第9話 海竜と密輸船①

 会議はスムーズだった。


 最初こそ飛竜であるリアンが会議の場に姿を現すと部屋の中にいる海兵達からは鋭い視線が刺さったが、それはいつものことなので受け流した。リアンが淡々と来月の合同演習について空軍の演習項目を説明し始めると、部屋の空気は次第に落ち着いた。


 機関長室の一番奥に座っている海軍大将は、自分の名前をヴァルター・オーベルと名乗った後、全く話さなくなった。事前に寡黙な竜だと説明されていたが、本当に何も話さない。むすっとした顔で黙っている。空軍大将であるリアンの祖父も話す方ではないが、海竜でこんなに寡黙なのは多分珍しい。

 彼の竜印が強いということは、見た目でわかる。ヴァルハルトの祖父という年齢であるにも関わらず、母親である中将よりも少し年上くらいにしか見えない。見た限り海竜にしては真面目そうな顔をしているのに、番に逃げられたということはやはりこの大将にも海竜らしい奔放さがあったということだろうか。何も喋らないので、わざわざリアンの顔を見ようとした理由もわからなかった。


 ずっと黙っている海軍大将を眺めながら余計なことを考えてしまった自分の思考を正して、会議に集中しようと手元の資料に目を落としたとき、慌ただしく軍服を着た船員が部屋の中に駆け込んできた。


「会議中申し訳ありません! 巡洋艦からの緊急通信です! 密輸船を発見して追っていたところ、その船が今こちらに針路を取っているそうで」


 士官らしい船員の言葉を聞いて、部屋の中の空気が一瞬でピリついた。


「密輸船? どこの船だ」

「おそらく大陸のグートランドではないかと思われます。かなり速いそうで、追跡するうちにこちらに進路を変えたらしく」


 敬礼して答えた士官に、ヴァルハルトの母親であるヴィアラ中将は好戦的な笑みを浮かべた。母親であるとは思えないような妖艶な美貌を持った中将は、しかし軍人らしく大柄で女性にしては逞しい体つきをしている。アドルに海竜の雌は肉食、と評されるのがよくわかる意志の強そうな目に鋭い輝きをたたえていた。


「わざわざ軍艦まで来てくれるなんて、お行儀のいい密輸船じゃないか」

「しかしある程度の小回りが利くなら、海蛇を見つけたらまた逃げるのでは」


 海軍佐官の発言を中将は鼻で笑う。


「逃げるなら、燃料が尽きて弱るまで海蛇で追い回してもいい」


 本当に思考が肉食な中将に引き気味になった海軍の男性陣は、顔を見合わせて話し始めた。


「そんな回りくどいことをしなくとも、竜が誰か行けば一撃で沈められるでしょう」

「いや、密輸船が何を積んでいるかわからない以上、沈めるのはまずいだろう。物ならいいが、人間だったらどうする」

「じゃあ誰か行くか」

「ヴァルハルト、お前行ってきたらどうだ」

「はあ? 巡洋艦が出てるならそれでいいだろ。俺が行ったら船が沈んでも文句言うなよ」


 この場に何人竜がいるのかリアンには見ただけではわからないが、髪と目の色を見る限り、数人の将官と佐官は海竜らしい。階級は高くとも、ヴァルハルトは一族の中では若いからか気安く指名されている。

 厄介事を押しつけられそうになったヴァルハルトは眉間に皺を寄せて文句を言っていた。じゃあ誰が行くか、とざわざわしてきた部屋の中を見回して、リアンはすっと手を上げた。


「私が行きます」


 全員がリアンを見た。


「私は飛竜なので、数分あれば船に着きます。単身で空から行けば気づかれませんし、密輸団程度であれば一人で十分かと。会議の時間を割かれるのも面倒なので、速やかに殲滅してきます。巡洋艦が追いついたら明け渡して戻りますので」


 正直会議を終えて早く燕に帰りたかった。海竜の住処にいると思うと気が張ってしまい、気が安まらない。このまま揉めていては時間がかかる。海竜がわざわざ泳いで行くのも、巡洋艦が密輸船を捕まえるのを待つのも時間の無駄だと思った。


「いや、空軍少将の手を煩わせるような事案では」


 ヴィアラ中将が言いかけたとき、また部屋の扉から別の海兵が飛び込んできた。


「申し訳ありません! また緊急信号がありまして、密輸船の周囲に海獣が集まっているようです。巡洋艦が追いつく前に密輸船が沈む恐れがあります!」


 それを聞いて、中将が眉間に皺を寄せてため息をつく。


「全く、今日に限って問題ばかり起こるじゃないか。海獣は何だ。リヴァイアサンでも出たのか」

「クラーケンが数体集まっているようです」

「イカか。残念だが、美味くはないな」


 呟いた中将の横で、将官が首を傾げた。


「密輸船が海獣を惹きつけるような何かを積んでいるのではないか」

「その可能性もある。じゃあ、ヴァルハルト、行ってきなさい。海獣の相手はお前に任せる。密輸船が沈む前に駆逐してきなさい」


 上官である母親からそう指名されると、ヴァルハルトは首の後ろを掻きながら気怠げに立ち上がった。


「了解。最近海獣は狩ってねぇから退屈な会議よりは暇つぶしになるな」


 リアンも席から立ち上がった。


「私も行きます。密輸船が沈みそうになったら、翼で押さえましょう」


 本当に密輸船に人が乗っていたら、この野蛮な男のせいで船が沈み溺れさせる可能性がある。そう思って志願すると、ヴィアラ中将は一瞬迷うような顔をしたが、飛竜が行くのが適任と判断したのかリアンに軽く頭を下げた。


「ありがたいな。申し訳ないがよろしく頼むよ、グラディウス少将」

 



「ローレン、お前は残れ」


 甲板に出て、後ろについて来ていた副官にそう言うと、彼は心配そうな声を出しながら了承した。


「わかりました。お気をつけて」


 隣を歩いているヴァルハルトとほぼ一緒のスピードでデッキの端までたどり着き、錆止めが塗られた鉄の柵に飛び乗ったのもほとんど二人同時だった。泳ぐのに邪魔なのか靴を脱ぎ捨てているヴァルハルトを横目で見ながら、慌てて駆け寄ってきた士官が大振りの大剣を渡す様子に思わず声が出た。


「そんな大きさの剣を海の中で振り回せるのか」


 上着の上に素早くベルトを回して大剣を背負ったヴァルハルトがリアンをちらりと見て口角を上げる。


「まだ小せぇくらいだな。あんたこそそんな細っこいサーベルじゃ海獣の胴体にかすり傷しかつけらんねぇぞ」

「勘違いするな。私は密輸船を制圧しに行くのであってお前の手伝いをするのではない」


 眉間に皺を寄せながら、リアンは見えない翼を背中から出してバサリと広げた。馬鹿にされたような気がして癪に障ったので、もう一言付け加えておく。


「私の方が速いから、お前が来る前にクラーケンも全て駆除してもいいが、せいぜい慌てながら泳いでくるんだな」


 そう言うとすぐに横から不敵に笑う声が聞こえる。


「あんた海の中で海竜に勝てると思ってんのか。俺が密輸船を沈める方が速ぇよ」

「単細胞。沈めるな」


 呆れた顔でヴァルハルトに言い返した。

 好戦的な眼をした海竜をじろっと睨め付けて、リアンはそれ以上の返事は聞かずに柵を蹴って羽ばたいた。

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