【角川文庫・魔法のiらんどCOMICS原作】結婚独身貴族

朝比奈夕菜

序章

序章




 結婚式はいつの時代も女の子の憧れだ。

 好きな人との結婚を決め、大勢の人に見守られながら一生添い遂げる誓いを交わす。小さい頃から見てきた物語の中のお姫様達は、みんな好きな人と結ばれ、盛大な結婚式を挙げて、いつまでもいつまでも幸せに暮らすのがお決まりのハッピーエンド。

 かくいう私も昔は人並みに憧れを抱いていた。

 悪い言い方をすればハッピーエンドの結末をそれしか知らなかった。

 大人になった今なら分かる。

 ハッピーエンドにも色々種類はあるし、人生バッドエンドもありえるんだって。




 子供の頃から変わったことなんてたくさんあるけれど、その中でも一二を争うのは親戚での集まりがあまり好きではなくなったことだろうか。

 今日は母方の従姉妹の結婚式で久方ぶりに一族が集結している。

 会場はうんと天井が高く、床から天井まで伸びた大きな窓からは燦々と日の光が降り注いでいる。天井から吊るされたシャンデリアがその光を受けてキラキラと輝いている。

 いたるところに飾られた花々はピンクと白でまとめられていて実に乙女チックな空間だ。新婦と新郎はちょっと緊張したような面持ちだが、とても幸せそうに寄り添いあっていて微笑ましい。

 そんな天上の景色のような幸せいっぱいのひな壇の風景とは真逆の、地獄の親族席に私はいた。

透子とうこちゃんもそろそろいい人見つけて結婚しないとね!」

「あはははは」

 早く家に帰ってお気に入りの同人誌を端から端まで読み返したい。お気に入りのアニメをかけながら。

 久しぶりに親戚一同が大集合している中、一人でテンションが爆上がりしているのは結婚した従姉妹の母、私の母の姉で私の叔母だ。

 一人娘の結婚式でテンションが上がるのは分かるが、ありがたい訓話の相手に付き合わされる私にとっては大変なありがた迷惑である。

 最近若手社員に対する飲み会への強引な誘いが社会問題となっているが、ぜひともデリカシーのない親戚からのありがたくもない説教も社会問題の一つに加えてほしい。

 結婚に憧れていた時代もあったが、今はこれっぽっちも結婚に対して憧れなど抱いていない。結婚して人と一緒に人生を歩んでいけることは心の底からすごいと思うが、それを自分ができるかはまた別の問題だ。

 前からこう言う話題が出て来たらそれとなく伝えていたつもりだが、叔母がそれを察する気配は全くない。

 向こうは本気で言っているつもりはなく、挨拶程度の気分で言っているのがまた救えない。

 強く否定しすぎるとムキになっちゃってかわいそうね、と傷口に塩を塗りこまれる最悪の事態にもなりかねない。ストレスは溜まるが、肯定も否定もせずにただひたすら流しそうめんのように話を流すしかないのだ。

 端的に言って地獄以外の何物でもない。

 そして意地汚い話だがご祝儀も決して安くない金額だ。それだけのお金をお祝いとして包んでいる立場なのに、そうしてこのような不快な思いをしなければならないのか理解に苦しむ。

 父や母をはじめ同じテーブルに座っている他の親戚連中は、自分たちの世間話に一生懸命で一向に助けてくれる様子はない。

「透子ちゃん今年でいくつだっけ?」

 叔母の隣に座っていた叔父まで参戦してくる。嫌な予感しかしない。

「今年で二十九になります」

「透子ちゃんもう二十九なのかー!」

「じゃあ早く良い人見つけないとじゃない! 女の子は三十になるまでに結婚しないとねぇ」

 女は三十になるまでに結婚しないといけないとか初耳なんですが。法律で決まりました? いつ国会の審議通りましたっけ?

