第1話 結婚式
晴久との結婚が決まったことは別に良いのだが、決まった後にしなければならないことが山積みで早速うんざりした。
中でも周囲への結婚報告は苦痛以外の何物でもなかった。
「ええ!? 結婚!? 誰が!?」
「私ですけど」
私は歯医者で歯科助手として働いており、一応上司である院長に結婚の報告をした。
優しくておっとりとしたテディベアのような院長はちょっとやそっとのことでは驚かないのだが、今回ばかりは珍しく大きな声を出して驚いていた。
六年間一緒に働いてきて今まで彼氏のかの字も出してなかった私が突然結婚するというのだからそりゃあ驚くだろう。逆の立場でも驚く。
「相手は!? いるの!?」
「いないと結婚はできません。大学時代の友人です」
院長は私のツッコミが聞こえていたのかいないのか、ポカンと口を開けて私を見つめている。
そして数秒後にハッと何か思いついたかのような表情を浮かべ、小声で問いかけてきた。
「……妄想とかじゃないよね?」
「妄想の相手との結婚報告をするほど暇じゃありません」
妄想での結婚も上司に報告する義務があるなら、身に覚えがあるだけでも七回は報告しなければならない。報告しても引かないという絶対的な自信がおありならやっても良いが、私の尻軽さに辟易するだけなのでオススメはしない。
それに妄想相手と結婚するなら最初から最後まで妄想の中で終わらせるわ。
ニコニコ笑顔の裏で私のことそういう風に思っていたんだな、と私の中の院長に対する評定を書き加えておいた。
「まぁ……びっくりしたけど結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
「結婚式は挙げるの? 僕スピーチ話そうか?」
「一応挙げますが身内だけなのでお気持ちだけいただきますね」
スピーチの立候補を丁重にお断りすると、しょんぼりと肩を落としていた。
両家の両親に小さくてもいいから結婚式はしなさいと口を酸っぱくして言われたので、渋々ながら結婚式を挙げることにはなった。
当たり前だが形だけの結婚式なので、出費はできる限り避けることで晴久と意見は一致した。
あとは式で過度な演出などあろうものなら私のボロが出そうなのと、誓いのキスなど到底できやしないので式の形式は神前式一択である。よってスピーチはない。
「結婚した後はパート勤務に移る?」
そのことについても晴久と相談済みだ。
「お、夫とも話し合ったんですが、当分は今のままの行こうということになりました」
晴久のことを「夫」と呼ぶのはまだまだ慣れないし、実質はそうではないのだが対外的には「夫」と呼ばなければならない。いっそ「相方」とか言いたいところだが、照れておちゃらけていると思われるのも癪だし、漫才でも初めてしまいそうなのでやめておいた。
子供ができることは絶対にないので、これまでの勤務形態を帰ることなくもちろんフルタイムで働ける。
私と晴久の間で子供ができるとしたらイエス・キリストを身ごもった聖母マリア方式でないと無理だ。そんなことができたら聖書になってしまう。つまり無理。
私たちの間に子供が生まれる可能性は絶対にないし、家事は共用部分の掃除などは当番制。食事や洗濯は各自でということになった。
私が仕事をセーブする必要もないので、老後の為に今の内からバリバリ働く所存である。結婚したことで多少生活費も浮くので、今まで以上に貯金ができるだろう。
金が余ったからと調子に乗ってオタク活動に勤しみすぎないようにしなければならないが。
「お子さんできた時は遠慮なく言ってね」
「はぁ」
院長は100%善意で言ってくれているのだろうが、本当余計なお世話だ。
別に院長を嫌いなわけではない。
こういう時に人の人生設計に嘴を突っ込んでくる赤の他人が嫌いなだけだ。
互いの親族への挨拶もそれなりに大変だった。
晴久の永田家の方は特に問題はなかったのだが、問題があったのは主にうちの小鳥遊家の方だ。
年始の挨拶を兼ねてうちの両親へ結婚の挨拶をする為、私は晴久を連れて実家に帰った。
我が家の玄関前に立ち、晴久は青い顔をしている。そりゃあ結婚の挨拶と言えば入試、就職と並ぶ人生一代イベントだ。晴久と言えど緊張するか。
「覚えてきた内容全部吹っ飛びそうなんだけど……透子とはいつも飲んだくれてますとか言っちゃいそう」
「うん、それは私の立場もすこぶる悪くなるから黙ってようか」
