第3話 休日の過ごし方




「晴久くん」

「おわっ、なんだなんだ突然」

 休日の前の日、ソファーに寝転んでテレビを見ていた晴久の前に正座して声をかけた。

「お願いしたいことがございます」

 私の改まった姿勢に感化されたのか、晴久もソファーの上で正座をして私の言葉を待つ。

「私と一緒にアイススケートに行ってもらえませんか」

 深々と頭を下げながら要件を告げる。

「スケート? 別にいいけどえらく急だな」

「今シーズンハマったアニメがフィギュアスケートでして……」

「なるほど」

 詳しい説明をしなくても通じるのがありがたい。

 最初はオタク友達の玲ちゃんを誘ったのだが、近い日で予定が合う日がなかった。

 特に真剣な話でもないと判断されたのか、晴久は正座していた足を崩した。

「そういえば透子ってスケートできたっけ?」

「できるわけないでしょうが」

「ですよねー」

 昔サークルの面々でアイススケートに行こうとなったことがあったが、前日にインフルエンザにかかって欠席した。

 なので今回が人生で初めてリンクに立つこととなる。不安しかない。

「一人でどったんばったん転んでたら一般の方々にご迷惑だからカモフラの為にご同行お願いします」

「夕飯一食分な」

「お安い御用だ」

 というわけで夕食一食分で晴久の買収に成功した。




 シーズンも終わりに近いので人もまばらなのかと思えばそうでもなく、親子連れやカップル、学生のグループなどでスケートリンクは大層賑わっていた。

 スケート靴を履いて陸に上がったペンギンのように歩いてリンクの入り口に立つ。この時点でもう不安しかない。すでに膝がかすかに笑っている気がする。

 晴久は陸の延長のように自然にリンクに足をついて滑り出す。

 昨日の話ではスケートは学生の時以来だと言っていたので七年ぶりに滑るはずなのに、昨日までスケート滑ってましたと言わんばかりだ。

 学生時代からスポーツ万能であったが、社会人になって数年経ってもその才はまだまだ現役のようだ。

 一方私といえば、リンクに降りる勇気がなくて入り口で固まっていた。晴久はくるりと優雅にターンしてこちらを向く。

「じゃあとりあえず滑ってみるか」

「待って事前講習は!?」

「シュッといってシャーって滑ればいけるって」

「それで行くと私の場合シャーってあの世に行くと思うんですが!?」

 陸の上でも生まれたての子鹿のようなのだ。今より不安定な氷の上になどとてもじゃないが立てる気がしない。靴を履く前はできるつもり満々だったのだが、予想以上の不安定さに今では逃げたくて仕方がなかった。

「思い切って行けば意外と平気だって。人生思い切りが必要って言うだろ」

 事も無げに言うが、基本スペックが違うことに気づいて欲しい。私と何年一緒にいるんだ。

 しかし心の中で文句を言っても仕方ない。それに今日スケートに行きたいと言ったのは他の誰でもなく私だ。渋々言われる通り氷の上に足を踏み出してみる。

「お? おおっ!?」

 用心深く足を踏み出してみると、意外とスムーズに氷の上に乗れた。

 もしかして私の中の眠れる運動神経が目を覚ましたのか……!?

「そうそう、そのまま氷蹴る感じで進むんだぞ」

「おおおおう」

 晴久がようやくアドバイス的なことをくれたので、恐る恐るその通りにしてみる。一蹴り三センチくらいしか進まないが。その間も晴久はバックでスルスルと滑って私の手を引きながら先を先導してくれる。

「後ろに重心持って行くとこけやすいからな」

「ひえええええ……!」

 おぼつかない私の横を小学生たちがスイスイと滑って行くので情けなさが倍増した。

「そろそろ一人で滑れそうか?」

 手を引いてもらったままリンクを二周したところで晴久がそう切り出した。

 こちらとしてはリンク二周しただけで上手くなるか……! と言う気持ちでいっぱいだったが、ずっと手を引いてもらうのも申し訳なくなってきた。一人で滑れるようになる向上心も必要であろう。

「そっと……! そっと離して……!」

 私のうるさい注文通り、晴久はそっと手を離してくれる。

「おお……!?」

 一人でなんとか立てた。立てたが、そこからどう持って行けばいいのかが分からない。

「ほら、軽く氷蹴ってみ」

 バックで滑っていた晴久がスイーっと隣にやってきてお手本を見せてくれる。奴がやっているといとも簡単に見えるが、そんなに簡単なものではない。

 言われた通り軽く氷を蹴ってみるが、蹴る力が弱すぎて進まない。力を入れて滑ろうにもツルツル滑って進まない。

 あまりの進まなさにさっきまでの用心深さが薄れ、思い切って氷を蹴ってみた。

「げっ」

「あ」

 すると、絵に描いたように後ろにつるりと滑って後頭部をしたたか打ち付け、視界にいくつもの星が瞬いた。




「大丈夫か?」

「……頭が割れるかと思った」

「それは俺も思った。石頭で良かったなぁ」

 リンクで転んだ時、ゴンっ、鈍い音が響いた。自分のことなので大げさに感じるのかと思ったが、周りにいた他のお客さんも心配して寄ってきたくらいなので大げさではないと思いたい。

 頭がクラクラするので晴久に支えてもらいながらなんとかリンクから上がり、今は事務所の人からもらった氷で頭を冷やしている。まだ十分ほどしか経っていないがすでにたんこぶが膨らんできていた。

「なんか飲み物買ってくるわ」

「へーい」

 後頭部を思いっきりぶつけたので最初は心配していたが、状態が悪化しそうにもないのと私が飄々としているので大丈夫と判断されたらしい。

 なんか私のしたいことばかりに付き合わせてしまって申し訳なく思えて来たが、よくよく思い返してみれば学生の時からこんな感じだった。今更杞憂である。

「お」

 自販機で飲み物を買う晴久の背中をぼんやり見ていたら、二人組の女子大生風の女の子たちに声を掛けられていた。

 ここまでは私が隣にいたから誰にも声を掛けられずいたが、一人となれば話は別だろう。一人になって一分も経たないうちに逆ナンされるとは恐れ入る。

 一人で応対させているとなかなか時間がかかりそうなので腰を上げた。まぁ私が行ったところで「なんなのこいつ」という不躾な顔を向けられるが、時間は節約できる。

 たんこぶができた頭を冷やしながらという非常にまぬけな状態ではあるが、いかないよりはマシだろう。

 そう思っていたら、晴久が自分の左手を女の子達に見せた。おそらく結婚指輪を見せたのだろう。

 女の子達は驚いてペコペコ頭を下げて去って行った。中腰の中途半端な姿勢の私に気づいた晴久が晴れ晴れとした顔で手を振ってくる。

 晴久には結婚する前から困った時はいろんなことに付き合ってもらった。逆に私は晴久からいろんなものをもらってきたが、私は晴久に何をあげることができただろうか。

 正直あまり思い当たらないが、肩書きが一つ増えたことで、晴久の人生が少しでも生きやすくなってくれれば良いなと、晴久の左手に嵌った銀色の指輪を見て思った。

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