第4話 適材適所



 朝起きて朝食を食べ、洗濯機を回して軽く自分の部屋を掃除していたら廊下から話し声が聞こえてきた。

 さっき晴久のスマホが鳴っていたので誰かと電話で話しているのだろう。

「透子ー」

 開けたままの部屋の扉からひょっこりと晴久が顔を覗かせる。

「うわっ、すげぇな」

「だから今片付けしてんだって」

 三日前が原稿の締め切りだったので部屋の中は荒れ放題だ。独身時代は自分の気が向くか日常生活に支障が出るまでそのままにしておいた。

 互いの私室には立ち入らないようになっているが、今は一応人の目があるということで片付ける意思が働きやすい。

「で? どうしたの」

「母さんが親戚からめっちゃカニもらったから夜食べに来ないかって」

「行く!」

 実家では盆正月は運がよければ出たかもしれないが、親戚の「結婚しないのか」攻撃を食らうのが嫌すぎて盆正月の実家への帰省は避けていたためご相伴にあずかれるのならばありがたい。晴久の問いかけに食い気味に答えると、晴久がふむ、と頷く。

「母さん? 透子カニ食いたいってさ。今日の夜そっち行くわ」

「…………」

 確かめなかった私も悪いが、電話繋がったまんまだったんかい。

 さっきの愛想もクソもない会話をお義母さんに聞かれたかと思うと頭が痛い。いや、別に良いんだが、せめて多少は体裁を繕いたかった。




 昼過ぎに片付けの目処をつけ(散らかしたものをとりあえず隙間に押し込んだだけともいう)服を着替えて家を出発した。

 晴久の実家までは電車で一本で行ける。今日はお互いに飲むつもりだったので車ではなく電車だ。

 自宅の最寄駅にある人気のケーキ屋さんで手土産用のケーキを大人買いする。

「ショーケースの端から端までってオーダーするの何度やっても気持ちいいよねぇ」

「分かる。その時だけ金持ちになった気分になる」

 晴久の実家は両親と祖父母の二世帯住宅で、近所に住んでいるお義姉さんご夫妻も来られるそうだ。好みもあるだろうし数に余裕を持って買ったので結構な量になった。

 ケーキの箱は大小二つの箱に入れて渡され、それは晴久が持ってくれた。私が持つとひっくり返しかねないので助かる。

 電車に三十分揺られ、駅から徒歩十分のところに晴久の実家はあった。

 白壁に細い窓枠のスタイリッシュな一軒家。門扉から玄関までタイルが敷き詰められた小径で繋がり、手入れされた薔薇の花が家を囲う柵の周りに咲いている。

 結婚の挨拶やらなんやらで何回かきたことがあったが、何度見ても洒落た家だなぁと思う。

「いらっしゃーい」

 ピンポンを押すと迎えてくれたのはお義父さんだった。晴久と同じくらい背が高く、細いフレームの丸眼鏡がとってもオシャレなおじさま。

 同年代のはずなのに、いかにも日本のお父さんと言う感じのうちの父とはもはや種族が違う。確かお仕事はファッション雑誌の編集だったはずなので、垢抜けているのは当たり前か。ちなみにうちの父さんは車の整備士だ。

「いらっしゃい」

「いらっしゃーい!」

「らっしゃーい!」

 通されたリビングダイニングではエプロン姿のお義母さんとお義姉さんが台所でカニや野菜と格闘していた。

 姪っ子の千鶴ちゃんが部屋に入ると同時に私の足に突撃をかまし、思わずたたらを踏んだ。お義兄さんが慌てて引き剥がそうとするが、あまりのかわいさに鼻の下を伸ばして抱き上げる。

「千鶴ちゃん、こんにちは」

「こんちはー!!」

 まだまだ舌ったらずで、さっきから居酒屋の店員さんみたいになってるけどこれはこれでかわいい。

「透子さんすみません」

「いえいえ」

 お義兄さんが千鶴ちゃんを回収しようとするが、私の首根っこにしがみついて離れない。少々首が締まっているが、幸せなので気にならない。

「よしくんー、ハルと透子ちゃんにご挨拶はー?」

「ちはー」

「よーしーたーかー」

「……こんにちは」

 甥っ子の義鷹くんはソファで熱心にゲームをしており、ゲームをしたままおざなりに挨拶をする。

 私もハマったゲームは三日三晩不眠不休でするタイプなので気にしないが、お義姉さんはご立腹のようでキッチンから軽く注意する。義鷹くんはもう一度私たちにちゃちゃっと挨拶してゲームを再開する。