いい加減色々と諦めているとはいえ、いい歳した娘が飲んだくれて小学生レベルの下ネタ話で大笑いしていると知ったら白い目を向けられるのは必至だろう。
「はー、今までのどんな仕事よりも緊張する……」
晴久は手土産を抱えたまましゃがみこんで顔を覆った。乙女か。
「透子のお父さんに『何処の馬の骨とも分からん奴に娘をやれるか!』って殴られそうになったらどうしよう。うっかり『娘さんとはそんな関係じゃないんです!』って弁解しそう」
「その発言は我が家に大混乱を巻き起こすので絶対口にしないように」
肝心の晴久がなかなか決心がつかないようで、かれこれ五分はうちの実家の玄関前で二の足を踏んでいる。
「大丈夫だって。うちの親ちょろいから。ほらもう行くよ!」
そろそろご近所さんの視線が熱くなってきてさすがに居心地が悪い。図体のデカい晴久の首根っこを掴んで立たせ、グイグイと背中を押して我が家の敷居を跨いだ。
「はじめまして、永田晴久と申します」
「…………」
視界の端に映り込む晴久の背筋はピシッとまっすぐ伸びていて、さっきまで駄々っ子の三歳児のようにうずくまっていた男とは到底思えない。
どうやら仕事スイッチがうまく入ったようで、爽やかな五月の風が吹きそうな笑顔で我が家にてキラキラを振りまいている。
そのキラキラ笑顔をまともに受けた私の両親は目と口をかっぴらいて放心状態だ。無理もない。
「……タイム」
場に耐えかねた父さんが手でTの字を作ってタイムアウトを申し出た。タイムアウトを申し出られた晴久は余裕の笑みで「どうぞ」と促す。
「透子、ちょっと」
ちょいちょいと母さんが小声で手招きするので、立ち上がって父と母の方へ腰を下ろす。二人は相当焦っていて、手を引っ張られて晴久に背を向けた状態で雑に座らされた。
「おおおおおおお前一体全体どんな詐欺に引っかかってきたんだ!!」
「うん、まぁ、言いたいことは分かるけどさぁ」
父さんの私への評価がなんとなくうっすらすけて見えた気がする。
自分では理解してましたけどね、自分以外の人に言われると人間イラっとするもんなんですよ。
「どう考えたって凄腕の詐欺師に引っかかってきたとしか思えんだろ! あれだけ結婚に興味なかったお前が突然結婚するとか言い出すからやっぱりおかしいと思ったんだ俺は!」
父さんがうわああああ!! と頭を抱えながらその場にうずくまってしまった。
散々な言われ方だが、身から出たサビなので仕方ないところもある。私が逆の立場だったら絶対詐欺だと思って必死に止めるだろうし。
「まぁまぁお父さん、蓼食う虫も好き好きって言うじゃないの」
母さん、それ全然フォローになってないから。というか相手によっては失礼にあたるぞ。
うちの自由極まりない両親を御しきれず、途方にくれて晴久の方をちらりと振り返る。どうやらうちの家族会議は筒抜けだったようで、晴久は顔を背けて必死に笑いを堪えていた。
あんたこそ悠長に笑ってる場合じゃないでしょうが。あんた凄腕の詐欺師と間違われてるんだぞ。このまま警察に突き出されても助けてやらないからな。
私のじとりとした視線を感じたのかは知らないが、晴久がようやく背けていた顔を正面に戻して先ほどの鉄壁の営業スマイルを装備した。
「お義父さん、お義母さん」
晴久に呼ばれた両親は小さく肩を跳ねさせ、おそるおそる晴久に向き直った。
「ご挨拶が遅れてしまったことで不信感を抱かせてしまい申し訳ありません」
「いえいえ〜! とんでもない!」
「…………」
母さんはともかく、警戒心の強い父の信用を得る為には少々骨が折れた。
娘を心配してではない。単純に父さんが晴久を信用できなかったのだ。だがそこは敏腕営業の腕の見せ所だったようで、晴久は1ヶ月後には父さんを陥落してみせた。
今では父さんも立派な晴久信者だ。
そして二月の初旬、県内の神社で結婚式を挙げることになった。
できれば結婚式は挙げたくなかった。
だが、形だけでもやっておいた方がいいという両家の親の頼みによって実現した。
窓から入る日の光を受けて輝く純白の生地。
着付けの時からシミひとつない白無垢に汚れを付けてしまわないか心配で、身動きひとつまともに取れない。
こういう服は自分で着るよりも推しにきて欲しい。
「失礼します。新郎様をこちらへお通ししても構いませんか?」
「あ、お願いします」
係の人に案内されて晴久が部屋に入ってくる。
晴久は黒の紋付袴姿で、今日は綺麗に髪をセットしているので単体で見れば結婚式のモデルのようだ。
