第12話 それぞれの地獄
「この世の全てを呪ってやる」
「まぁまぁ、気持ちはわかるけどとりあえず落ち着きなさいって」
今日は玲ちゃんと『天神の愛娘』の劇場版を観に、近所の映画館が併設されたショッピングモールへ来ていた。
映画が終わった後で「花恋男子」の次回公演の当落メールが来ていたことに気づいたのだが、見事全部落選していた。私が何したって言うんだ。
今はフードコートで各々頼んだ食事を前にしている。お昼時の混んでいる時間帯に、すんなりと四人がけのテーブルをゲットできてラッキーと思っていたが、今や気分はどん底。
とてもごはんを食べれるような気分じゃなくてハンバーガーとポテトがどんどん冷めていっている。玲ちゃんはうどんということでさっさと食べ始めている。玲ちゃんもエントリーして全落ちだったが、今回の舞台は推しが出ないのでケロリとしている。薄情な奴め。
「厳正なる抽選の結果ってなんなんだ。本当に厳正に抽選したのか」
「早くごはん食べな。美味しくなくなるよ」
ブツブツと文句を言う私に玲ちゃんがもっともなことを言う。もう少しクダを巻いておきたかったが、玲ちゃんの言うことが正しいので渋々ポテトを口にする。もうヘニャヘニャになっていた。悲しい。
舞台のチケットに落選したことも、ポテトがヘニャヘニャなことも、何もかもが悲しかった。
「あれ? 永田さん?」
ヘニャヘニャポテトをモソモソと食べていると、不意に名前を呼ばれて振り返った。結婚してそろそろ半年経つが、そろそろ「永田」と言う苗字で呼ばれても辛うじて返事ができるようになって来た。
「山田さん!」
びっくりして口に運ぼうとしていたヘニャヘニャポテトを落としてしまった。向こうもお友達と一緒のようで、スレンダーな黒髪のショートカットの女性がきょとんとした表情でこちらを観ていた。
「お久しぶりです。先日は夫がすみませんでした」
「いえいえ! こちらこそ長々と引き留めてしまってすみませんでした」
梨花さん達も映画を観に来て、私たちと同じようにフードコートでごはんを食べに来たらしい。あいかわらず人でごった返していて他に空いている席もなさそうなので、相席しようということになった。
それぞれ簡単に自己紹介をする。梨花さんのお友達の
「顔面サーブとかあんたやっぱり持ってるわねぇ」
「そんなもん持ってたくない。欲しいのは良席を当てる運と推しを引ける運だけだ」
「いやいやいや、芸人なら喉から手が出るほど欲しい神様からのギフトじゃん。だっ、大事にしなよ」
私と梨花さんが会った日に起きた顔面サーブ事故の話をしたら、玲ちゃんが感心したようにつぶやいた。最後の方笑ってるの分かってるんだからね。
「先輩の奥さん、に、顔面サーブを決める朝日くんも相変わらずよね……ふふっ」
百合子さんは山田とも面識があるようで、顔面サーブ事故の顛末を聞いてから息も絶え絶えに笑っている。普通は社会的に死んでるわな。相手が私で本当によかったな山田、と心の中で山田に恩を売っておく。
大抵のオタクは警戒心が強いのだが、同じ志し(?)を持つ人というだけで簡単に心を開いてしまう。梨花さんと百合子さんも『天神の愛娘』を観に来ていたようで、時間は同じだが私たちとは別のシアターで観ていたらしい。
みんなオタクなので映画の感想を言い出したら止まらず、混んでいるフードコートで長時間居座るのは心苦しいので場所を一階の人が少なそうなカフェに変えた。
「いや、最初は、『続きは劇場版で』って言われて正直『はぁ!?』ってなりましたよ? でも、あのクライマックスの結婚式のシーンはどう頑張ってもテレビでは無理! 製作陣も私みたいなファンの批判も想定していたと思うんですよ。それでも最高の形で作品の最終話を作り上げるために批判を甘んじて受け、最終話を劇場版で、って判断した方々に謝罪と拍手を贈りたい……!」
「分かります玲さん……!! 私も劇場版を作るのは賛成なんですけど、アニメはアニメで終わらせて欲しくって! 劇場版でアニメの続きするとか制作側がファン心理を逆手に取って金儲けしたいとしか思ってるとしか思えなくて! でも!! あの結婚式の神々しさときたら……!! もう宗教画の域ですよ!! いっそのこと国宝にしましょう!! 作画スタッフの皆様ありがとうございます!!」
作品の大ファンである玲ちゃんと梨花さんがマシンガンのごとく語り、ものすごい勢いで意気投合している。頼んだアイスなんてそっちのけで盛り上がっているので、二人のアイスは器の中ででろでろに溶けている。
今回の劇場版は原作における最終回で、アニメの最終回では綺麗に終わらず、劇場版に持ち越されることが発表された。
放送中、作品の評価が高かったこともあってSNSは大荒れ。劇場版で完結させることへの批判が大半を占めていたが、今日劇場版を見て思わず私もうなった。
場合にもよるが大体アニメ版と劇場版では劇場版の方が出来が良いことが多い。今回はまさしくそのパターンで、原作の方でも評価の高かった最終回を渾身の力で描き切った。