「もー……」

 これ以上言っても意味がないと思ったのか、お義姉さんは眉間にシワを寄せながら口をつぐんだ。

 微妙になってしまった空気を払拭するため、晴久が手土産を持ち出した。

「母さん、これ俺と透子からね」

「あら! ありがとうー!」

 手を拭きながら出迎えてくれたお義母さんが目を輝かせながらケーキの箱を受け取る。

 一応料理の手伝いを申し出たが、もうすぐ終わるので子供達の面倒を見て欲しいと言われた。

 晴久が持ち前の甘い顔で千鶴ちゃんを誘惑しようとするが、千鶴ちゃんはにっこり首を傾げてまた私の首にしがみつく。

 晴久の顔面が敗北したのをはじめて見た。

 びっくりしすぎて晴久もフリーズしている。自分の顔面偏差値を鼻にかけるような男ではないが、自分の顔面にはやはり自信があったらしい。

「ちーはイケメンよりかっこいい女の人が好きだからねぇ」

 お義姉さんの言葉に私と晴久が顔を見合わせた。

「日曜の朝にやってるメイキュートってアニメに出てくるカッコいいお姉さんのキャラクターに透子ちゃんがそっくりなのよ」

 メイキュートは実際見たことないが、作品の簡単な内容とキャラの概要は知っている。

 普通の女の子が魔法のかかったメイク道具で変身して、怪人と称した世の中の理不尽や価値観と戦っていくストーリーで、一見子供向けだが大人が深読みできるようなストーリーの巧さに世のオタク達が盛り上がっているのだ。

 キャラクターも非常に魅力的なようで、特にメイクで男にも女にもなれる中性的なお姉さんがオタク達にとっても人気だということも知っている。

 子供には主役のピンクカラーの方が人気らしいが、千鶴ちゃんのご趣味はかなり大人びていらっしゃるようだ。

 それにしても、

「いや、あのキャラクターと私が似てるのって髪型くらいじゃないですか?」

 どう頑張ってもあんなに綺麗でかっこいいお姉さんと私が似ているとは思えない。唯一似ているのはボブカットの髪型くらいだ。

「少なくとも晴久よりかは似てるって!」

 綺麗さっぱり言い切るお義姉さんのものすごい力技に永田家の血を感じた。

「透子さんメイキュートご存知なんですねぇ」

 お義兄さんにニコニコしながら聞かれ、思わず背筋が凍った。

 子持ちならいざ知らず、一般の方は女児向けのアニメなんて普通は知らない。別にオタクであることを隠してはいないが、一般人に囲まれた中で堂々と暴露できるほど陽気なオタクキャラでもないので一瞬固まってしまった。

