとんどないが、海軍は海からくる密輸船や海獣なども相手にするからなかなか慌ただしいらしい。それを思うと喧嘩っ早いという海竜の気性が多少は理解できる。
船は黒塗りの中型船で、確かにスピードは速かった。遠目に巡洋艦が見えるが、まだ追いつくような距離ではない。巡洋艦よりもクラーケンに追われて逃げ回っているのか、船の舵取りはめちゃくちゃな様に見えた。かなりスピードを出して飛んできたからまだヴァルハルトは海の中から追いついていないだろう。海竜がどれほど速く泳ごうが、本気を出した飛竜には敵わない。
リアンは甲板の上を右往左往して動き回っている密輸団を上空から観察して、リーダーと思わしき船員に指示を出している厳つい男を見つけた。肩から吊ったホルスターから銃を取り出し、海上に気を取られていてこちらに気づいていない男達の頭上から躊躇わずに発砲した。
金属的な破裂音が響き、頭目の男が足を撃たれて床に倒れた。周りの男達が驚愕して周囲を見回し、空中に浮かんでいるリアンを見つけたときには、すでにリアンは船の甲板に下り立っていた。
「なんだ!?」
「飛んでるぞ! まさか竜か!?」
狼狽えている男達の足に躊躇無く残った弾丸を撃ち込んで、無力化する。頭目の男はリアンに向けて持っていた銃を構えたが、引き金を引かれる前にリアンは男の目の前にいてその側頭部を弾切れになった銃で殴打した。
「ぐっ」
鈍い音がして、頭目が唸りながらデッキに倒れる。その背中を足で踏んで銃を頭に構えるのを周囲の男達に見せつけた。
「抵抗はするな。じきに海竜と巡洋艦が来る。クラーケンに食われて死にたくなかったら全員大人しく投降しろ」
リアンが甲板に下り立ったときから、すでにクラーケンの一体が船に追いついていて船が大きく揺れていた。海から巨木のような頭を出したクラーケンに、リアンは腰から抜いたサーベルを投擲した。
それは目玉のすぐ脇に深く突き刺さり、怯んだクラーケンが甲高い咆号をあげてもう一度海に潜る。その様子を見ていた密輸団の男達は、青ざめた顔で皆膝をついた。運悪く海獣に出くわした上に、飛竜にまで会うとは想定していなかっただろう。
大人しくなった男達から武器を取り上げて制圧したところで、またクラーケンが海上に現れたが、直後に何かに引き込まれるようにして海の中に倒れていった。どうやらヴァルハルトが追いついてきたらしい。
それを見てリアンはさっさと甲板から船内に足を向けた。クラーケンが船の周囲に集まっている以上は密輸団は海に逃げることもできないし、もはや男達は放っておいても問題はない。
船内の一室に、王国に持ち込まれる密輸品がまとめて置かれていた。
危惧していたような人の姿はない。ほとんどが薬物と酒、宝飾品や大陸でしか手に入らないような珍しい魔道具だった。魔法を使える人間はホーフブルク王国には存在しないため馴染みはないが、水晶のような輝きのある石がついた杖や工芸品のようなものがある。赤い線の模様が塗られた魔道具は何に使うかわからないような物ばかりだったが、貴族達にはウケがいいのだろう。
ふと酒の箱の脇に、剣が何本か転がっているのに気づいた。鞘に装飾が施されているから模造品かと思ったが、抜いてみると意外にもしっかり打たれた剣だった。
ヴァルハルトが背負っていたような大剣もあり、それを一本手に取る。確かに海獣相手ならこのくらい大振りの剣の方が戦いやすいかもしれない。海面に出てきたクラーケンを相手にするのに使えると思い、それともう一本サーベルよりも大きめの剣を携えて甲板に戻ることにした。
奴の言葉に触発されたようで面白くないが、武器はないよりある方がいい。
一通り船内を確認してからもう一度甲板に出た。
船体が大きく揺れている。ヴァルハルトがクラーケンと交戦しているのか、高く上がった波が何度も船の上に降り注ぐ。
沈没する勢いで揺れる甲板の上で、密輸団の男達がぎゃあぎゃあ悲鳴を上げて転がっていた。何人か海に落ちたのが見えたが、まあ、いい。さっき浮きを配ってやったから流されてもその辺りを浮かんでいるだろう。
リアンは甲板に積まれた荷を確認するために、次に船の後尾に移動した。
突然、左手の海からザバっと何かが船の上に飛び上がってきて、驚いて身構えた。
甲板に着地したのはずぶ濡れになったヴァルハルトで、それを見て咄嗟に出そうとしていた翼を背中に収めた。まだ船は揺れているが、クラーケンは全て殲滅したのだろうか。
「何だ。終わったのか」
リアンの声でこちらを向いたヴァルハルトが眉間に皺を寄せながら歩いてくる。
「剣が折れた。尾だけじゃ埒があかねぇから船の中から代わりの武器を探す」
あの大剣が折れたらしい。どんな使い方をすればあんなゴツい剣が折れるのかは知らないが、リアンは足早に向かってくる男に手に持っていた剣を投げた。
不意をつかれて目を見開いたヴァルハルトが、それでもリアンが投げた大剣を顔の前で掴む。
「中で見つけた。使え」
素気なくそう言うと、海竜は黙って鞘から剣を抜き、その剣身を確かめると鞘を甲板の上に捨てた。
リアンを見てにやりと笑う。
「いい仕事すんじゃねぇか」
「さっさと片付けろ。船が沈む」
顔を顰めて苦情を言ったら、野性味のある表情で口の端を上げたヴァルハルトは手すりに飛び乗るとまた海の中に飛び込んでいった。
