第2話 引越し
結婚式と入籍を終えた私たちを次に待っていたのは引越しだった。
それぞれの個室は必須なので2LDKのマンションを新居に決め、ちょっとずつ自分の荷物を新居に運び込んでいる。
晴久に比べて私の荷物が圧倒的に多い。
私の荷物のなにが多いのかというと本である。
長期連載の漫画なら軽く五十巻を越えるものも多い。ちなみに今手持ちのもので五十巻を越えているものは三つある。まだまだ連載中だ。漫画に加えて資料の為の原画集や写真集、トドメが大量の同人誌だ。一冊は薄いものが多いが、イベントの熱気と機会を逃せば二度と会うことができないかもしれないという稀少性の所為でついつい買い込んでしまい、あっという間に本棚やクローゼットを圧迫してしまうシロモノである。
とにもかくにも本が多く、今回の引越しにあたって部屋も大きくなったので、本棚も大きなものに新調した。
しかし、どこにどの本を収めるのか迷ってしまって一向に片付かない。お気に入りの本は取り出しやすいところに置きたいのだが、お気に入りを決めるのがやたらめったら難しいのである。
読まないけれどいつか読み返したくなるようなものは収納ボックスに入れてクローゼットにしまっているので、ここにある時点でそれは一軍なのだ。順位なんてそう簡単に決められないし、未来の自分の趣味嗜好がどうなるのかも分からない。未来の自分との心理戦を日夜繰り広げているわけである。大抵無駄になることが多く、クローゼットを何度も掘り起こす羽目になるのだが。
とにもかくにもいつまでたっても本棚が片付かず、今日も今日とて仕事から帰ってきたあとは荷物整理にいそしんでいる。
「ただいまー」
そうこうしているうちに晴久が帰ってきた。
「おかえりー」
本を整理しながら返事をすると、出入りしやすいよう開けっ放しにしていた扉から晴久がひょっこりと部屋を覗き込んできた。
「なんか手伝うか?」
「ううん。大丈夫。ご飯できてるからよかったらどうぞー」
「食べる食べる。サンキュー」
家事は基本自分のことは自分でしようとなっているが、お互い多く作ることが多いので自然と一緒に食べることがほとんどだ。
あと共用部分のリビングやキッチン、トイレの掃除は当番制で、洗濯は自分の分しかしない。
「あ、リビングにちょっともの置かせてもらってる」
「おー」
大事なものは荷物の整理中に傷をつけたりしたら嫌なので、リビングに一旦避難させてもらっていた。
晴久なら言っておけば不用意に触れたりしないだろう。
そう思って放っておいたら、数秒後リビングから晴久のすっとんきょうな声が飛んできた。
「ととととと透子! 透子ー!!」
荷物を片付けていた手を止めてなんだなんだとリビングに行くと、晴久が真っ青な顔をしてローテーブルの上に置いてある物を指差している。
「お、おまっ! なんでこんなもの持ってんだ!? ヤバイ奴だとは思ってたけどまさか犯罪に手を染めるなんて……!」
とんだ濡れ衣だ。つーか晴久の奴私のことヤバイ奴だって思ってたんかい。
「なんでって私の推しだもの」
「推し……!? 好きだからってやっていいことと悪いことがあるぞオタク!」
「別に悪いことじゃないし」
ギャーギャー騒いでいる晴久の横を通り過ぎて、渦中のものを手にした。
細長く、紫色の布に包まれたもの。すらりと長く美しいシルエットで、布から顔を出した柄をしっかり握って、本体部分の布を外す。周りにものがないかと、晴久から十分距離が取れているかに注意を払って鯉口を切り、抜刀した。
「きゃー!!!!」
「いやー、いつ見ても綺麗だわー。和泉守兼定」
女子のようなか細い悲鳴をあげている晴久をよそに、私は現れた刀身に思わずうっとりしてしまう。
かの有名な新撰組の鬼の副長、土方歳三の愛刀の模造刀だ。以前新撰組の漫画にどハマりした時、購入しようかものすごく迷ったのだが飾るところがないので泣く泣く断念した。
しかし、今回の引っ越しによって部屋が広くなったので、自分への結婚祝い(?)として購入したのである。部屋が広くなってもそれを理由に物を増やして行くので、オタクの部屋は一生片付かない。(諸説あります)
部屋が片付いた暁には部屋の一番良いところに鎮座して頂く予定だ。
「真剣じゃないから斬れはしないけど、獲物としては結構いいと思うよ。家で泥棒と鉢合わせしたオタ友は模造刀で応戦して撃退したって」
「……いろんな意味で危ないな」
晴久が顔を真っ青にしてつぶやいた。言っておくが緊急事態以外でこの子の本領を発揮するつもりはないので安心してほしい。というか屋内や人がいるところで長物を振り回さないくらいの分別はある。
確かに素人が扱い慣れていない獲物を振り回すのは危険だが、脅しとしては効果抜群だろう。
泥棒に入った先で住人と鉢合わせした上にその住人が傍目には真剣に見える日本刀を構えていたら、それはもはやホラーだ。同情する余地もないが。
女性の一人暮らしならあった方が安心かもしれない。模造刀。
「あと武器になりそうって行ったらラケットとかかなぁ」
「……透子ってテニス部だったっけ?」
「いんや中高は茶道部」
ちなみに大学は友達に引きずられて入ったバレーボール部だ。そこで晴久とも出会った訳だが。
「オタクって物騒だな……」
「文化系と侮ってかかったら痛い目見るぞ」