「僕は何回聞いても名前が覚えられなくて。いつもちーに怒られるんですよ」

「パパは変身上手にできないもんねぇ」

 お義姉さんの告げ口にお義兄さんは恥ずかしそうに頭を掻いている。それ、恥ずかしがるとこやないでお義兄さん……と心の中でそっと励ましておく。

 ちなみに私の知り合いには全キャラの変身シーンと必殺技のポーズを完コピしている奴もいる。どこで使うのかは知らない。

「そういえばじいちゃんとばあちゃんは?」

 私の旗色の悪さを感じ取ったのか、晴久が違う話題を振ってくれた。

「部屋でテレビ見てるよ」

 お義母さんが切った野菜を皿に並べながらお義父さんが答えてくれる。

 おじいちゃんおばあちゃんに挨拶に行こうと言う話になり、私と晴久と千鶴ちゃんでおじいちゃん達の部屋へと向かう。

「入るよー」

 廊下の突き当たりにある障子のようなデザインの扉に向かって晴久が声をかける。

「あら、おかえりなさい」

「おーおかえり」

 部屋の中は一段高く作られていて、そこに畳が敷かれている。メガネをかけた2人がこちらを見て手をひらひらと振る。

「なに見てんの?」

 晴久は勝手知ったるなんとやらで部屋の中に入って段に腰掛けてテレビを見る。

 私の方からテレビは見えないが、部屋に入るのもためらわれたので入口のところで千鶴ちゃんを抱っこして立ったまま話を聞いていた。

「私はよく分からないんだけど、お父さんが好きな歴史の話らしくって」

 おばあちゃんが苦笑しながら説明してくれるが、おじいちゃんは番組に夢中のようでじぃっとテレビを見つめている。

 歴史、と聞こえて思わず体が反応してしまった。なんか聞き慣れた名前がテレビから聞こえてくる。

「これ透子が録画してたやつじゃないのか?」

 なんとか部屋に入らず画面を確認しようとしていたら声をかけられて思わず固まってしまった。

「まぁ、そんなところにいないでこちらにいらっしゃいな」

 おばあちゃんがニコニコと手招きしてくれたので、小さく頭を下げて部屋の中にお邪魔する。

 テレビに映っていたのは晴久が言っていた通り、私が見たかった歴史番組だ。

 戦国時代から幕末の有名な武将や武士の人気投票を行い、その結果を発表するものだ。私も推しの土方歳三に一票を投じたので結果を心待ちにしていた。

 画面には今までの結果が映し出されていて、私の推しの土方歳三はまだ入っていない。あとはトップテンを残すのみとなっているので、これからが正念場だろう。

「透子ちゃんは誰が好きなの?」

 おばあちゃんは話好きなのかニコニコ顔で話を振ってくれる。笑った晴久の面影を感じた。今もお綺麗だが、若い頃も相当美人だったんだろうな。やはり血筋というものは恐ろしい。

「えっと、私は新撰組の土方歳三が……」

 私の言葉にそれまでテレビに釘付けだったおじいちゃんが初めて反応した。

「透子ちゃん、土方さんが好きなのか」

「はい」

「俺は斎藤一が好きでな」

「マジですか」

 こんな身近に歴オタがいらっしゃったとは。予想外の出来事によそ行きの仕様がはがれ落ち、いつもの口調でつぶやいてしまう。

 お互いに嬉しさのあまり固い握手を交わした。

「去年の春は二人で会津に旅行に行ったのよ」

「うわー! 羨ましいです!」

 おばあちゃんが嬉しそうにスマホで撮った写真を見せてくれる。晴久と千鶴ちゃんと一緒におばあちゃんのスマホを覗き込んだ。

「し、新撰組記念館に水屋旅館跡! 鶴ヶ城の赤瓦も美しいですねぇ!」

 憧れの地のよそいき仕様が完全に吹っ飛び、早口でまくし立ててしまうがもう止まらない。

「透子ちゃんよく知ってるんだなぁ」

 おじいちゃんが目を丸くして驚いている。

「てっきり土方さんの顔がイケメンだから好きなのかと思ったんだが」

「それもありますが、新選組の為に鬼の副長として組をまとめ上げる手腕とあんなにイケメンなのに発句がちょっぴり残念な感じが最高に好きです」

 何かの為に自分が悪者になるなんて常人には到底できない。できることなら他人に良い人だと思われたいのが普通の人間として当たり前の欲求だ。その欲求を超えるほどの強靭な精神と理想を追い求める強さ。

 私の暑苦しすぎる語りを、おじいちゃんはふんふんと真面目に頷いて聞いてくれるので、ついつい話過ぎてしまう。

「じいちゃん、こいつ土方さん好きすぎて土方さんの刀の模造刀持ってるくらいだよ」

 晴久の報告におじいちゃんは口をぱかっと開き、おばあちゃんは目を丸くしてあらまぁなどと呑気に驚いていた。

 結局随分と話し込んでしまい、なかなか戻ってこない私たちをお義父さんが呼びに来てくれた。




「義鷹ー! もうごはんなんだからゲームやめなさーい!」

「はーい……」

 お義姉さんが鍋の様子を見ながら注意するが、義鷹くんは生返事を繰り返すだけでゲームを止める様子はない。

「透子、箸だけど赤色でいい?」

「何色でも大丈夫っす。ウッス」

 だんだん2人の間の空気がピリピリしてくるが、永田家の面々は慣れているのか各々食事の準備を進めており、新参者の私だけが妙にソワソワしてしまう。

 私もよくこうやって母さんに怒られていたので、過去の自分を見ているような気持ちになるのかもしれない。

 今時の若者がどんなゲームをしているのか単純に気になり、そろそろと義鷹くんの後ろに回り込んでゲーム機の画面を覗き込んでみる。

「あ、大国戦記だ」

 義鷹くんがやっていたのは、昔私がやりこんでいた格闘ゲームのリメイク版だった。キャラクターは世界各国の有名な偉人たちで、好きなキャラクターを選んで戦うというものだ。