あれをアニメ版でするのは納期や予算の関係で無理があるだろうし、何より映画館という大画面と音響の環境だからこそ感動が倍以上だったとも思う。
もちろん私も劇場版で完結というお知らせを見てもやっとした一人である。
だが、そんな私でも胸にグッと来るものがあったので、劇場版になることで複雑な気持ちを抱いたファンの感情は推して知るべし。
玲ちゃんと梨花さんはよっぽど感動したらしく、うっすら涙を浮かべていた。
「……これお酒じゃないですよね?」
「スイッチ入った時はシラフでもこんな感じなんです」
思わずお冷を確認してしまった私に百合子さんが苦笑する。
いや、オタクという生き物は大体早口マシンガントークを装備している。私だってそうだし、一見クールな玲ちゃんだってそうだ。
梨花さんとは頻繁にメッセージのやりとりをしていて、この間の落ち着いた印象とは裏腹にオタクらしい人なんだなぁとはぼんやり思っていたが、オタクらしさを目の当たりにするとギャップで風邪引きそう。
「でも、あの結婚式のシーンは私でも感動しちゃって、思わず泣いちゃいました。結婚式で泣くなんて梨花の結婚式以来ですよ」
聞けば山田と梨花さん、百合子さんは高校時代の同級生らしい。山田と梨花さんは高校生の時から付き合っていたらしく、去年めでたく結婚されたのだとか。
「大好きな人と結婚できてよかったね、って気持ちと、ついに朝日くんのものになっちゃうのかぁっていうさみしさで感情がごちゃごちゃになっちゃって。まぁポッと出の男じゃなくて、昔からよく知ってる朝日くんで本当よかったですけど」
「ああー、その気持ち、すんごく良く分かります。ずっと近くで恋に迷う姿も見守って来たもんだから、ポジション的には娘を嫁に出す父親の気分に近いですよね」
どちらかというと家族愛に近い。多分新婦の父親と良い酒が飲める気がする。玲ちゃんが結婚する時にはぜひ玲ちゃんの父上と盃を交わしたい。
「最近は猫かぶってることが多いから余計にアクセル踏んじゃうみたいです」
そこのことに関しては心当たりがあるような無いような。
「結婚してから色々と大変みたいで、ちょっと大丈夫かなって心配してたときに新しいオタク友達ができたって楽しそうに話してくれてホッとしました」
それはもしかしてもしなくても私のことだろうか。嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったい気持ちになって、誤魔化すようにお冷に口をつける。
社会人になってから思わぬところで出会った同志は、例えるなら日本から遠く離れた地で日本人と出会ったような安心感がある。
「確かに、結婚前言われていた嫌なことは言われなくなりましたけど、別の事は言われますねぇ。手を変え品を変えというか。歳とる前に子供作らないとねとか年配の方はニコニコと平然として言ってくるのでいつもうまく反論できないんですよねぇ。表面上はニコニコして言うから失礼なことを言われているって気づけなくって。後であんのクソババァ……! ってなりますけど」
私の歯に絹着せぬ物言いに百合子さんがブッと吹き出した。
結婚しないの、は結婚したら聞かれなくなる。それは当たり前だが、次は「お子さんは?」である。私と晴久はその部分はどうしようもない部分なので言われても「はぁ」としか言えないが、悩んでいるご夫婦にとっては辛いだろう。
「私も『そろそろ結婚しないと売れ残っちゃうわよ』とか言われるのが面倒で結婚したいなぁって思う事はあるんですが、結局結婚しても悩みの内容が変わるだけで悩みは消えないんだなぁって思うと、この人こそ! って思える人じゃないと結婚はちょっと、って思うんですよね」
私はまさしくそれで結婚しましたとは流石に言えない。
「梨花は朝日くんと結婚できてよかったなぁって思って。いや、二人にしか分からない悩みとかもあると思うんですけど、お互いがお互いを信頼しあって支え合ってる感じがいいなぁって」
嬉しそうに微笑む百合子さんになぜか私が「尊……」と胸を押さえる羽目になった。
「絶対ありえないですけど、推しの顔をした男がきたら考えてやらんこともないって思いません?」
「分かりますー!! 絶対無理ですけど!! 死んじゃう!!」
図らずも同志がいて(推しと結婚したいかどうかは宗派による)百合子さんと二人で固く握手を交わす。
「でも、永田さんのご主人もすんごいイケメンって聞いてますけど」
「いや、うちは腐れ縁って感じなんで愛とか恋はないです」
限りなく事実に近いことを言っているのだが、百合子さんは照れだと思ったようで「またまたぁ」と苦笑を浮かべて突っ込む。
「ちょっとちょっと、何面白そうな話してんの」
映画の感想で盛り上がっていた玲ちゃんと梨花さんも話題に参戦してくる。
「人間生きていく上でいつも地獄と隣り合わせだねって話とときめきで死ぬから推しとは結婚できないねって話」
私のよくまとめたつもりの言葉に三人が揃って吹き出した。