最近はオタクの中でもスポーツできる系オタクも多いし、ごく稀にスポーツのジャンルにハマってその道を極めてしまう猛者もいる。
一周回ってアクティブになるのだからオタクとは恐ろしい生き物である。
そして私もそのオタクの性をこの身に宿しているのである。あいにくとスポーツ漫画にハマってもスポーツは全くできないが。
片付けを適当なところで切り上げ、夕飯を食べる為リビングに向かう。
私が作っておいたシチューを晴久が温め直して準備してくれていた。
「片付け目処つきそうか?」
「まぁなんとか?」
「なんで疑問形なんだよ」
本を片づける時中を読み返して片付けが止まってしまうのはオタクあるあるだ。古本屋に売ろうとしても面白さを再発見してしまい、もう一度本棚に戻してしまう無限ループ。
「俺が仕分け手伝ってやろうか?」
晴久の申し出に思わず眉間にシワを寄せてしまった。
「本が十冊くらいしか残らなそうだから遠慮する」
こいつは私と違って何事にもあまり執着しない性格だ。それゆえに物をためらいなく処分できるし、そもそも物をあまり買わない。私の部屋に奴を入れたら最後、ほとんどをリサイクルショップに売り飛ばされるに違いない。
「内容は一回読んだら覚えるだろ」
「何回も読んで噛みしめるんだよ」
私が思うオタクと一般人の大きな違いの一つは、好きなものを繰り返し見るかどうかである。
好きなアニメの映画を五回以上見に行ったという話をしたら、はてなマークを頭の上にいっぱい飛ばしてフリーズしていた。
「そんなに本を溜め込んでどうするんだ。お前は将来図書館でも開くのか?」
「いいね私設図書館。でも人様に自分の性癖をさらしたくはない」
「本棚にそんな見られて困るようものあるか? エロ本じゃあるまいし」
「あんたと違って私は人となりがバレるとヤバイの」
本棚のラインナップは深層心理が丸裸と言っても過言ではないというのが私の持論である。
こういうのが好きなのね、と他人に冷静に分析されるのが恥ずかしくて恥ずかしくて震える。
晴久の本棚には仕事関連の本だったり、本屋で大々的に平置きされているようなメジャーな本しか置かれていない。どこに出しても恥ずかしくないラインナップだ。
私の本棚に置いていたら絶対カモフラと思われる品ばかりである。いやたまにそういう本も買うけど、私の本棚に置いていると肩身が狭そうだ。
「言っておくが、物を捨てないことには片付けは始まらないぞ」
「うぐっ」
ド正論で斬りかかられ、息が詰まった。
ときめかないものとはお別れするという片付け方法が巷では流行っているが、いにしえの片付けできない女は物を捨てられないのではなく、いつかときめくかもしれないという可能性を捨てられないのだ。
「私の本棚は資料なの!」
主に同人誌の資料だが、人生を生きて行く上での資料にもなる。
私の苦しい言い訳に晴久は白い目を向けてくるが、そんなものは無視だ無視。
「それより、そっちは結婚してなんか変わりあった?」
このままでは私の本棚が晴久の粛清の憂き目に遭いそうなので、強引に話題の方向転換を試みた。
すると晴久は素直に私が振った話題に乗ってくれた。
「いやー、飲み会断りやすくなったよな! 俺めっちゃ愛妻家で通ってる」
「こっわ」
晴久が入れ上げるような新妻がこんな化石女だと知られたら一気に信憑性が落ちそうだ。
「くれぐれも私の写真などは見せないように」
「なんで? 別に減るもんじゃないだろ」
「私の命が減るんだよ」
結婚してから特に命の危機を感じたことはないが、用心するに越したことはない。
「透子の写真めっちゃ人気なんだけどなぁ」
「……は?」
まさかの言葉に地の底を這うような低い声が出た。多分眉間には深いシワが刻まれていると思う。
晴久は急降下した私の機嫌を機にすることもなく、スマホの画面をスクロールして私に差し出す。
「ブロマイド欲しいって言う奴も何人かいたぞ」
一体全体どんな写真を見せてるんだ。疑問に思いながらスマホを受け取ると、画面にはかつての私が映っていた。
全身黄色で黄色の猫耳をつけ、頰に赤い丸を書いた化け物見たいな私の姿が。
「よりにもよってこれかい! こんなの見せられたらあんたの正気疑われるでしょうが!」
「俺よりもお前の正気を疑われるけどな」
これは二年前、同級生の結婚式の二次会で披露した余興の写真だ。私は国民的電気ねずみに扮してダンスを踊った。ちなみに晴久も一緒にやったのだが、イケメン補正でそこまで面白いことにはならなかった。イケメン本当ずるい。いや、芸人を目指すなら私の方が美味しいのか……?
当時も会場を爆笑の渦に巻き込み、呼吸困難者を続出させてしまったのだがまさか二年経った今も人々を爆笑の渦に巻き込んでいたとは。私の才能怖い。
といってもほかの同級生も同じように仮装したのだが、顔面を黄色に塗った女子は私だけだったので妙に目立った。
「これ見せたら大抵の人は引きつった顔で『楽しそうな奥さんですね』って言ってくれる」
「私でもそう言うわ」
まぁでも下手な写真見せられるより「永田さんの趣味って変わってるのね……」と思われた方が、私の身の安全のためにはいいのかもしれない。
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