第11話 海竜と密輸船③
「グラディウス!」
頭が割れるような大声で目が覚めた。
「グラディウス! 目ぇ開けろ!!」
恐ろしいまでの剣幕で怒鳴りつけてくる男の声を聞いて、リアンは眉をひそめた。
「……うるさい」
小さな声で文句を言ったら、頭上に感じていた張り詰めた空気が緩まった。
目を開けると、ヴァルハルトが自分の顔をのぞきこんでいる。顔を動かさずに目だけで周りを確認すると、さきほどの密輸船の甲板の上に横たわっていた。
目の前には、眉間に皺を寄せたヴァルハルトの青い眼がリアンを見下ろしている。濡れた蒼い髪から水滴がぽつぽつ落ちていた。
「あんた何してんだ。ヒポタラサを助けようとして海に落ちるなんて、バカなのか」
「お前にだけは言われたくない」
憮然とした顔でそう返して、上体を起こした。息が続かなくて目を回していただけで、特に身体に問題はない。鎖と檻もリアンと一緒に引き上げたのかすぐ隣に置いてあった。中をのぞき込むと、さっきの不思議な生き物は目を覚ましていた。蝙蝠のような薄い翼でぱたぱたと檻の中で羽ばたいて浮いている。くりんとした茶色の目がリアンを見つめた。海の中に落ちたのに、死んでいない。いたって平気そうだった。
「この生き物は何だ。ヒポタラサと言ったか。まさか、泳げるのか」
「ああ。泳げるな。こいつは海獣というより幻獣の仲間で、偶に大陸から密輸されてくる。鱗を煎じると美容に効く妙薬になるらしい」
「美容?」
思わずうろんな声が出たが、密輸されるということは需要があるということだ。呆れた気持ちしか感じなかったが、美容のために鱗を剥がれるこの生き物に同情心は湧いた。
しかし、泳げるならあんなに必死に檻を追う必要はなかった。いや、泳げはしても檻から出られず海の底に沈んでいたことを思うと助けてよかったのか、と思い直す。
「死ななかったなら、よかった」
そう言って檻の隙間に指を入れると、ヒポタラサはパタパタと寄ってきてちゅ、とリアンの指先に口をつけた。
思ったよりもかわいい、と思い自然と口元が緩むと、ヴァルハルトの方からため息を吐く気配がした。
「こいつの出した超音波に感謝するんだな。それに気づかなかったらあんたは今頃溺れて死んでた」
責めるような口調で告げられて、幻獣から目を離してヴァルハルトを見た。
あの高い音は、超音波だったのか。何か言っているような気はしたが、リアンには上手く聞き取れなかった。海竜は海の超音波に慣れているのか、あの濁流の中でヒポタラサの声を聞き分けて駆けつけてくれたということらしい。
いまだに眉間に皺が寄っているヴァルハルトの顔を見ると、討伐の最中に手を煩わせたことに間違いはないから少し反省した。
「手間をかけさせた、悪かったな」
素直に礼を言うのはしゃくに障るが、助けられておいて知らん顔するのは自分に腹が立つのでそう言うと、ヴァルハルトは意外そうな顔をした。それからにやりと口角を上げる。
「もう少し寝ててくれたら、あんたに濃厚な人工呼吸してやったんだけどな」
揶揄うような軽口を言う男を侮蔑の目で睨む。
「笑わせるな。お前のような粗野な竜に人工呼吸なんて高度な救命行為ができるはずがない。口を塞いで息の根を止めるの間違いだろう」
「……あんたのその嫌みな性格は、死にかけても直らないのか?」
呆れたような口調で言われて、ふん、と鼻を鳴らした。
ヴァルハルトから視線を外し、周囲をもう一度見回す。海は静かになっていた。船首の方が少し騒がしく、耳をすませると海兵達が合流したのか、話し声が風に乗って聞こえてくる。
「クラーケンはどうした」
「駆逐した。一体逃げられて放置したが、今巡洋艦が追いついたから問題ない。密輸団もあいつらが捕縛するだろう」
「そうか。では速やかに戻るぞ」
「は!? もう!?」
立ち上がって濡れた軍服の上着を脱いで軽く絞ると、ヴァルハルトが驚愕したような声を上げる。
「当たり前だろう。会議の途中だ」
「嘘だろ、あんた死にかけたんだぞ!?」
まだ甲板にしゃがんでいる海竜を見下ろして、リアンは眉をひそめた。何故そんなに驚いているのかわからないが、こいつは飛竜を舐めすぎだろう。
「死にかけてない。そんなに簡単に死ぬわけがないだろう。本当に危なかったら咆哮を使って海の水を割っていた」
そう答えて絞った上着をもう一度羽織ると、ヴァルハルトはぽかんとした顔になり、次の瞬間爆笑した。
「割る!? 海を? あんたの場合、マジでやりそうだから危ねぇよな」
その顔を見て思わず瞬きした。
この男が明るく笑い倒すのを初めて見た。普段の余裕のある不遜な顔が崩れて、野性味だけ残した少年みたいな笑みを目にして少し戸惑う。
こんなに笑われているのに嫌悪を感じていない自分の反応も不可解だった。リアンは内心で困惑しながらヴァルハルトから目をそらす。
「とにかく、戻るぞ。会議を終わらせてさっさと燕に戻る。濡れた軍服が気持ち悪い」
「俺んちの服着れば? 海軍の軍服だけど」
「死んでもごめんだ」
そう冷たく告げるとまた笑われる。
ヴァルハルトのにやついた顔を冷たく一瞥して、リアンは甲板から飛び立った。
調子が狂うというのは、こういうことを言うのか。
どうしてか、密輸船の上で目を覚ましてから、ヴァルハルトの挙動に普段のような苛立ちを感じない。
あの海竜の声を思い出す。あんなに必死な声で名前を呼ばれるなんて思ってもいなかった。天敵の飛竜が溺れかけているのを見たら、笑って眺めているだろうと思っていたのに、まさかクラーケンの討伐をほっぽり出してリアンを助けに来るとは。自分のことしか考えない、他人のことなどおかまいなしの身勝手な奴だと思っていたのに、助けられてしまったら少し調子が狂う。
もしかしたら自分がそう感じるきっかけは、やはりあの夜のせいなのかもしれない。力強くリアンを揺さぶりながら、鋭い眼差しで自分を射貫いてきたヴァルハルトの青い瞳をいまだに頭の中から消しきれない。
思い出すなと言っておいて、いつまでも忘れることができない自分はおかしい。
そうもやもやと胸の中にわだかまる感情を吹き飛ばしてしまいたくて、リアンは風を切るスピードを上げた。
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