 結局、式の合間合間叔母さん達のありがたいツッコミどころ満載の訓話は続いた。

 最後の方は結婚式に来たのかありがたいお話を聞きに来たのか最早わからなくなって来た。

 聞きたくもない話にご祝儀の三万円は痛すぎる。詐欺で訴えるぞ。



 ようやく地獄の結婚式が終わり、引き出物のクソ重いカタログだけが入った仰々しい紙袋を持って式場を出た。

 両親と弟と別れ、一人暮らしをしているアパートへ向かう。いくら秋冬用の長袖のパーティードレスを着ているとはいえ、コートとマフラーを着込んでもなお寒い。

 早足で最寄駅に向かいながら、どういうルートで帰ろうかと算段をつけながら歩いていると、スマホが震えて着信を告げた。

 画面に表示されていたのは大学時代の友人、「永田晴久ながたはるひさ」の名前だった。

「もしもし? どうしたの」

『今、電話大丈夫か?』

「大丈夫だけど、いきなりどうしたのさ。なんかあった?」

 スマホの向こうで風の切れる音と、晴久の声が少し途切れ途切れになっているのが気になった。

『今日休日出勤だったんだが、このあと飲みに行こうかと思っててさ。お前今日時間あるか?』

「あるある。いつものところでいい?」

『おう。じゃあまたあとでな』

「おー」

 休日まで出勤とはご苦労なことだ。

 とりあえずこの格好で居酒屋に行くのは疲れるので、集合前に家で装備を解く必要がある。

 自分の普段着だと今の化粧も頭も違和感がすごいので、一度風呂に入ってさっぱりするかと風呂の時間も入れて時間を逆算した。





 仕事の出来る友人は、いつも私たちが溜まり場にしている居酒屋に連絡を入れて個室を押さえてくれていた。

 友人の名字を店員に告げると、一番奥の個室に案内される。障子を開けるとメニューを眺めていた友人、永田晴久が手を上げる。

「よっ」

 相変わらず、すれ違えば誰もが一度は振り返るような華やかさだ。メンズ雑誌のスーツ特集に出て来てもおかしくない。

 三十路にリーチをかけた今でも美男子ぶりは健在で、一緒に道を歩けば芸能事務所の関係者に声をかけられる。

 晴久はいつも洒落たスーツ姿を着ており、紳士服に詳しくない私ですら体のラインにぴったりと合ったいいもん着てるなーと分かるくらいなのだから相当なものなのだろう。

 そのせいと言ってはなんだが安さががウリのチェーンの居酒屋の風景から激しく浮いていた。いつものことだけど未だに慣れない。そこだけCGで合成したみたいだ。

 ちなみに私は無事着替えと風呂を済ますことができたので、グレーのコートに黒のズボン、白のセーターという初期アバターのような格好で居酒屋の風景に馴染みまくっている。

「休日出勤おつかれ。とりあえず生中で」

「あいよ」

 私が荷物を整理していると手元の端末でちゃっちゃと注文を済ませてくれた。

 晴久とは大学の時に所属していたサークルが一緒だった。学生の頃からよくつるんでいて、仲間内では異性同士なのに同性の兄弟みたいだとよく言われた。

 それと同じくらい聞かれたのが二人とも付き合ってるの? という質問だが、晴久とは十年以上の付き合いとなるが男女として交際した事実はない。

 社会人になりたての頃は他のメンツもよく集まっていたのだが、だんだん仕事が忙しくなってきたり結婚したりで一人、二人と集まらなくなってここ数年は晴久との二人飲みがほとんどだ。

 晴久も広告代理店の営業なので忙しいと思うのだが、二人飲みはなんだかんだダラダラと続いている。まぁ男も女も関係なくウマが合うので飲んでいて楽なのが一番の理由だ。

「なんかあったの?」

 最近は何か話たいことがあればどちらかが集合をかける方式なので、晴久の方に何かあったのは明らかだ。

 私が話の水を向ければ、晴久はぐしゃりと顔を歪めて大きな目にうっすらと涙の膜を張り、わっと机に突っ伏した。

 黙っていれば整った顔をしている晴久だが、いささか感情表現が豊かでギャップがすごい。歴代彼女には「なんか……思ってたのと違う……」と振られてきたらしい。

「聞いてくれー!! 心の友よー!!」

 タイミングがいいのか悪いのか、ビールとお通しを運んできた店員さんが部屋に入ってきてドン引きしている。顔なじみの店員さんなら苦笑しながら聞き流してくれるが、よりにもよって新人さんだ。すまねぇな。

