《第13話》遅れた絶頂期への突入、そして勇退へ

10年遅れて景気が絶頂期に突入するまでと近付いた1996年9月、国会が解散して新進党に属する昭和のゆとり穏健派ツネオは民主改革連合や民主党と連合を組み、無所属での出馬に挑む事にしたのだった。

政権交代を目指して行っていた慈善活動の評価と国民からの支持を得て当選と勝利に向け、昭和のゆとり穏健派ツネオは非自民・非共産時代の再来と日本放送協会の分割民営化とバス事業の民間移譲、日本道路公団の一括民営化、営団・公営交通全般のオール民営化、自衛隊の防衛軍化、非核三原則撤廃、勤勉革命推進、国民福祉税と自転車税の導入、戦争放棄撤廃、罰則付きで喧嘩両成敗永久放棄、ゆとり・痴漢・詐欺・紅白歌合戦・かくし芸・仮装大賞・よさこいソーラン・喰わず嫌いなど喧嘩以外の両成敗を全て完全認可、憲法改正、障害者と健常者の完全共存義務化などを訴え、主に学生や若年層からの人気と評価を上昇させた。

そして自社さ3党を連敗に追い込ませ、議席も大幅に獲得ひ非自民・非共産時代の再来、無所属で出馬した昭和のゆとり穏健派ツネオも中高生や大学生などからの人気を得て当選し勝利、新首相からの誘いを受け、民主党に移籍したのだった。

不良債権問題悪化の原因を作った自社さ連立政権に終止符を打ち、自民党と社民党と新党さきがけは連敗のケジメとして分裂し、社民党と新党さきがけは再び非自民・非共産派になった。

しかし、これが自民党と日本共産党の逆襲と喧嘩勝負の始まりに過ぎなかった。

人気オカルト系RPGシリーズの実写映画化と北海道ロケ敢行、更に昭和のゆとり穏健派ツネオがかつて自ら属していた日本鉄道協会などの協力を得て私立の男子中学校や旅客列車内での撮影を含めて映画製作に関わったりもしていたコミッション団体と仲良くなっていた事から、支持を得ていたという事実を自民党と日本共産党に知られていたのであった。

その事実を知らされて昭和のゆとり穏健派ツネオは、民主党代表から北海道開発庁に配属すると命じられ、活動の場を北海道に移したのであった。

しかし、その2年後の春の民主党再編が決まり、既に還暦を迎えていた昭和のゆとり穏健派ツネオは政界を勇退し、旭川市の特別支援施設に入り小・中学校や公園などのトイレ清掃・美化・見回りなどの下請けボランティア活動に励みながらも宿泊研修や遠足などの余暇活動ではリーダーを務めたのだった。

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昭和ゆとり族の時の大冒険記[ツネオ編] @tsuneo-koumei_19370905

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