第三話 二人の獣つかい

夏の朝は早い。老人の朝も早い。お爺さんとお婆さんは、宵闇の中に影が生まれる頃、静かに目を覚まし、庭に出ると、七輪に炭をくべ始めた。うちわでパタパタとやると、火種はぽっと輝度を増し、滲むように炭を包み込む。やがて大きな炎となり、七輪からは温かな光がこぼれた。網の上に餅を並べるお婆さんの手には、数珠が一つとお札が一枚。何やらぶつぶつと唱えた後、お札を火の中に投げ入れる。しばらく経つと餅のその固い表面から、柔らかな中身が顔を出した。


「爺さんや、餅が焼けましたよ。」

山の稜線から、朝日が覗く。鶏の声が村中に響き渡った。


「太郎がいない。太郎がいない。」

刹那、一旦家に戻っていたお爺さんが叫びながら飛び出してくる。その顔は未だかつてない程蒼白い。


「幽霊みたいなお爺さん。」

お婆さんは危うく、そう口に出してしまうところだった。冗談じゃない。首を横に振り頭をコツンと叩く。


「太郎が、いない?」

お婆さんの心がその言葉の意味を受け入れるには、しばらく時間がかかった。




何とも形容し難い心地のよい揺れで、太郎は目を覚ました。

「果て。」

視界いっぱいに空が広がっている。どこかで鶏の鳴く声がする。きっと、朝なのだ。

身体を起こす。お供の犬と、猿が自分を乗せた車を引いている。太郎が目を覚ましたのに気づいた雉が、彼の頭に止まった。車は山道に差し掛かる。


「どうしたんだい皆。どうして僕を運ぶんだい。」

慌てた声で太郎が尋ねる。犬と猿も、太郎の目覚めに気づいたようだ。二匹は車を引くのを止め、太郎に車から降りるよう促した。


太郎はお供たちの言葉が分かる。

きび団子の力だ。


「また冒険がしたくなった?どうしてだい。もうこりごりだ、って皆言ってたじゃないか。」

猿の顔を見つめながら、太郎が言う。

作戦失敗。猿は困ったように太郎から目をそらした。


「家へ帰ろう。お爺さんもお婆さんも心配する。」

太郎は来た道を引き返そうとした。


三匹のお供は、顔を寄せ合い、何やらこそこそと話し合っている。


「僕は皆のことを信じてる。君たちは嘘をつかない。ねえ、僕に教えてくれないか。きっと何か、理由があるんだろう?」


三匹は困ったように互いに視線を交わした。深く息を吐き、まっすぐな視線を太郎に向ける。





「ええ、お爺さんとお婆さんが、僕を。嘘だいそんなの。あの二人は心の底から優しいんだ。確かに、君たちが二人と会うのは昨日が初めてだったけど、皆のために、とびっきりの料理を振る舞ってくれたじゃないか。」


驚き呆れたように太郎は言った。心なしか、いつもより強い口調だ。


「何てったって二人がそんなことを。」


三匹はまた、顔を見合わせる。説得にはなかなか時間がかかりそうだ。





「婆さんや、餅は焼けたかの。」

「ええ、綺麗に焼き上がりましたよ。」

お婆さんは腰巾着に餅を詰めると、お爺さんに手渡した。


「早く太郎を見つけなければ。」

お爺さんがぴゅうと指笛を鳴らす。

鷹が十羽ほど、西の空から甲高い声をあげて飛んでくる。

北の空からはカラスの大群。悠に百羽は越えているであろう。


「力を貸しておくれ。空から太郎を見つけて欲しいのじゃ。」


鳥たちは大きく羽を広げ、勇ましく四方八方へと飛び去っていった。


さらにお爺さんは懐から角笛を一つ取り出すと、空に向かって、思いっきり吹き鳴らした。音の波は次々にこだまし、ぶつかり合い、やがて一つの和音になった。


お爺さんの前に現れたのは、一匹の白い大鹿だ。

体長は四メートルほどであろうか。角は大木のように広がり、その瞳は吸い込まれそうなほどに黒く、澄んでいる。人々は彼の姿に魅せられ、彼をこう呼んだ。

「山の王」と。


「老いぼれ同士、力を合わせるぞ。」

お爺さんは大鹿に跨がった。

「太郎を見つけなければ。」

大鹿は二、三度地面を搔くと、地を揺るがすその足音を響かせながら風のような速さで走り出した。

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