 これはかなり重症のようである。

「まぁとりあえず飲め飲め。ガソリン突っ込んでこーぜ」

「……おぅ」

 話が長くなりそうな気配を察知したので、さっさとジョッキを握らせる。晴久はされるがまま涙目になりながらも背筋を伸ばした。

 以前管を巻きまくった晴久の会話を切れなくて、一杯目のビールの泡がなくなってしまう事件を経験してからは多少強引にでも最初の一杯を進めることにしている。

「今日も一日おつかれ!」

「おつかれー!」

 ごくごくとお互いにお茶かジュースのようにビールを飲み下す。ジョッキの半分くらいでぷはぁと同時に息をついた。

 ついでにお通しを軽く胃に入れて少しだけお腹が落ち着いてきたところで、折ってしまった話の腰をもとに戻す。

「で? 何があったのさ」

「聞いてくれるか心の友!!」

「聞く聞く」

 なんか今日は変なスイッチが入っているのかやたらと心の友を連呼してくる。

「前から娘さんとの結婚をゴリ押ししてくるお客様がいてさぁ」

「おーそりゃあ大変だ」

「ついに今日はその娘本人に押し倒されそうになった」

「わーお……」

 その時のことを思い出したのか晴久はもう一度わっと机に突っ伏した。

 それにしても180cmのガタイの良い男を押し倒すとはなかなかの猛者だな。娘さんの習い事はお茶やお花ではなく柔道だったのだろうか。

 話を聞けば、今日の昼上司に呼び出されて上司御用達の高級料亭に行ったらしい。すると店には上司とお客さんとその娘さんのさんすくみでお見合いをセッティングされていたそうだ。

 後はお若いお二人で、と二人きりにされて娘さんに押し倒されてしまったらしい。

 晴久は学生時代の頃から女性関係には苦労していた。今もそれは変わらない。

 職場で言い寄られたりするのは日常茶飯事。既婚者から不倫を持ちかけられることもあるらしいので驚きだ。

 無碍にすると逆上したりして色々対応が大変なので、毎回四苦八苦しながら断っている。

 表面上は何事もないように取り繕っているが、女性達の機嫌を損ねてしまわないか内心プルプル震えながら過ごしているらしい。

 外見は長身を生かしてシャキッとスーツを着こなしたバリバリの仕事ができる営業さんだが、内心はチワワのように繊細な男なのである。

「で? どうやって逃げてきたの」

「ゴキブリ!! って声を上げて相手が怯んだ隙に逃げ出してきた」

「まぁ、とっさの判断にしては上出来かもね。娘さん投げ飛ばすわけにもいかないし」

 大抵の女性はゴキブリと聞いて驚く。それがたとえ180cmの男を押し倒す女性だとしても。

「もうお嫁に行けない……」

 晴久はまた机に突っ伏した。行くとしても婿だからお嫁には行けないと思うけど、とは言えなかった。

「私はお嫁に行きたくないけどなぁ」

 私のぼやきに突っ伏していた晴久がむくりと起き上がる。

「今時結婚しないって選択肢もあるだろ」

「それがそう簡単には許してくれないものでしょ。年配の方とかは結婚してないとあからさまに欠陥品なのねって顔に書いてるし、そういう対応をしてくる人も多い。今日従姉妹の結婚式で三十までには結婚しないとねって直接言われた。心の底から地獄に落ちろって思ったね」