「よっ」
「よっ」
向こうが軽く手を挙げて挨拶してくるのでこちらも反射で手を挙げたのだが、長すぎる袖が重くてもはや筋トレのように感じた。
「髪の毛普通の方にしたんだな。あっちの……なんだっけ、必殺技みたいな名前のやつ……」
「文金高島田な」
「それだ。文金高島田の方が強そうだったのに」
「結婚式は天下一武闘会と違って強さを競うところではありません」
個人的に和装はドレス以上に似合いそうになかったのだが、諸事情により神前式一択なので背に腹は変えられない。
事前に美容師さんとどんな髪型にするかの相談をした時、なぜか晴久はカタログに載っていた文金高島田の名前に心を奪われてしまった。その割に名前を覚えないが。
事あるごとに「髪型は是非文金高島田に!」と熱心に営業活動をして来るが、全部綺麗にスルーした。あまりにも熱心にプレゼンする晴久に、美容師さんまでもがおずおずと文金高島田を勧めてくるが、きっぱりと断らせていただいた。
私があの髪型をすれば一気に昭和どころか明治くらいまで遡りそうだし、多分晴久が爆笑して終わる。
髪型は少し大人し目の洋髪で、赤と白、そして薄紅のカーネーションを主体に生花で飾ってもらった。
なぜこの色なのかというと、私の今の最推しのイメージカラーがピンクだからである。ピンクだけではどうにも抵抗があり、美容師さんと相談して赤と白のカーネーションもつけて甘さを緩和した。自分が好き好んでピンクを選部ことはまずないので、推しの力というのは実に偉大である。
「……恥を忍んで頼みたいことがあるんだけど」
「おう」
「新刊の作画用に新郎新婦の写真を撮りたいので協力しろください」
「そんなことならお安い御用だ」
晴久の良いところは私のオタク趣味をバカにしたりしないところだ。ちなみに晴久は同人誌の即売会がなんたるかについてもきちんと理解しているできた男である。たまの知的好奇心が厄介な時があるが、それがあっても付き合っていて心地よい一般人だ。
今日の佳き日は我が結婚式にあらず。我が推しの為の最良の取材日である。
最初は晴久に写真を撮らせてもらい、後で晴久に白無垢の写真を撮ってもらうことにした。
「お前今度の新刊どんなの描くつもりだよ」
誰もいない空間に向かって壁ドンしながら晴久がぼやく。相手がいないと何かに思い悩んでいるようにしか見えんな。
「結婚式でいちゃつく推しカプに決まってんだろうが。推しカプの幸せそうな姿を拝めなきゃこんなことやってらんねぇわ」
今日のこの公開処刑も推しカプの為と思えば乗り切れる。資料を集めようにも、結婚式関連のものとなるとやっぱりおすましのポージングが多いので、今日は思う存分自分の欲しい資料を調達できる千載一遇のチャンスだ。
「……この間私の推しカプが本誌で死んでさ」
「いきなりめちゃくちゃ重い話題放り投げてきたな。というかこの間顔パンパンにしてたのはもしかしなくてもそれが理由か」
私はコミックス派だったのだが、SNSを流し見ていると嫌な予感がしてコンビニで本誌を買ってこらえきれず店先で読んで崩れ落ちた。家に帰ってからは部屋で大号泣した。三日三晩泣き続けた。
嘘つきました。昼間は仕事だから我慢しましたけど三晩は泣き続けました。職場の人達にめちゃくちゃ心配されたけど「推しカプが死んじゃって」とか死んでも言えないので曖昧に笑ってごまかしておいた。
「こうなったらもう私が幸せにするしかないじゃん?」
「お、おう……」
「だから今度の新刊で結婚式を挙げる」
「そ、そうか……」
今度の新刊の為。
これが私の結婚式のスローガンであり、唯一の楽しみであった。
「まぁなんだ、お前が納得する方法でやり遂げたら良いと思うよ。人に害の無い程度で」
こんなに同人活動に理解がある夫を持てて私は実に果報者である。
「とりあえず残りのポーズ撮って行った方がよくないか? 時間ないぞ」
「そうだな」
晴久に促されて撮影を続行していたら、神職さんに案内された両家が撮影会の最中にやってきて両家の親族達に不審な目を向けられていたたまれなくなった。
神職さんを先頭にして、式の参列者がゾロゾロと社務所内を歩く。これから一度境内の外に出て神殿に向かうのだが、公開処刑にもほどがある。
我が小鳥遊家は父母と弟と祖父母、晴久の永田家はご両親と祖父母、そして結婚されたお義姉さん一家が出席してくれた。
