第9話 追加キャスト




 今日の天気予報は午後から雨だった。

 でも降水確率が五十パーセントだったし、朝の時点では曇っているが雨が降りそうな感じじゃなかった。雨が降らなかったら傘をどこかに忘れそうだと思ったので、降らないに賭けて出勤した。

 結果は小雨というなんとも言えないもの。

 最初の数分は特に気にならないけれど、時間が経つにつれてやっぱり傘無しはキツイなとか思い出すヤツだ。

 昔なら強行突破で帰って行ったところだが、三十路を目前に控えた今は風邪を引くと非常に長引く。

 本格的な雨ならまだすんなり買えたものを、止むか止まないか微妙な雨で傘を買うのはなんだか納得できない。自分の判断ミスが原因なのは十分承知しているが、それでも癪なのだ。

 しかし明日の自分の健康には変えがたいので、大人しく最寄りのコンビニに寄ってビニール傘を買った。

 幸か不幸か雨が本降りになる前に家に着くことができた。

 はーやれやれと思いながら荷物を片付け、夕飯の準備に取り掛かる。今日は雨が降って気分もなんだかだるいので野菜炒めと味噌汁で簡単に済ませることに決めた。

 雨はいよいよ本降りになって来ていて、部屋の中にいても雨音がバラバラと聞こえてくる。

 料理を始める前に玲ちゃんに貸してもらった最近のイチオシアニメ「天神の愛娘」の円盤を再生する。

 冷蔵庫にあった野菜と肉を炒め、焼肉のたれを絡めて野菜炒めが完成した。フライパンから皿に移していたところで玄関の扉が開く音がした。どうやら晴久が帰って来たらしい。

「ただいま」

「おかえ、りー」

 野菜炒めを皿に盛り付け切って顔を上げると、いつものスーツ姿の晴久が立っていたのだが、少々様子がおかしい。

 スーツの上着のお腹の部分がポッコリと膨らんでいるのだ。

「えっと、それ突っ込んだ方がいいの?」

「できれば」

 苦笑しながら晴久が下っ腹を支えながらボタンを一つ外すと、ものすごく不機嫌そうな顔をしたびしょぬれの茶トラの猫が出て来た。普通の猫よりも体が大きく、晴久のスーツがはちきれそうになっている。

「……どうしたのそれ」

「いやぁ、たまに帰り道に会ってなでさせてもらってたんだけどさ、今日は雨の中うずくまって動かないから心配になってつれて来たんだが……」

 猫を晴久が床に下ろす。確かに不機嫌そうな顔をしたままその場から動こうとしない。 

 それにしても太っているわけではないのだが、体がでかい。野良にしては毛艶が良すぎる気もする。痩せすぎているというわけではなく程よくお肉もついているようだし。

「この子飼い猫じゃないの?」

「俺もそう思ったんだが、首輪してないしなぁ。人に無頓着というか撫でられても気にしないからいろんな人がかわいがっててさ。それで食べ物もよくもらってるっぽい」

「なるほど」

 誰にでもなでさせるから誰にでも可愛がられる地域猫になり、決まった飼い主がいなくてもそれなりに生きていけるのだろう。まるでフリーランスだな。

「とりあえず元気なさそうだし、元気になったら飼い主さん探したらいいかなって」

「それもそうか」

 馴染みの(?)お猫様に何かあったらそりゃあ辛いだろう。

「とりあえず動物病院連れて行く? なんか病気だったら大変だし」

「そうだな」

 昔犬なら飼ったことはあるが、猫は初めてだ。晴久も確か犬なら飼ったことがあったと言っていた気がする。

 スマホで「猫」「保護したら」と検索したら、何をするべきか分かりやすく書かれていた。今時大抵のことはスマホで調べれば答えが見つかるので、今日のように急を要する時は本当にありがたい。

 ネットにもまずは病院に連れて行くことが最優先と書かれていたので、次は近所でまだやっている動物病院を検索する。

 私が調べ物をしている間、晴久は猫ちゃんをバスタオルにくるんであっためてやっていた。猫はずっと微動だにせずその場でまんじゅうのようになって沈黙しており、晴久になされるがままになっている。