その後ろ姿を見送って短く息をついたリアンは、気を取り直して揺れる船の上を船尾に向かって進む。
甲板の上で積まれていた荷箱の中を確認した。こちらは衣服や缶詰などで怪しいものはない。人はいないし、特に問題はないかと思ったとき、船の揺れで積み上がった箱が崩れた先に、檻のようなものが見えた。
箱を掻き分けるのも面倒なので、飛んで甲板の奥に移動すると、そこには動物が押し込められた檻がいくつか転がっていた。恐らく積み上がっていたのであろうが、揺れで崩れたのか無秩序に散らばっていて、底が上になってひっくり返っているものもある。中をのぞくと、檻にいたのはウサギや猫のような小動物や珍しい色の羽を持つ鳥だった。
どの動物も気絶しているか、衰弱している。暴れているものもあったが、波の音とクラーケンの鳴き声で気づかなかった。
不憫には思ったが、ここで檻から出したところで危険なことに変わりない。檻同士は頑丈そうな鉄の鎖と重りで繋がっているので、この中にいる分には海に投げ出されることもなく、逆に安全かもしれない。弱っているが、今にも死に絶えそうな動物はいないと確認してほっと息をついたとき、甲板の一番端に転がっていた檻の中の生き物を見て瞬きした。
「これは……なんだ?」
今まで目にしたことのない生物だった。手のひらくらいの大きさで、胴が馬に似た形に湾曲している。足はなく、尾が蛇のように長くて少し丸く巻いていた。口は先が少し長く、顔は馬にも似ているが、背びれのようなものと、何より翼があって鱗のような皮膚に覆われている。
檻の中でぐったり横たわっている生き物を見て、首を傾げたとき、船体がひときわ大きく揺れた。傾いた甲板からその生き物の檻が投げ出されそうになって慌てて飛び上がり、翼で羽ばたいて風を起こした。荷箱は風に巻かれて海の中や甲板の奥に飛んでいったが、鎖で繋がっている檻は転がるだけでデッキの上に留まっている。
船が水平に戻ったと思ったら、今度は海の中からクラーケンの足が甲板に巻き付いてきた。
「全くあの鈍間な海竜、さっさと片を付けろ」
もたもたしているヴァルハルトに舌打ちしてから、手に持っていた剣を抜いて構える。勢いよく振り下ろして海獣の足を切りつけると、蛸のような吸盤のある足はビクンと跳ねて海の中に戻った。
そのとき、都合の悪いことにクラーケンの足が檻の鎖を引っかけた。金属同士が擦れる嫌な音を立てて檻が猛烈な速さで引きずられ、連なりながら海に落ちそうになる。咄嗟に飛んでクラーケンの足を断ち切り、鎖から引き剥がしたが、甲板から落ちかけていた檻の勢いは止まらず一番端にあった檻から海に落ちた。
「クソっ」
剣を投げ捨てて船の側面に足をつき、落ちる鎖を掴んだ。がくんと重量が肩に掛かったが、翼と体幹で耐える。バシャンと端に繋がっていた檻が海に沈んだ音を聞いて、渾身の力を入れて鎖を引っ張り引き上げた。竜の力により腕力も握力も人間よりはあるが、いくつも重なって付けられた鉛の重りと檻の重量は想像以上だった。
なんとか海から引き上げて甲板に戻そうとしたとき、鉄の鎖が緩んだ箇所があったのか、途中で切れた。またバシャンと音を立てて一番先に繋がっていたあの不思議な生き物の檻だけ海の中に落ちる。
しまった、と舌打ちして先に引き上げた鎖と檻を甲板の上に戻し、リアンは一瞬の躊躇のあと海の中に飛び込んだ。
あの生き物が泳げる生物なのかがわからない。もし泳げない種類のものだったら、溺れて死んでしまうのは寝覚めが悪い。
海の中に潜ると、そう時間はかからずに荒れる海流に揉まれている檻を見つけた。重りがついているせいかどんどん底に沈んでいく檻を追いかけて、水の中で羽ばたいた。空気を掻くよりはスピードは出ないが、飛竜とはいえ一応泳げる。
鎖の端を掴み、引っ張った。底に沈もうとしていた檻に手を伸ばして柵を掴んだとき、濁流のような荒い流れに襲われた。波に巻かれて檻を掴んだままぐるぐる身体が回る。クラーケンのせいなのか、ヴァルハルトが暴れているせいなのか知らないが、野蛮な海獣ども、いい加減にしろよと頭の中で口汚く罵った。
息を止めていたが少し苦しくなってくる。海竜は海の中でも呼吸ができるらしいが、飛竜であるリアンは当然できない。回転するうちに檻に繋がっていた鎖と重りが足に巻き付いた。竜の身体は頑丈だから鎖がキツく巻き付いたところでちぎれることはないが、重りのせいで海の底に沈んでいく。羽ばたいて泳ごうとしたが、潮の流れが荒すぎて押し戻された。
息が続かなくなってきた。もがいたが、足に巻き付いた鎖がとれない。
安直に海に飛び込むのではなかった。
そう思ったときにはもう苦しさを感じていた。何とか水を掻こうと翼を動かしたとき、抱えていた檻の中から、何か甲高い音が聞こえたような気がした。何の音だ、と思ったが頭が霞んできて上手く考えられない。
もう目が閉じてしまう、と思ったとき、濁流の先から何かが海を切り裂くような速さでこちらに向かってくるのが見えた。
暗い水の中で、焦った顔をしたヴァルハルトと目が合った気がした。
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