永田家は小学一年生の甥っ子さんと二歳の姪っ子さんまで一人残らず美形で、こっちとの顔面格差がひどい。それこそ次元が違う勢いである。
「あんたも本当に嫁に行くのねぇ……」
留袖姿の母親が私の隣に立ってしみじみとつぶやく。
決して嫁に行く娘を思って感動しているのではなく、信じられないといった感情の方が大きそうだ。
「しかもあんな美形になぁ……。あの人が義理の兄とか次元が違いすぎていまだに信じられねぇんだけど」
母に続いて弟の雅臣も口を開く。まぁ本当の意味で結婚するわけじゃないけどねとは口が裂けても言えない。
「べっぴんすぎて目が焼けそうだよな」
「本当、テレビから出てきたみたいよねぇ」
「父さん、あんなイケメンが息子とか恐れ多すぎて……」
「三日くらいで慣れるって。晴久だって屁もするしうんこもする。現実見なよ」
「いやあああああ!!!!」
父さんと弟がまるで推しを神格化するオタクのようで面倒臭い。最初の警戒心どこ行った。
うちの家族は晴久と打ち解けてからというもの、ずっとこんな感じだ。
最初は詐欺を疑われ、母さんは何とか慣れてきたがイケメン耐性が全くない父さんと雅臣は晴久と会うたびにそわそわしている。
「本当、こんな変わり者のどこがよかったのかしら……あんた晴久くんの弱みとか握ってんの?」
「そんなものあるなら私が知りたいわ」
結婚するからと言って親の小言が減るわけではないらしい。
晴久の弱みは知らないが、私のオタク活動に関する弱みならたくさん握られている。蔵書の内容を暴露されようものなら簡単に死ねる。
あちら側では晴久がお義母さんにバシバシと肩を叩かれて辟易としていたので、向こうも似たようなものらしい。
今日は見事な晴天で、二月とはいえあまり寒くない良い気候だった。丁度梅が満開に差し掛かる頃合いのようで、そこまで大きな神社ではないが境内には花見客がちらほらといる。
そんな中、正装姿で鳥居を目指す我々は言わずもがなものすごく目立つ。参拝客の何人かは立ち止まってこちらをのんびり見物しており、恥ずかしさのあまり顔をあげられずにいた。今だけ扇で顔を隠す平安貴族になりたい。
しかし梅の良い香りはうつむいていても香ってくる。
香りに誘われて見上げれば、紅白、薄紅の梅がほころんでいた。
「……梅といえば菅原道真だよね」
「そうだったか?」
「『東風吹かば 思い起こせよ 梅の花 主人なしとて 春な忘れそ』でしょ」
私が和歌をそらんじると、晴久が合点のいった顔をした。
「道真を慕った梅が左遷先の太宰府まで飛んで行っちゃったって話、何回思い出しても本当尊い」
「透子はそういう話よく覚えてるよな」
「私の脳内は容量が限られてるので」
勉強は嫌いだけど雑学は好きだ。
テスト前は晴久に泣きついて勉強を教えてもらっていたが、神社仏閣に行った時は私がよくガイドをしていた。
「人生を豊かにするのってそういう知識なんだよな。勉強ができるのとはまた違う」
晴久は勉強ができる人種だが、こういう雑学は私の方がよく知っていることが多い。
「まぁ勉強はできた方が人生安心だけどね」
「そりゃそうだ」
こういう雑学は人生を豊かにしてくれるけれど、生きる術に直結してくれないのが悲しいところである。
鳥居に着くとさすがに雑談はできないので二人で口をつぐんで神職さんの指示に従う。
雅楽の演奏の中、参拝者の方々に見守られながら一族郎党で本殿を目指してゆっくりゆっくりと歩いていく。
本殿に入ると他の人の目はほぼなくなるのでホッとした。
式はつつがなく進み、三々九度や指輪の交換などよく聞く儀式も無事終えた。自分の左手薬指に銀色の結婚指輪がはまっているのがものすごく不思議な感じがする。もともと指輪をする習慣がないのでそのせいかもしれないが。
「ほら二人とも寄って寄って」
「んもー何照れてんの! 焦れったいわね!」
「こう、手の甲見せて。そうそう!」
式の後は両家の母親と小鳥遊家のお義姉さんによる大撮影大会が行われた。七五三の時ってこんな感じだったのだろうか。
男連中はそこに混じる気概もないようで、後ろの方でこちらを見ながら談笑している。
「これだけ同じ画角で写真を撮ってどうするつもりなんだろうか……」
「同人誌の資料とか?」
「それは私だ」
笑顔を保ったまま隣の晴久に問いかけるが、ふざけた回答しか返ってこなかった。
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