 彼(多分オスだと思う)を初めて見る私にはこの様子がデフォルトなのか分かりかねるが、あまりにも身動きを取らないのでやはり元気がないのだろう。

 ネットで見つけた近所で評判の良さそうな動物病院に、とりあえず電話をかけてみた。

 こちらの経緯を説明すると、あちらはこういった状況に慣れているのか落ち着いた声音で色々と教えてくれる。

 病院に連れてくる時は猫本人のためにも、他の動物のためにもケージに入れるのがマナーだそうだ。そりゃあ脱走したり喧嘩したりしちゃうもんな、と思いながらメモを取る。

 ケージなんてもちろんないことも動物病院の受付さんも分かっていらっしゃるので、代用品としてダンボールに入れてあげるといいですよと教えてくれた。

 猫の体が入ってもスペースにゆとりがあるダンボールを用意し、湯たんぽかカイロを入れて布やクッションで熱が逃げないように体を温めてやると良いと言われたので自分の部屋にダンボールを取りに行く。

 運よくこの間利用した通販で大きなダンボールが送られてきていた。その中に薄手の毛布をひいて、私が愛用している湯たんぽをタオルにくるんで入れてやる。

 猫をそっとダンボールの中に入れて、できる限り揺らさないように晴久が持ち上げる。

 車の後部座席に猫が入ったダンボールを乗せ、揺れないように押さえておくためその隣に乗り込む。

 そういえばバタバタしてて夕飯の野菜炒めにラップかけてくるのを忘れたことを思い出した。ちょっとカピカピになるかもしれないが、猫の健康には変えられない。

 近所の動物病院は診療時間も終わりが近いこともあってか、他の患者さんはまばらだった。先に電話していたおかげで受付もスムーズにできた。

「ちょっと弱っていますが、栄養のあるものを食べさせてあげれば元気になると思いますよ。砂糖水か、食べれそうならウェットフードをあげてみて様子を見ていきましょうか。もし何かあればまたご連絡ください」

 獣医さんはキリッとしたポニーテール美人で、最初はとっつきにくそうだなと思ったが、ハキハキニコニコと診察してくれて非常に好感が持てた。ネットの評判が良いのも伊達じゃない。

 猫と暮らすのが初めてだと言えばすぐにそろえておくべきものをリストアップしてくれて、この時間でも開いていて品揃えが豊富な近所のホームセンターを教えてくれた。

 獣医さんとスタッフの方達にお礼を言って病院を後にし、私と猫を家に送り届けた後、晴久はホームセンターへと車を走らせた。

 大荷物と一緒に晴久が帰ってきて、二人で協力してケージを組み立てて猫用のトイレを設置する。猫用ベッドに寝かせて餌入れに動物病院で買ったウェットフードを入れてやると、ベッドからのそのそと起き出してゆっくりとだが食べ始めた。

 やるべきことすべてを終えたらもう九時になっており、流石にお腹がぐうぐうなっていた。

 晴久も着替える間も無く走り回っていたので着替えついでに風呂に入りに行った。その間に私は卵焼きと味噌汁を追加で作り、野菜炒めをチンして温め直した。

 明日は土曜日で晴久は休みだし、私も仕事は昼までなのでお疲れ様の意味も込めて冷蔵庫から缶ビールを出す。

「あとは警察に連絡して、飼い主さんが名乗り出てくれるのを待つしかないかなぁ」

 ご飯を食べながら今後のことについて話し合う。

 猫は暗い場所の方を好むそうなので猫のケージはリビングの隅の方に設置しており、ケージの方の照明は落として大きめの布をケージにかぶせている。照明を落としているのと、体調が悪い猫がいるので自然と小声になる。

