第四話 静止する天秤
お婆さんの作ったきび団子に餅。
お爺さんの家系に遥か昔より伝わる製法を用いて作られた特別な逸品である。
桃太郎は犬、猿、雉にきび団子を与え、お供にした。そして自らもきび団子を食べ、得た強大な力で鬼を倒した。既知の事実であろう。
その力の源はあらゆる生物の身体に流れる未知の力、「魔力」である。きび団子や餅は、魔力を最大限に引き出すための「器」であり、魔力を注ぎ込まれることではじめて効力を得る。桃太郎やお爺さんの持つ人並外れた強力な魔力は、器と驚異的な反応を起こし、二つのことを可能にした。
一つは使役化。
自分以外の者にこれを食べさせた時、「食べさせた側」と「食べた側」の二者のうち、より強い魔力を持つ方が、もう片方を従えることができる、という力だ。とは言っても、拘束力はそこまで強くはなく、絶対服従。という訳にはいかない。長縄大会の練習にクラスメイトが付き合ってくれる、その程度の拘束力である。桃太郎やお爺さんはこの力で、獣を使役する力を得た。
二つ目は魔力による身体能力の向上。
自分でこれを食べた時に発動する、至って単純な効果だ。筋力走力跳躍力。瞬発力に持久力。魔力の強さに比例して肉体を強化できる。桃太郎が鬼を倒せたのは、この力があったからだ。
「やっぱり信じられないや。二人は悪人じゃない。君たちのことを疑ってるわけじゃないんだ。僕が、信じたくないだけ。」
お供たちの説得も空しく、太郎は首を横に振った。
お供たちは困り果ててしまった。どうしたら彼を説得できるのか。三人寄れば文殊の知恵。導き出された答えは「万事休す」だ。
突然、八月の青空が真っ黒に染まった。辺りが影に染まる。
一人と三匹は空を見上げた。空を染めたのは、雲ではない。カラスだ。それも、何百匹ものカラスの群れ。
皆、太郎を見て鳴き声をあげている。カラスの声に耳を傾け、太郎が言った。
「僕を探してるんだ。お爺さんの遣いで。」
お供たちは何度も何度も頷いた。状況は最悪だが、これで太郎が自分たちの言葉を信じてくれる。
「お爺さん、心配してるんだ。ほら、皆、帰るよ。」
全身の力が抜けていく。お供たちは説得を諦めることにした。
…いや、しようとした。
獣の勘は鋭い。自分たちのもとへ近づいてくる足音を、誰よりも早く感じ取った。木々が揺れている。地面が揺れている。意志疎通を図る必要もなかった。三匹はカラスを見上げて案山子の様に突っ立っている太郎を車に乗せ、一目散に走り出した。
「ちょっと。待ってよ。帰らなくちゃ。お爺さんとお婆さんが、、、、え、待って、、あれ、、、、、、」
太郎もやって来る影に気がついたようだ。
次の瞬間、地面を揺るがすその大きな影は地面を踏みしめ、大きく跳び上がり、
……太郎を乗せた車の目の前に着地した。
地面に大きな衝撃が走る。空気がビリビリと揺れている。お供たちはその歩みを止め、間一髪で車との衝突を避けた。主に怪我はないようだ。良かった。
……鹿だ。それも、とびっきり大きな。
角は木みたいに大きくて、体は雪のように真っ白。井戸の奥みたいに真っ黒な目をしている。
「太郎。探したぞ。」
低く乾いた声が響いた。どこか、聞き覚えのある懐かしい声。思い出した。お爺さんの声だ。
「家へ帰ろう。婆さんも待っている。」
お爺さんが鹿の背中からひょいと飛び降り、太郎の方へ手を伸ばす。
太郎は、その手を握ろうとして、、、思い止まった。
「どうした、太郎。」
笑いながらお爺さんが歩み寄ってくる。その目はこの世界の何よりも真っ暗で、何だか、怖かった。
「僕を家に連れていってどうするの。」
太郎の瞳が小さく震えている。
「婆さんが餅を焼いたんじゃ。冷める前に食べようじゃあないか。何なら、今、儂の越しキンチャクに三つほど入っておるぞ。」
腰の辺りをごそごそとやって、お爺さんが餅を取り出した。
「ほら、食べぬか。」
太郎の裾の辺りを、お供たちが引っ張る。
「いいや。僕お腹いっぱい。」
太郎は大袈裟にお腹をさすってみせた。
お供たちの言ってることは嘘じゃないのかもしれない。今日のお爺さん、何だか、変だ。誘いにのってはいけない気がする。頭を働かせろ。
とりあえず、今はここを離れよう。
太郎はそう結論付けた。
「鹿さんたちもご苦労様だよね。わざわざ僕のために走ってきてくれて、ありがとう。」
差し伸ばされていたお爺さんの手からひょいと餅を手に取ると、大鹿の口もとにそれを運ぶ。
「待て、太郎、何をする。」
お爺さんの制止も虚しく、鹿は大きな口を開けて餅を頬張った。
「行くよ!」
太郎が叫び、鹿に飛び乗る。犬と猿も鹿の背中にしがみつく。雉は大きな角のてっぺんに止まった。
突風が吹き荒れ、一瞬にして彼らの姿が消えた。
「鹿まで味方につけおった。あの子の魔力は想像以上かもしれん。」
お爺さんがぽつんと呟く。目は虚ろだ。まだ現実を受け止めきれていないらしい。
「儂は戻って準備を整える。お前たちは太郎を追え。」
お爺さんは静かにカラスに命じるとくるりと後ろを振り返った。彼が帰る術を失ったことに気づくのは、もう少し後のお話。
突風の通り道をなぞるように、何も知らない風八月の風が、ぴゅうと吹き抜けていった。
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