第二話 英雄の帰還

桃太郎が鬼退治に出発してから十日ほど経っただろうか。お爺さんとお婆さんは臼から取り出した餅を食べやすい大きさに切っているところだった。


「爺さんや、何やら外が賑やかではありませんか?」

餅に付いた粉をヘラで剥がしながら、お婆さんが言った。

「言われてみれば、確かに。」

何やら雄叫びのようなものが聞こえる。遠くなった、二人の耳にも。確かに。


二人は外に出てみた。

村中の人々が何やら叫びながら家から飛び出していく。お爺さんとお婆さんの姿に気付き、駆け寄ってくる者もある。


「どうしたんですか。この騒ぎ。」

目をパチパチさせながら、お婆さんが尋ねる。


「お宅の太郎さんが帰ってきたんですよ!!鬼を退治して、金銀財宝を載せた車を引いて!村中大騒ぎです!」

問われた女は、そう答えるなり群衆の中へと飛び込んでいった。


彼らの雄叫びは、地をも揺るがし、何度も山にぶつかりながら響き、空へと消えていった。


「何。太郎が…」

お爺さんの声は震えている。

「よかった。よかった。」

涙を拭き拭き、お婆さんは何度もそう繰り返した。



「太郎が帰ってきたぞーーー!!!!」

村の人口は約二百人。皆が集まり歓声をあげる。注目の先には、一人の少年と犬、猿、雉。十歳にも満たない少年は、あちこちに傷を負ってはいるものの、一歩一歩、勇ましく地面を踏みしめている。


「お爺さん、お婆さん。」

止まない歓声を掻き分け、太郎が駆け寄ってきた。


お婆さんは涙を流しながら太郎を抱き締め、思いつく限りの褒め言葉を並べた。

「よく頑張ったねえ。怖くなかったかい?船は揺れたろう。」

「大丈夫だよ。お婆さん。もうこれで鬼は来ないんだ。奪われた金銀財宝だって帰ってきた。なにも心配はいらないよ。」

笑いながら、太郎が慰める。


「太郎、よく帰ってきたな。」

太郎の頭を撫でながらお爺さんが言う。

「鬼ヶ島の鬼を皆倒したのか?」

「うん。」

「お前さんはなかなか剣術の腕があるようじゃのう。」

「僕だけの力じゃないよ。お婆さんにもらったきび団子のお陰で、頼もしい仲間も増えたんだ。」


犬、猿、雉の三匹が彼のまわりに集まってくる。

「みんなで一緒に、鬼を倒したんだ。」

鼻高々に太郎が言った。


八月の風は冷たく、火照った少年の頬を冷まし、彼にありったけの祝福を送った。



その日の夜は村中を巻き込んだ大きな宴が行われた。鬼の襲撃がなくなったこと、村に若き英雄が誕生したこと。酒を呑み交わし、皆が村の平和を祝福しあった。


若き英雄は、疲れたのであろう、皆より先に家に帰り、布団に飛び込むなりそのまま眠りに落ちてしまった。犬と猿と雉も、彼の横で小さく寝息をかいている。


「久々に安心して眠れるんです。そっとしておいてあげましょう。」

お爺さんにそう告げて、お婆さんは襖を閉めた。



「婆さんや。」

重々しくお爺さんが口を開く。


「ええ、分かっています。」


「早いに越したことはない。明朝、餅を焼こう。」


「いささか、早すぎではありませんか。」

やけに襟元を気にしながら、お婆さんが尋ねた。


「いや、この十日で太郎は三匹の獣を従えた。あのきび団子に、細工をしてはいないじゃろうな。」


「していませんよ。きび団子は器に過ぎません。獣を従えたのは、すべて太郎の力です。」




「だからなのじゃ。」

お爺さんの声が静寂を破る。


「あの若さで、獣を三匹。太郎に気付かれてからでは遅いのじゃ。己の持つ人間離れした魔の力の強さを。」


「儂と同じ道は歩ません。太郎が気付く前に、討つ。それが太郎にとっても幸せなのではなかろうか。」


お爺さんの声はいつもにも増して低く、空気を震わせるような迫力があった。






襖の向こうで、三匹の獣が低く、低く唸り声をあげていた。

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