「……おねーちゃん大国戦記知ってんの?」

「昔死ぬほどやりこんでさ。あまりにも必死になりすぎて今の義鷹くんみたいに私もお母さんに怒られたなぁ。あ、ネルソンじゃん。私もネルソン好きだよ」

 正直自我が確立している子供との距離感がよく分からなくて不安だったが、好きなものの存在というのは実に偉大だ。年齢も性別もたやすく越えてしまう。

「ね、私にもゲームさせてくれない?」

「やだ」

「……私多分義鷹くんよりうまいよ?」

 私のひねりのない煽り言葉にぴくりと義鷹くんの体が跳ねる。

 ゲーム機がバージョンアップしていて多少操作は違うだろうが、亀の甲より年の功というやつだ。

「ん」

 できるならやってみろと言わんばかりに義鷹くんが憮然とゲーム機を渡してくる。

 ゲーム機を受け取り、ソファの前に回り込んで義鷹くんの隣に座って膝に肘をついた。キーの位置を確認し、キャラクターとフィールドを選んでバトルをスタートさせる。

「えっ、うそ、なにその技!! すげぇすげぇ!!」

 昔のものといくつか違いはあったが、大枠は変わっていない。

 昔取ったなんとやらで敵をボッコボコにしてスコアを荒稼ぎしていく。横から覗き込んでいた義鷹くんはさっきまでのクールキャラはどこへおいてきたのか、大興奮でゲーム機を覗き込んでいる。

 あれだけの大口を叩いてボロクソにやられたらどうしようと思ったが、なんとかそこそこの成績を収められてホッとした。

「もう一回! もう一回やって!」

「お腹空いちゃったからご飯食べた後でねー」

 義鷹くんにゲーム機を返して夕飯の準備に戻るが、さっき使っていた技を知りたいらしい義鷹くんはゲーム機を放り出してこちらについてくる。よしよし。

「透子ちゃん、ゲームにも詳しいのねぇ」

 なぜか感心した風なお義姉さんにしみじみと言われてハッと我に帰る。

「メイキュートも知ってたし」

「歴史にもすごく詳しくて、博識なお嬢さんよね」

 我に帰るのがだいぶん遅かった。

 普通の人はメイキュートがなんたるかを知らなければ、新選組に詳しくもないし、ゲームも現役小学生に勝てるほどやりこんでもいないのである。

 突っ込まれても困るのであはははと下手な笑でひたすらごまかすしかなかった。




 晩御飯では向こう一年分くらいかと思うくらいのカニを食べさせてもらった。

 お酒もおじいちゃんとお義父さん、晴久のご相伴に預かることができ、なかなか飲めない良いお酒を飲めたので気分は上々である。

「それにしても永田家が根っからの光属性で助かった」

 色々証拠が上がっていたにも関わらず、永田家はそもそも「オタク」という人種をよく知らないらしく、「透子ちゃんなんでも知っていて物知りね〜」で片付けられてびっくりした。

「まぁ、うちの家族のオタクっていうのはジーンズにチェックのシャツをインしてバンダナ巻いた典型的なやつだからなぁ。透子のことは色々詳しいんだなぁくらいにしか思ってないだろうな」

 そんなオタクは令和のこの世では絶滅危惧種に指定されるようなものだ。

「じいちゃんと義鷹は喜んでくれて助かったよ」

「いやぁあれで喜んでもらえるとか俺得すぎて申し訳ねぇ」

 本音を言えばもっと語りたかったが、初回から飛ばしすぎると引かれるに決まっている。何事も節度とタイミングが重要なのである。

「一応俺も透子から色々話聞かされてたから俺も時々じいちゃんの話し相手になるんだけどさ、やっぱり一方的に話すより語り合いたいみたいでさ」

「まぁ気持ちはわからんでもないが、それより話聞かされてたってひどくない?」

「お前も俺がスポーツの試合見て解説しても生返事しかしないからお互い様だ」

 それを言われると何も言えない。

 晴久はリア充らしくスポーツを嗜んでおり、する方も観る方も好きだ。一緒に観る時もあり、ルールが分からない時は質問したりするのだが、ルールが理解できても展開が早すぎて頭と目が追いつかない。

「好きなものって何度も繰り返して話したいんだろうけど、こっちはよく知らないから途中からどうしても意識がフェードアウトしちゃってさ」

「ああー、分かる。親とかじーちゃんばーちゃんだといろんな話何回も繰り返すから適当に聞いてたらそれに対しても怒られる」

「だから今日じーちゃんも義鷹も本当楽しそうで俺も嬉しかったよ」

 私達の世代のオタクならSNSを駆使して距離の離れた同士と思いを分かち合うこともできるが、おじいちゃんや義鷹君には難しいだろう。

 好きなものに熱中しすぎて色々と良くないように言われることの方が多かったので、こんな形で役に立てるとは思わなかった。

 お酒といい気分で少し怪しい足取りで家路をたどる。

 ふわふわしている私に合わせて、晴久はゆっくりと帰り道を一緒に歩いてくれた。

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