「私は推しと結婚できるなら結婚したいけどなぁ」
「梨花、あんたそれ朝日くんが聞いたら泣くわよ」
「……朝日くんがこの女優さんスッゲーかわいい! って言ってたから、もしその人に告白されたらその人と結婚していいよって言ったら泣かれた」
山田家の日常にみんなで笑ってしまった。
「私も結婚する時『彼氏いるのになんで結婚しないの?』『早く結婚しなさい』の圧力から逃れられるーって思ったけど、人生そう甘くはない。次は『早く子供産みなさい』だし。こっちは不妊治療してるのに本当デリカシーない」
さらりと言われた言葉に思わずギョッとしてしまった。もしかしてさっき百合子さんが言っていた「色々と大変」というのはこのことなのだろうか。
「早く子供産みなさいって言う割に産休育休とかの人の仕事を『子供いないから残業できるでしょ』って平然と渡されるのにもなんだかなぁってなります。私が病院に行きたいって言っても他の子持ちの人がお子さんが体調崩したってなると私の方に『体調悪いとかじゃないなら別の日にできない?』って。助け合うことは大切ですけど、これは助け合いじゃなくて誰かが代わりに犠牲になってるだけじゃないかなぁって」
時と場合による、とか言われるんだろうけど、自分の言ったことには責任を持って欲しいと思ってしまう。
職場で残業しなければいけない時は大体独身か子供いない人だけで残業する。お子さんがいる人は旦那さんやおじいちゃんおばあちゃんがが面倒を見てくれる時は残業するが、大体は謝りながら帰っていく。
私にも梨花さんと同じようなことに遭ったことがあるので気持ちはよく分かる。昔バイトでミスした張本人が子供のお迎えがあるので残業できず、その他のメンバーで残業した時はなんとも言えない気持ちになった。仕方ないことだってことは分かる。
仕事の穴埋めは究極を言えば誰にでもできる。でも、子供にとってのお父さんお母さんは誰にでもできることじゃない。
「あー、それ分かります。子供を産んだり育てたりすることも大変なのが分かるからいいんですけど、こっちにだって事情があるんだぞって思います。でも言いづらいですよね。それを言っちゃうとどうしても相手を責めてる感じになっちゃうし、こっちが自己中みたいになっちゃうから。決して相手を責めたいわけじゃないんですよ。だから余計私の性格が悪いだけか? ってモヤモヤしちゃう」
玲ちゃんの意見にうんうんとみんなで頷く。この歳になってくるとどうしようもない問題が多くて本当嫌になる。
「あー、二次元でひたすら推しを眺められるモブになりたい。こんな浮世とはオサラバしたい」
現実の問題を考えることがしんどく面倒になってき私はお得意の現実逃避を始める。たオタクはいつでも避難できる場所があってありがたい。
「私は絶対推しとラブラブしたいです」
「でもモブになるにしたってラブラブするにしたって行く世界考えないとまた地獄じゃない?」
「確かに。いくら推しの顔が良くても殺生がある世界は無理かなぁ。推しの顔見て死ぬ前に物理的に死んじゃいそう。ほら、一話の冒頭で世界がどんなに荒廃してるか表現するために転がされてる死体とかに抜擢されそう。推しと会う前に地獄に落ちてそう」
私のつぶやきに他の三人が自身の見解と妄想を付け加えて行く。
結局夕方近くまでどんな世界に行ってどんなポジションで生きるのが一番幸せになれるのかについてあーでもないこーでもないと話し込み、近所の居酒屋に河岸を変え、酒が入ったことで玲ちゃんと梨花さんがさらにヒートアップ。結局山田に梨花さんの迎えを頼む事態となってしまった。
「本当ご迷惑おかけしてすんません!」
居酒屋に迎えにきた山田は平謝りしながらぐでんぐでんに酔っ払って寝落ちしている梨花さんをおんぶしている。
「こちらこそ夜遅くまで奥さんお借りした挙句、すごい酔っ払わせてしまって……」
「いえいえ! こいつなんか色々あったみたいで最近いつも難しそうな顔してたんで、むしろ助かりました。こんな楽しそうな顔、久しぶりに見ました」
苦笑しながら背負った奥さんの顔を見つめる山田。ああ、百合子さんが言っていたことがよく分かる。確かにこのカップルはずっと見守って幸せになって欲しいカップルだ。
「俺バカだから話聞いてもイマイチ理解してやれなくて。皆さんとのお話が楽しくて嬉しくてついつい飲みすぎちゃったんだと思います。これに懲りずにこれからも遊んでやってください。百合ちゃんもいつもありがとう」
山田はペコペコと頭を下げながら帰って行った。
「……透子」
「はい」
「私、現実のカップリングでこんなに萌えたの初めて」
「分かる」
「百合子さんあんな尊いカップルを十年至近距離で眺めてたの!? 羨ましすぎるんですけど!?」
「えへへー」
とりあえず萌えを提供してくれた礼として、今日だけは山田に顔面レシーブを決められたことを許してやろうと思った。
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