「ああー……」

 晴久も思い当たる節があるのか、ビールジョッキを煽りながら天井を仰ぎ見た。

「人の結婚式自体はいいんだが、結婚式って当たり前だけど結婚願望爆上げだからなぁ……結婚式で声かけてくる子は大体しつこい」

「結婚式行ってそう言う感想が出てくるのはあんたくらいだわ」

 美人独特の悩みに次元が違うなぁとしみじみ感じる。

「結婚してるかどうかで人格を測ろうとする人は多いよなぁ。結婚してる人でもどうかしてる人多いけど」

「私がいうのもなんだけどあんたのオブラートの無さも大概よね」

 悪そうな顔をして言うのならともかく、明日の天気のことを言うようにさらりと言うのだからさらに切れ味よく感じる。

「私は趣味も理解されにくいからさ、そんなもんにウツツを抜かしてるから婚期が遅れるのよ、とか割と本気で言われる。悪いのは私であって推しは悪くないのに……!」

 悔しさのあまり次は私が机に突っ伏すと、晴久が苦笑を浮かべる。

「周りに迷惑かけてるならともかく、自分の給料で人に迷惑かけずにやってるんだから放っておいて欲しいよなぁ」

 晴久のフォローにそーだそーだと力強く頷きながら、ゾンビのごとく起き上がる。

 私はマンガやアニメをこよなく愛しているいわゆるオタクだ。

 仕事は好きだけど嫌な時ももちろんある。でも、推し達を応援する為にはお金が必要だ。だから仕事が嫌な時は推しが輝く姿を妄想し、歯を食いしばって仕事をするのだ。それで日本経済に貢献している。

 つまり、私が円盤やグッズを買ったり聖地巡礼をすることにより、推しは日本経済を回しているのである。つまり、敬われこそすれ貶められるいわれなどこれっぽっちもない。

 職場ではオタクということは隠していない。そのせいで親世代のパートさんやリア充の連中に「そろそろ小鳥遊さんも現実見ないとね」とか「推しは結婚してくれないよー」とか言われて散々である。

 推しと結婚できないくらいのことは分かってるし、現実にいたとしても推しとは結婚はしたくない。なぜならときめきすぎて死ぬからだ。

 現実と非現実を混ぜこぜにしてんのはそっちだろうがと喉下まで出かかった言葉を毎回飲み下すのに必死である。

 私はいざという時以外オブラートをつけておかないと面倒なことになるのは理解している分別のあるオタクなのである。

 言っている方からすれば挨拶程度のことなのだということも分かっている。言い返せば「冗談なのに怒るなんて、図星を突かれて悔しいだけじゃないの?」のようなことを言われ、余計にムカついて疲れるだけなので、冷静に受け流すのが今の所の最善だ。

 でもそれを言われる度に人として、女として出来損ないだと言われているような気がして辛いことに変わりなかった。

 しかも言っている本人達が私を傷つけるつもりで言っていないことが余計にタチが悪い。

 できることならムカついた時点でゴジラのごとく暴れまわりたい。

「本当独身の女を見たらみんな結婚したいと思ってる価値観どうにかして欲しい。結婚したらもっと人生生きやすくなるのかねぇ……」

 オタク友達の中にも結婚している子もいる。そういう子に対して世間はこちらほど厳しくはないみたいだ。まぁ、旦那さんや義実家との関係には悩んでいるのかもしれないが、今の私からすれば羨ましい。

 だって、自分の好きなものを悪く言われないのだから。

 なんで結婚していないとここまで言われなければならないのだろうか。

 うだうだ話していても答えは出ない。せっかくの飲み会なのだから嫌なことはさっさと吐き出し、楽しい話題で笑い飛ばすに限る。そのためには燃料が必要なので景気付けにビールジョッキを大きくあおって空にした。

「透子はさ、昔結婚願望ないって言ってたけど今もないのか?」

 晴久に真正面から潔く斬り込まれた質問に思わず面食らう。

 親戚に聞かれた時はただただ不快でしかなかったのに、聞く相手が違うと素直に自分の気持ちを話したいと思った。

「ない。恋愛は性に合わないし、結婚なんて慈悲深いこと私には無理。自分の世話で手一杯」

 私自身今まで浮いた噂などほとんどなかったが、周りの女友達は恋多き子も多い。つまり耳年増で男女のあれやそれやは全て人から聞いてきた。

 恋を語る彼女達はキラキラ輝いていて、きれいで、可愛らしかった。

 でも私には理解できないことが多すぎる。

 他人に感情を振り回されて不安定になっている様子は大変そうだし、自分の好きなものではなく、相手の好みに合わせることが窮屈に見えて仕方ない。

 自分勝手な女と言われればそれまでだが、他人に理解してくれとは思わないので許して欲しい。

「誰かと結婚して、子供産んで育てたい、とはゆめゆめ思わないけれど、老後の暮らしは心配だし、オタク活動のせいで結婚できないって思われるのが嫌かなぁ……でも自分の不安を埋める為に結婚を選択するのはなんか違う気がする」