「拾った所の近所にも張り紙しておくか」

 飼い主がいる場合は心配しているだろうし早く飼い主の元に帰してやりたい。

「もし飼い主さん見つからなくて本当に野良だったらどうするの」

 晴久は珍しく言いよどんで箸を止める。

「……透子が良ければだけど、うちで飼ってやりたいなぁって思ってるんだけど……」

 まぁ、その想定はなんとなくしていましたよ。

 いつも気にかけていた猫なら猫自身が飼われることをよほど嫌がらない限り、もう一度野良に戻すのは辛いだろうし、人間界の倫理的にもよろしくない。

 一度拾ってしまったら自分で面倒を見るなり、事情があって自分で飼えないのなら、面倒を見てくれる人を見つけるなどそれなりの責任を負わねばならぬ。

 幸いにも我が家はペット可のマンションだし、断る理由はあまりない。

「私は飼っても良いよ。その子大人しそうだし」

「本当か?!」

「本当本当。私にだって血も涙もあるって」

 断られると思っていたのか、晴久は珍しく驚いて缶ビール片手に立ち上がる。

「自分のテリトリー荒らされるからとかで断られるかと……」

「あんたは私のこと野生動物かなんかとでも思ってんの?」

 とんだ縄張り意識の強い野生動物である。

「そりゃあ自分の部屋に入られると模造刀とかあるから色々困るけど、住み分けさえきちんとできたら大丈夫だと思うけど」

「そ、そうか」

 少々納得していないようだが、晴久はおとなしく椅子に座り直した。

「晴久が自分からこれやりたいって言うの珍しいよね。よっぽどあの猫のことが気になったんだ?」

 人と関わる時はあまり主体性を見せないので少し新鮮だった。

「毎日は見かけないんだけど、仕事ちょっと疲れたなぁって時には絶対いるんだよなあいつ。だから妙な縁を感じるのかも」

 この絶世の美男子が縁を感じるのは絶世の美女でも可憐な乙女でもなく、でかくてふてぶてしい大猫。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものである。

 しかし本人はまんざらでもなさそうなのでこれはこれで良いのだろう。

「飼い主さんを待つにしても名前がないと不便だから、名前考えとこうよ」

 万が一飼い主さんが現れたら悲しいだろうが、名前がないことには生活がしにくい。

 私の提案に晴久はそれもそうだな、と頷いて猫の名前を熟考し始める。

 難しい表情をしていた晴久は、何かを閃いたらしく目をキラキラさせて顔を上げた。

「……ちくわ?」

「あんたセンスはいいはずなのに、なんでネーミングセンスだけがそんなに壊滅的にダサいの」

 いや、毛の色が茶色と白だからっていうのは分かるが、いささかダサい。動物病院とかで名前を呼ばれるとなると「永田ちくわ」になるわけだ。ちくわメーカーか。

「じゃあ透子ならなんて名前つけるんだよ」

「……おはぎとかきなことか?」

「あんまり変わらない気がするのは俺だけか?」

「甘味チョイスの方がまだ可愛い気がするじゃん。でも、ちくわのインパクトがでかすぎたよね」

 体が大きくて肉付きが良さそうなところもちくわっぽい。文句をつけておきながらなんだが、「ちくわ」が彼には似合っている気がする。異常なほどにしっくりきていた。名前がちくわじゃなかったらちくわぶしかないと思う。

 結局彼の名前は「ちくわ」になった。




 ちくわは保護した翌日からだんだんと食欲が戻ってきた。ゆっくりとだが食べる量も増え、ウェットフードからカリカリに変わった。たまに量が足りないと私か晴久の足元にのそのそとやってきて「……ニャア」と低く鳴いて催促するくらいだ。

 クールそうに見えてやはり人間は好きなようで、いつの間にか近くに寄ってきて隣にピッタリとひっついてくることが多い。

 しかし引っ付いてくるだけで遊べとかの要求はしてこないので、やはりクールな性格なのかもしれない。

 おとなしい性格なので家人が出かけている間に家の中をめちゃくちゃにしたりとかもしないのでとても助かる。

 たまに扉を閉めているはずの私の部屋に入り、静かに模造刀の隣に並んでいたりもするのでびっくりすることは多いが。一度居座る場所を決めたら置物かと思うほど微動だにしないのでとても心臓に悪い。

 あと実害はないが困ったことがもう一つ。

「ちくわさーん、そこに座られるとごはん食べられないんですけどー」

 ごはんの時間になると人の膝の上に座ってテコでも動かないのだ。

 体がでかいので単純に重たいし、ご飯を食べようとしたらちくわの上に落としてしまいそうで怖い。というか現にこの間チンジャオロースをちくわの背中に落としてしまった。

 あの時の物言いたげなちくわの顔は今でも忘れられない。いやでもあんたがそこにいるのがそもそもだからね。今日の夕飯はコロッケなので汁が垂れる心配はないが、ちくわが膝上にいることで動きが制限されて落とす可能性が十分ありえる。

 人の目を盗んで食べないだけマシなのかもしれないが、ずっと膝の上に陣取られるのも辛いものがある。

「ちくわは透子の所にしか自分から行かないよなー」

 晴久が羨ましそうにつぶやいた。

 多分ごはんを落とす鈍臭い奴認定されているだけな気がする。現にごはんの時以外は全く近寄ってこない。

 ちくわと住み始めて一ヶ月が経った。警察に届けているし、貼り紙やSNSでも飼い主に呼びかけているのだが、ちくわの飼い主らしき人は未だ現れていない。

 猫などの動物を拾った場合、三ヶ月が経てば所有権が拾った人に移る。

 ちくわが我が家の子になるかどうかまであと三ヶ月。

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