《第15話》公共放送の民営分割に向けて

放送と交通のネットワークを充実化させる為、昭和のゆとり穏健派ツネオは総裁が2001年4月に掲げた新時代の聖域なき構造改革に向け、2002年9月の内閣改造直後から新たな改革プランを立ち上げていた。

全てのアナログ放送をデジタル放送に完全移行と同時に地上波放送をケーブルテレビ放送に完全移行、そして日本放送協会の分割と民営化の実現、そして都市間バス・路線バス網の改悪を避けての再編と一般道路経由路線を最優先しての強化である。

その中で昭和のゆとり穏健派ツネオが最も急がせたかったのが日本放送協会の分割民営化で、主にドラマや音楽番組やスポーツ中継など民間で出来るモノは民放に順次移譲、また福祉・教育系の番組や国民保護に関する緊急事態宣言や災害などの危機対応に関する情報を含む報道系は税方式に移行して新たに国有放送を新設、緊急放送に関しては民放各社と連携し同時放送体制を行う他、受信契約サービスに関しては通信大手をはじめとする民間企業に移譲し契約先する企業の選択自由化、更にシティホテルや商業系など多数の副業に参入し、副業収入で受信料や広告料に頼らない企業を目指すと表明した。

しかし、都市間バス・路線バス網の見直し計画に関しては高速道路経由の一部を一般道路経由に移行するなどの路線再編に向けるも半数以上の利用客からの反対を受け、営業所と路線の移譲で留める程度となった。

その後、二度の国会解散を行ったり選挙で勝利し続けるも改革はほとんど進まず、昭和のゆとり穏健派ツネオが立てた改革プランも一部変更を余儀なくされ、日本放送協会の民営分割に関しては関連の企業に放送チャンネルの経営を委ね、移譲先の民放局が決まっていない娯楽系などの番組については関連企業で対応し、将来性の見えない番組の取り止めも検討する必要があると考えられた。

そして2006年9月、総裁の任期満了に伴い、新たに就任した総裁が保守派であった事に昭和のゆとり穏健派ツネオは違和感を感じ、その後2007年の参議院選挙で野党に敗れるという結果に終わり、二度に及ぶ総理・総裁の交代後も期待出来ず、その後のリーマン・ショックによる経済崩壊と翌年明けからの新型インフルエンザ拡大による問題で自ら非常事態宣言を出し、放送局への呼び掛けを経て2009年から夏の長時間特別番組を無期限休止にさせた。

しかし、解体されるも元に戻された自民党の在り方に不満を感じ、総裁選でかつての非自民・非共産連立政権時代の盟友を支援するも就任には至らず、公明党との完全分裂を経て自民党を離党し、2009年4月に宗教会社「幸福の科学」に入社、2009年5月に新しい政党「幸福実現党」を結党した。

その後、日本放送協会の民営分割は地上波からケーブルテレビ、アナログ放送からデジタル放送への完全移行と同時に行うと表明し、次々と改革を進めるべく、新たな非自民・非共産連立政権の実現に向け、各政党に幸福実現党の政策をアピールし、衆議院議員の任期満了を目処に解散で調整して欲しいと党本部を通して政府に提案、公明党・改革クラブ・みんなの党・新党大地・新党日本・国民新党・社会民主党と8党派を組み、要望通り実現させた衆議院議員の任期満了に伴う解散総選挙に挑む事にしたのだった。

そして、日本放送協会の民営分割と五輪招致の是非を争点に含め、自民党時代に果たす事も出来なかった残り一部の構造改革を再始動すると誓い、非自民・非共産派の議席を過半数超えに至らせ、内閣総理大臣指名選挙では公明党の新代表を就任に至らせたのだった。

また、2006年の大晦日の紅白歌合戦における演出問題を指摘し、その2007年の紅白歌合戦を休止しクイズ番組の拡大版に代替させ、2008年に再開するも国民から紅白歌合戦と新春かくし芸大会の廃止を求める声が殺到し、2009年の大晦日と2010年の元日を最後に総集編で終了し、日本放送協会の民営分割と民放各局の再建を更に強化させる事にした他、大晦日の代替番組として完全収録で一般人小中高生参加型の大型クイズ特番に転換したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る