「お前って意外とロマンチストなんだなぁ」

「どこが」

 自分の老後しか心配していない人間は絶対にロマンチストではないと思う。

「だって損得無しの人と結婚したいってことだぞそれ」

 言われてみればそうなのかもしれないが、あまりピンとこなくて首を傾げながらもう一度ビールをあおった。

 それからは最近あったおもしろおかしい話をして腹がよじれるほど笑った。

 MVPは私が披露した事故で止まってしまった電車でトイレに並んでいた時、私の前に並んでいたおじさんが超絶腹を下していた話だと思う。電車のトイレなのでトイレ内の壮絶な音が丸聞こえでものすごく気まずかったし、その後自分がそのトイレを使う絶望を劇的なまでにドラマチックに語った。

 ウ◯コネタという小学生並みの下品な話に晴久は呼吸困難になって涙を浮かべながら畳を叩いていた。普段はハイソな会話をしているからだろうからか、こういうレベルの低いネタにものすごくツボが浅くなっている気がする。いや、昔からこうだったか。

 というかアラサーにもう足を突っ込んでいる女が小学生並みのウ◯コネタって自分でもどうなんだと思う。オタク趣味じゃなくてこういうのが原因で結婚できないんじゃないか?

 話している間も晴久は細やかに足りなくなったものの注文を手早く済ませる。こういうところができる男たる所以なのだろう。

「本当あんたいい嫁になるよ……あ、婿か」

「婿でも嫁でもいいから俺は俺の貞操の危機を守りたい」

 晴久が死んだ魚のような目で枝豆を食べながら虚ろにつぶやいた。マンガ以外で「貞操の危機」という言葉をはじめて聞いた気がする。女の私でも言ったことないぞ。

「イケメンはイケメンで大変だねぇ」

 女子にモテて取引先にもすぐに顔を覚えてもらえて、買い物すればちょっとしたおまけをもらえるとか、そんなちょっとした旨味ではやってられないほど晴久の日常は危機感であふれている。

 物を取られたりとかことあるごとに触られたりぶつかってこられたりと、前者はすでに犯罪だし、後者は当人が嫌がれば立派なセクハラだ。

 私の場合前者はないし、後者は時代が時代なのと身近な男性陣はそういうことをする人が皆無なので女の私の方がセクハラ被害ははるかに少ないだろう。

 晴久に出会うまではイケメンに生まれたら人生超絶イージーモードだろとか思っていたが、そうでもないらしい。

 つまりはなんで人間なんかに生まれてしまったのかという問いが生まれるのだが、動物は動物で悩みがあるのだろうからこの世に生まれた限りこの業からは逃げられない。合掌。

「……なぁ、俺ちょっと思いついたんだけどさ」

 ホッケの開きを箸でほぐしていると、神妙な表情で口元に手を当てながら考え事をしていた晴久が手をあげた。

「俺とお前で結婚したらいいと思うんだが」

「うん?」

 ホッケをほぐすのに必死で適当に相槌を打っていたら、晴久がなんか妙なことを言い出した。言葉の意味が理解できなくて顔を上げると、晴久は頬杖をついたままこちらをじっと見据えていた。

 言わずもがな整った顔だが、あいにくと私の好みの顔ではないのでちっともときめかない。

「何をどうすんの」

「俺と、お前が、結婚すんの」

「はぁ?」

 私にもわかりやすいようにと自身と私を指差して説明してくれる。

 何の冗談だ、と思ったが、晴久はいたって真面目な表情を崩さない。

「あんた私のこと好きだったの?」

「まさか」

「きっぱり否定されたら否定されたで腹立つなおい」

「だって男女の言う好きじゃないだろ、俺もお前も」

「まぁね」

 否定されて傷ついておきながら、聞かれたら好きじゃないとあっさり答えてしまうあたり私も私だ。

 恋愛マンガなら友情と勘違いされてヒロインが落ち込むところだが、あいにくと私と晴久の間にラブは皆無だ。逆にここにきて好きかもしれないと言われた方が引く。

 まぁ男女としての好きじゃないと言うだけで人間としては最も気が合うのだけれども。どちらかと言うと親や兄弟の存在に近い。

「結婚さえしてしまえばお互い周りから結婚しろって言われなくなる。何より俺は貞操の危機を回避できるし、お前は気兼ねなくオタク活動ができる」

 晴久のプレゼンにうんうんと頷いていたが、最初からどうしても引っかかる部分があった。

「ところでどこの同人誌読んできたんだお前は」

「お前のベッドの下にあったやつ……じゃなくてだな」

「やっぱり読んでんじゃねーか!」

 こんな突飛な発想を晴久ができるわけがない。疑って試しに聞いてみたらドンピシャだ。

 ソースが私の同人誌とか笑えねぇ。同人誌はいつも所定の棚にしまっておくのだが、片付けが甘かったのだろう。

 晴久は完全なる一般人だが、私のせいで着実にこちら側の知識を学びつつある。しかもなまじ頭がいいので覚えるのと理解するまでが速すぎる。そして仕事もできるので応用力もある。

 おそらく彼奴は私が最近ハマっている推しカプの契約結婚物を読んだと推察される。

「男女の好きは俺とお前の間にはないけど、人間としては一番気が合う。それなら、同居生活するついでに籍入れちゃえば色々面倒なこともなくなると思わないか?」

 結婚はしたくないが、未来への不安は漠然とある。気心の知れた誰かと暮らせて孤独死を防げるなら、そう悪い話でもない、か?

 心が揺れ動くが、こちとら何年二次元の世界にいると思っているのか。こういうシナリオには絶対的なフラグが存在するのである。

「……そんなこと言って好きになっちゃったとか言い出して私にひどいことするんでしょ!? エロ同人みたいにエロ同人みたいに!!」

 そう、最初は絶対好きにならない、とか、ずっと友達とか言っている奴らに限って恋愛関係に陥りがちだ。アニメでもマンガでもドラマでも見たことある

「アホか! それこそマンガの読みすぎだ! 逆に聞くが、お前一緒に暮らして俺のこと好きになると思うか!?」

 晴久の問いを真剣に考えてみた。今までの出来事から一生懸命たらればを想像してみるが、

「……これっぽっちもない……いや、私今フラグ立てた!? 折れ折れ!!」

 とりあえず目の前にあった割り箸を一本晴久の前に立てると、晴久は大げさに慌てた風を装って割り箸を私の手から取ってボキッと折ってみせた。

 そこで一瞬間ができて顔を見合わせたと同時に、二人してどっと大笑いした。

 今まで彼が女だったら、ルームシェアでもして二人で楽しく暮らせたのかなぁと思わなくもなかった。

 でも、今回のこの提案は異性同士だからこそ成り立つ話だし、ルームシェアよりも法的拘束力は圧倒的だ。

 何より何かあった時、とりあえず孤独死は避けられる。このまま結婚せずに晩年を迎えれば、私は十中八九孤独死だ。

 自分のなけなしの理性はこんな話あり得ないと叫んでいるが、本能はお前もう行っちまえ! と叫んでいる。

「よし、お互い快適な独身生活を守るためにいっちょ結婚してみようか」

 独身生活を守るために結婚するって、言葉にすると支離滅裂もいいところだが、私たちにとっては言葉の通りなのだから仕方ない。

 腕相撲をするときのように肘をついて右腕を出せば、晴久も同じように肘をついて私の手をがっちりと握る。

「おう、よろしく頼むぜ相棒」

 晴久の「相棒」と言う言葉がとてもしっくりときた。

 そう、私たちは手に手を取り合って道を進む「夫」と「妻」ではなく、共に背中を預けて世間と戦う「相棒」になるのだ。

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